しばらく前に、AOC(Air Operator's Certificate、航空運送事業許可)を取得した新潟の新規航空会社「トキエア TOKI AIR」について触れました。
独立系のエアラインとしてはフジドリームエアラインズ(FDA)以来14年ぶりという難関を乗り越えてきたのはもちろん、トキエアが注目を浴びる理由はもう1つあります。
それは同社が導入予定の機材、ATR42-600S。
“S”がつかない、標準タイプのATR42-600は日本でもだいぶ見かけるようになりました。熊本県の天草エアラインが2016年に導入したのを皮切りに、日本エアコミューター、北海道エアシステムといったJAL系が導入。2023年7月からは長崎県のオリエンタルエアブリッジが定期運航を開始し(ピンチヒッターとして実は5月に登板済み)、いよいよANA系にも進出となりました。
<日本でのATR42は天草エアラインが先陣を切って2016年に導入、2代目「みぞか号」を襲名>
ANAグループは今までボンバルディア・Q400を導入してきましたが、2019年に製造権を手にしたデ・ハビランド社(2代目)での生産は一向に始まる気配がありません。
そもそも70席クラスのQ400ではオリエンタルエアブリッジの従来機(DHC-8-Q200、39席)に対して大きすぎますから、現状の後継機はATR42しかないのが実情です。
というわけで日本でも市民権を得てきたATR42-600の中でも、トキエアが2021年に導入を決めたATR42-600Sの何が特別なのか。
自分自身の勉強を兼ねて調べてみました。
<2023年8月10日に就航予定が延びたトキエア(写真はATR72-600)。運航開始へ向け、週に3~4回の習熟飛行が行われている>
ATR42-600Sが通常のATR42-600よりも重視したのは短距離離着陸性能。“Short Take-off and Landing”を略して「STOL エストール」と読みます。
ちなみに垂直離着陸ができるF-35B戦闘機のようなのは、垂直を意味する“Vertical”から取って「VTOL ブイトール」。
ATR42-600Sでは定員の48人が乗った状態でも800m級の滑走路で発着できると謳っています。
標準の-600では800m級の滑走路を使おうとすると、乗客数を22人まで減らさなければならず、もったいない。
48人フルで乗れるようになれば、その分採算性もアップするわけです。
短い滑走路でも発着できるように、-600Sでは主に次の要素が強化されました。
「フラップ」「エンジン出力」「ラダー」「オートブレーキ」です。
● フラップ
「高揚力装置」とも呼ぶフラップ。低速で飛ぶときに安定するよう、主翼の後ろの辺に取り付けられています。
ATR42では斜め下に張り出すことで主翼の面積も増やし、より安定して飛べるようにしています。
張り出してくる角度をより深い25度にすることで、主翼に働く浮き上がる力=揚力を強化する狙いのようです。通常モデルよりも低い速度で飛べるようになれば、その分滑走距離も短くできるというわけです。
<例はわかりやすい大型のA380で。主翼後部に折れ曲がって降りてきているのがフラップ。スピードが上がると空気抵抗になるので、しまえるようになっている>
● エンジンのパワーアップ
一方フラップを展開すると、飛行中の抵抗は増えてしまいます。
水の中をただ歩くよりも、手を広げて歩いた方が力がいりますよね?それと似たようなものです。
抵抗が増える分、引っ張ってやる力を増やしてあげないと望んだ性能が発揮できません。そこで通常モデルよりもパワーアップしたエンジンを装着し、加速力、上昇力を確保するのでしょう。
● ラダーの大型化
ラダー=舵とは、垂直尾翼の後ろの辺についている鼻先の向きを変えるための部品。フラップと似た話で、低速で飛ぶときにラダーが小さいと利きが悪くなり、思うように鼻先の向きを変えられなくなってしまいます。
また、エンジンのパワーアップもラダー大型化の理由だそう。
民間機は片方のエンジンが止まってしまっても安全に離陸できなければいけない、という決まりがあります。
つまりやろうと思えばATR42は1つのエンジンで離陸できるわけですが、例えば左のエンジンが止まってしまった場合、右側のエンジンだけではバランスが取れなくなってしまいます。右側からだけ引っ張る力が働くと機体はどんどん左側へと曲がっていってしまうわけで、それを強引にまっすぐ進めさせるためにはラダーで右向きに曲げてやる必要があります。
エンジンがパワーアップして曲がっていく力が強くなってしまったため、それを補うためにラダーも大きくするとか。
● オートブレーキの搭載
着陸時、ドスンと接地すると同時に自動でブレーキをかけるシステムです。手動でかけるよりも反応が早いので、停止するまでの距離を短くすることができます。
重量のあるジェット旅客機では標準的な装備ですが、機体の軽いプロペラ機(厳密に言えばATR42は「ターボプロップ機」といいます)では一般的ではないのでしょう。
以上の主立った変更に関連して、機体の制御コンピュータも新しいものになるとのこと。
新機種とはいっても機体のベースはATR42ですし、ATR42-600Sの試験機は標準モデルのATR42-600から改造されたようですから、共通性の高さがうかがえます。
なお「800m級の滑走路から離着陸できる」ことばかりがクローズアップされますが、実際に短い滑走路を発着するには性能に制限がかかります。
ATR42-600Sの最大航続距離は680nm(※)(約1,258km)とされていますが、これはあくまで1,200m以上の滑走路が用意できて燃料が満載できるときの話。
900mの滑走路を使う場合は、航続距離は450nm(約833km)に制限されます。
ぴったり800mしかない場合はいくらATR42-600Sといえどロードファクター(簡単に言えば定員に対して乗る人数の割合)を70%に制限した上で、航続距離も200nm(約370km)まで縮まってしまいます。
ATR42の場合、ロードファクター70%だと33~34人といったところです。
※…ノーティカルマイル。1nm≓1.85km
なので、「800mの滑走路」か「800m級の滑走路」か、書き方によってだいぶ様子は違ってくるので、読む側は注意が必要ですね。
<MSFS2020で「訪れて」みた佐渡空港。上空から見てみると890mというのはかなり短く、着地にまごつくとあっという間に滑走路が終わってしまう>
トキエアが就航を目指す佐渡空港の滑走路は890m、新潟空港との単純な直線距離は約65kmといったところ。
また就航が予想されている成田までも佐渡からは直線で約310kmと、佐渡→成田の直行が狙える範囲。
世界遺産になろうとしている佐渡島に国内外からの観光客を直接呼び込むことができる、大きな可能性を秘めたヒコーキです。
ATR42-600Sの航空会社への納入開始は2025年の予定。トキエアにやってくるのは何年頃でしょうか。
そしてもう1つ、「小笠原空港」計画の具体化にもATR42-600Sは一役買っていますが、それはまた今度ということで。
なお、トキエアは2023年6月30日の運航開始を目指して準備が進んでいましたが、スタッフの連携訓練がまだ足りていないということで8月10日に就航予定が伸びてしまいました。
訓練不足で無理に飛ばしたら事故やトラブルに直結しますから、安全な運航のために腰を据えて準備してもらいたいと思います。
とはいえ夏休みが半分終わってからの就航ですから、かき入れ時を逃したダメージもそこそこありそうな気はしますね…新潟日報によれば少なくとも1億2千万円の収益悪化にはなるとのことです。
正式な運航開始日の発表は7月下旬。首を長くして待つことにしましょう。
<美しい自然、豊かな海産物、おいしいお酒。航空路線ができればそんな素敵な佐渡島がもっと身近な存在になるはず>
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参考資料:
ATR42-600 STOL Aircraft - ATR
https://www.atr-aircraft.com/jp/aircraft/atr-42-600s-stol/
STOL型ATR42-600S、初飛行成功 年末に大型ラダー追加 - Aviation Wire
https://www.aviationwire.jp/archives/250803
離島の救世主になるかも? ターボプロップ機「ATR42-600S」設計完了 部品製造へ - 乗りものニュース
https://trafficnews.jp/post/107374
新型ターボプロップ機ATR42-600S 離島の救世主になるか 小笠原空港できれば就航可能? - 乗りものニュース
https://trafficnews.jp/post/93563