南小谷から南側はJR東日本のエリア。ここからは電化されており、特急「あずさ」の一部が新宿から南小谷まで直通してきます。
今から乗る普通列車は昨日乗ったE127系の親戚、E127系100番代。顔つきだけは東北地方などで運用されている701系に似ています。
ホームも跨線橋もあちこちで雪が踏まれて凍っているので、いくら滑り止めがついているとはいえ革靴では気を遣います。大人しく車内で待っていることにしましょう。
通勤・通学需要と観光需要を両立するためか、車内は片側だけボックスシートが並ぶ変則的な構成。ボックス席に座るとロングシートに座った人から視線を感じたりするのであまり好きな配置ではないのですが、両方の目的をバランス良く取り込むためだと仕方がありません…
松本に向かって右側がボックス席になっているのは、北アルプスの景色をよく見せるためでしょうか。2011年に「リゾートビューふるさと」の車内放送で線路の西側は架線柱も置かずに景色をよく見えるようにしている、なんて案内があったのを覚えています。
さて、発車時刻をすっかり過ぎていますが松本ゆきの普通列車は動く気配がありません…
なんでも下りの特急「あずさ5号」が大幅に遅れているそうで、この列車は特急の到着を待ってから発車するとのこと。
結局「あずさ5号」は盛大に20分以上遅れて南小谷に滑り込んできました。こちらの松本ゆきも22分遅れてようやく発車します。
大糸北線では雪がちらついていましたが、大糸南線の区間に入ってからは所々で青空が覗くようになりました。
それなりにペースを上げて走ってきたかいがあって、信濃大町には9分も取り戻して13分遅れとなっていました。普段はずいぶん余裕のあるダイヤで走っているんですね。
2020年9月に宿泊したルートインの建物が見えています。そういえばあの時臨時休業かつ県外客お断りとなっていたラーメン屋さんですが、この時にGoogleの評価を見たら新しいものには低評価ばかりが並んでいました。1年ちょっとの間に一体何があったのやら。
今度は4月半ばの開業直後に、雪に閉ざされた恐ろしく寒いアルペンルートを通り抜けたいと思っています。今年の春はタイミングを逃してしまったので、次の春には挑みたいところですが…
松本に近づくにつれて空はすっかり明るくなり、遠くに北アルプスの雄大な山肌が見えてきました。
豊科では遅れをさらに縮めて7分遅れにまで回復。いつぞやの特急「きりしま」に見習って欲しい回復運転です。
終点の松本には7分遅れで到着しました。なんと15分もの遅延回復です。
JR大糸線はアルピコ交通上高地線とホームを共用しています。上高地線は今年8月の豪雨の影響で橋脚が傾くなど被害を受け、松本と2つ隣の渚の間で長期運休となっています。復旧工事は川の水量が減る冬を待たねばならないということで、運転再開は早くても2022年の春以降ということになってしまいました。
この時は松本~渚間で代行バスが運転されていましたが、電車なら3分で着くところバスでは20分以上かかるということで、不便な状況が長らく続いています。
※2022年6月10日から松本~渚間が復旧し、全線で運転再開となりました。
なんだかんだ、ことあるごとに来ているような気がする松本駅…
千葉ゆきの特急「あずさ」に乗ったのは、E257系乗り納めをした2019年以来。「あずさ」「かいじ」が現行のE353系になってからは1度も乗ったことがなかったので、旅の締めくくりは「あずさ50号」でE353系初乗車としゃれ込むことにします。
…とはいえ、まだ乗るつもりの「あずさ」まではちょうど3時間あります。松本駅にいてもこれといってやることはないので、「松本の奥座敷」浅間温泉に足を伸ばすことにしました。
キャリケースを持って路線バスに乗るのも邪魔くさいので、駅のコインロッカーに荷物を放り込んで最低限のものだけ持ってきたのですが…
カメラ、財布、ペットボトルのお茶を東京パラリンピックオリジナルのエコバッグに入れてバスに乗ろうとしたら、コインロッカーからわずか20m歩いたところで底の縫い目が破れて中身が落ちるという…
破れた場所から落ちたのがペットボトルだったのでまだ良かったのですが、落ちたのがカメラだったら半狂乱になっていたところでした。
それにしたって30%OFFになっていたとはいえ、ほぼ初めて使ったエコバッグが即座に破れるとは品質があまりにひどすぎやしませんかね…
幸い着ていた上着のポケットに100円ショップで買ったエコバッグが入っていたので事なきを得ました。30%OFFで1,600円の製品よりも、110円で買ったものの方が縫製がしっかりしているというのはさすがに許しがたい…
まぁ返品するにも時間が経ちすぎてしまっているので、家に帰ってからゴミ箱に放り込む以外に道はなさそうです。
と微妙な顔をしているうちに目的地に到着しました。松本駅お城口から30分ほどの道のりです。
「ホットプラザ浅間」は同名のバス停から道路を渡って目の前にある日帰り温泉施設です。入浴料は680円。弱アルカリ性の単純泉で、サラサラしたクセのない泉質です。
ホットプラザ浅間の少し東側に「浅間温泉駅跡」という公園のような広場があります。本当に広場があるだけで何も往時を偲ばせるものはないのですが…
この広場は松本駅から伸びていた松本電鉄浅間線という路面電車の終着駅があった場所です。よくある「モータリゼーションの進展」を理由に、1964年に40年間の歴史に幕を下ろしました。すでに廃止から半世紀以上が経っていますから、広場が残っているだけ恵まれた部類かもしれません。
きっとこの広場の正面からまっすぐ延びた道に路面電車が走っていたんだろうな、という勝手な想像をしてみます。
松本駅前~浅間温泉間の路線延長は5.3km、所要時間は18分だったそうで、今運行されているバスの2/3ほどの時間です。クルマに奪われて利用者が減ったのではなく、自動車の増加によって特に松本駅周辺の道路が手狭になってしまい、行政から廃止を求められたというこの時代特有の事情がありました。
まだ帰りのバスまで時間があるので温泉街の上の方まで散歩してみましょう。斜面を10分弱ほど上がっていくと「湯々庵 枇杷の湯」というもう一つの日帰り湯に到達しました。
ホットプラザ浅間とはまた装いの違う、ずいぶん歴史の入っていそうな建物です。
こちらは入浴料が800円とホットプラザ浅間より少しだけ高いですが、季節の移ろいが楽しめる露天風呂だったり、屋内には泡風呂もあったりして、こちらも気になる施設です。次に来る機会があったらこっちに来てみましょう。バス停から少し離れた場所にあるので、身軽な装いで来るかクルマで来た方が便利だと思います。
枇杷の湯の向かい側には明らかに廃業した旅館がありました。この飯田屋別館のある一帯は「浅間の宿」と呼ばれた鎌倉時代の宿場があった場所です。
浅間温泉の歴史は飛鳥時代の西暦700年頃までさかのぼります。周辺には氏族の古墳も見つかっており、当時から名の知れた温泉地であったことがわかります。
鎌倉時代には浅間の宿が置かれて信濃国の政治中枢を担ったほか、江戸時代以降は歴代の松本藩主が通い、近代になると竹久夢二、与謝野晶子、正岡子規といった作家・歌人に愛される温泉地として歴史が続きます。浅間温泉の人気ぶりは、先ほどの浅間線が5時から24時まで10~20分間隔で運行されていたことからもわかります。
ただ現在はバスの便数も概ね1時間に1本程度へと減っており、往時の隆盛はいまひとつ想像できません。
日が傾いて急に気温が下がってきました。せっかく温泉に浸って体を温めたのに効果がなくなりそうです…
少々遅れて松本駅ゆきのバスが到着。1日わずかに運行される「新浅間線」という系統で、路面電車の浅間線とほぼ同じルートを運転する路線なのだそう。とはいっても路面電車の面影を残すものはもちろん何もないですが…
特急列車に乗るまでに、松本駅の近くでお酒を調達しておきます。長野の日本酒はおいしいですから。
お城口からちょっと細い路地に分け入ったところにある中島酒店。長野県産のワインを中心に日本酒も取り扱う地場産のお酒専門店です。あれやこれやいろいろな銘柄があって悩む…
直感でこれだ!と決めた4合瓶を3本ほど買い込んで来ました。
駅構内のニューデイズの片隅に「おやき」の売店があるのですが、残念ながら時間が遅かったのか食べたいものは全て売り切れてしまっていました。
車内で日本酒と一緒に食べようと思っていたんですけどねぇ…
とりあえずワンカップサイズの日本酒を買って、乗車列車とは別のホームへ。空きっ腹にお酒を飲むのはアルコールが回って危ないので、先に腹ごしらえをします。
0番・1番ホームに立ち食いのそば屋さん「榑木川」があるので、長野らしくそばを食べます。長野県産のそば粉とは書いていませんが、親元の榑木野が地産地消素材と書いているので、きっと長野県産のそば粉なのだと信じて食べます。
コロッケそば 500円。つゆまでおいしくいただきました。
いよいよ旅の最後を飾る列車に乗るときがやって来ました。E353系の堂々12両フル編成、特急「あずさ50号」千葉ゆきです。千葉発着のあずさは1日1往復だけ設定されています。
側面は白をベースにして紫のラインと黒の窓回りというかなりシンプルな美しさですが、先頭部は真っ黒な中に白のLEDヘッドライトが縦に並ぶ厳ついデザイン。
列車名の由来にもなっている梓川をイメージした淡い青色のシートと、白くて明るい照明が清潔感を感じさせます。
空気バネで車体傾斜をする都合上、E353系はE257系に比べて車体の幅が3cmほど狭くなっていますが違いは全くわかりません。天井の絞り込みが激しかったE351系に比べると居住性は天と地ほどの差がある、といっても過言ではないでしょうね。
全席にコンセントが設置されているのも最新世代の車両って感じ。
シート上のランプは座席の指定状況を表しており、指定済みは緑、もうすぐ乗ってくる席はオレンジ、指定されていないかしばらく乗ってこない席は赤に光るようになっていました。
定刻通り松本を発車しました。意図的にモーター車を選んでみましたが、最新型の車両らしく静かな起動音で、新幹線と同じフルアクティブサスペンションのおかげで速度が乗ってきても揺れが少なくてとても快適。テーブルに置いたお酒がたまにこぼれそうになる程度です。
せっかく大雪渓という口当たりの良いおいしいお酒があるので、こぼれないように早めに飲んでおきましょう。
全体的に快適なのですが、減速したときに足下から響いてくる「ブーン…」という音が少々耳障りです。E353系では減速時にモーターで発生させた電力を架線に戻すか、熱に変える抵抗器に通すか、どちらか選べるようにブレーキチョッパ装置を装備していて、おそらくその装置の作動音なのだとは思いますが…
一定の年齢以上の人にしか通じないとは思いますが、201系のチョッパ音に近い音が減速するたびに足下から響いてきます。
日本酒が終わったところで、続いてビールを開けました。
長野県諏訪市に醸造所がある「麗人酒造」というメーカーが手がけているエールタイプの地ビールです。りんどうはちょっと濃いめの茶色をした、ドイツ・バイエルン地方での造り方をしたアルトタイプだそうです。ほんのり甘い香りがしておいしかった記憶は漠然とあるのですが、いかんせん早起きの疲れと大雪渓の酔いが回って半分寝ながら飲んでいたので記憶が曖昧です。
長野県内は空席が目立っていたあずさ50号は甲府で窓側の座席が全て埋まり、ところどころ通路側にも人が座るようになりました。前から2両目という歩いてくるのが面倒な号車でもこの程度は乗っているので、編成の真ん中あたりの車両は7割ぐらい乗っているのかもしれません。
といっても八王子で1/3ぐらい降りてしまい、再び空席が目立つようになります。
新宿には2分遅れで到着。「あずさ」「かいじ」の半数以上は新宿が発着となりますが、一部の列車は東京へ、そして1日1往復だけが千葉まで足を伸ばします。
やはり窓側が埋まるぐらいには乗っていますが、乗客のほとんどは新宿で入れ替わるので乗り通す人はほんのわずかです。「ホームライナー千葉」が消滅した現在では新宿から乗り換えなしで千葉方面へ帰れる唯一の優等列車となっており、新宿~千葉間だけを乗る人も少なくありません。
御茶ノ水駅の手前で中央線快速から総武線各駅停車の線路へと乗り移り、錦糸町の手前でさらに総武線快速の線路へと渡ります。普段は味わえない経路を乗ったままたどれるのも「千葉あずさ」の楽しみです。
20:51、「あずさ50号」は3時間半の長旅を終えて定刻通り終点の千葉に到着しました。このあと幕張本郷駅そばの幕張車両センターに取り込まれて清掃を受けてから、翌朝の千葉発「あずさ3号」となって松本へと戻っていきます。
ちなみに2019年3月まで千葉ゆきの「あずさ」は30号という号数が振られていました。これはあさかぜが八王子市まで通っていた大学時代からずっとこの番号だったので、「千葉あずさといえば30号」というぐらいにはなじみのある数字でした。
E353系に統一された2019年3月ダイヤ改正から「あずさ」「かいじ」を通し番号で振るようになったため、千葉ゆきのあずさは大きく数字が繰り下がって50号となりました。まだ3年足らずの番号なのでなんとなく違和感があります。
ということで413系をメインにひたすら乗り続けた鉄道旅行はこれでおしまい。今回も充実した鉄道旅にすることができました。
次に乗っておきたい列車は…?
うん、アレだな。
それではまた。