あさかぜみずほの趣味活動記録簿

旅行記や主に飛行機の写真をひたすら載せ続ける、趣味のブログです。たまに日記らしき投稿もあり…?

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志摩スペインゴ村に、来た! - 3日目III(2023年3月15日)

まだ時間に余裕があるので、このきれいな鳥羽湾を1周してくるクルーズ船に乗ってみようと思います。
鳥羽水族館から鳥羽駅方面に戻る方向へ歩いて3分ほど、志摩マリンレジャーが運航する「鳥羽湾めぐりとイルカ島」の観光船のりばがありました。こちらも近鉄の企画きっぷ「まわりゃんせ」に含まれています。普通に乗る場合の運賃は2,300円です。

「竜宮城」と名付けられたゴテゴテの装飾がついた船に乗って、いざ出航。

 

shima-marineleisure.com

 

 

沖縄とはまた違う海の青さに目を奪われます。
陸上では上着のいらない暖かさでしたが、海に出て風を切って走り始めるとさすがに肌寒い…

 

 

およそ10分でまず鳥羽マリンターミナルに寄港します。先ほども触れた通り湾内の島々を結ぶ定期船の発着する港で、ただの船着き場というだけでなく海を眺められるカフェや展望台もある観光施設としても機能しています。

ちょうど伊勢湾フェリーが出航するタイミングでした。湾の対岸にある伊良湖岬とを約50分で結ぶフェリーで、1日9往復、繁忙期には13往復が運航されています。国道42号線の海上区間を担う重要な航路ですが、経営状況は苦しかったようで2010年以降は地元自治体が全ての株式を保有して運航を続けています。

 

peraichi.com

 

 


続いて寄港地のイルカ島へと進んでいきます。
写真に見えるのは三ツ島という景勝地。文字通り3つの島がきれいな間隔で並んでいる姿が美しいとのことで、付近の海上には観音像も建てられているほど昔から親しまれている場所です。

 

www.iseshima-kanko.jp

 

 

船内の売店ではカモメにあげるためのかっぱえびせんが販売されていますが、最上階のデッキではエサをやらないようにと注意書きが掲げられています。注意書きを読めないおばちゃんたちが容赦なく開けていましたが…

なぜ最上部のデッキであげてはいけないかがなんとなくわかる光景が繰り広げられます。
カモメに混じって、いや、カモメよりも多く観光客のかっぱえびせんを狙いに来るのはトンビ。「鳶が鷹を生む」なんて言われて平凡な親のたとえにされているようなトンビですが、彼らだって紛れもなくタカの仲間です。
その抜群の視力を生かして、上空から観光客が持つかっぱえびせんをかすめ取っていくのはさすが猛禽類

 

さすがにおばちゃんたちも懲りたのか、それともかっぱえびせんを撒き終えたのか、トンビもほとんど寄りつかなくなって静かになりました。相変わらず頭上からはピーヒョロロ…と我々を監視する声が聞こえますが…

ほとんど揺れることもなく、遊覧船は湾の中をゆったりと進んでいきます。

 

鳥羽マリンターミナルを出てから約15分、イルカ島に寄港します。島1つがまるごと志摩マリンレジャーが運営する遊園地になっており、イルカショーやアシカショーが見られるそうです。頂上には周囲を一望できる展望台もあります。

入園料は観光船の運賃に含まれているので追加料金は不要。今回は時間がないのでパスしますが、半分ぐらいの乗客が入れ替わったでしょうか。

 

shima-marineleisure.com

 

 

25分かけて出発地の「真珠島・水族館前のりば」まで戻ります。

 

のりばに着く直前、観光地に似つかわしくない廃墟が見えてきました。坂手島にある「ホテルニュー美しま」の跡地です。バブルの乱開発でできたものかと思っていたら、少なくとも1975年よりも前には営業していたようです。

ホテル名で検索すると未だに「楽天トラベル」などで表示されるのですが、どうやら2010年代半ばには廃業となっている様子。

 

志摩半島を代表する産業といえば真珠アコヤガイを養殖し、真珠を安定的に生産できるようにしたのは御木本真珠(現 ミキモトの功績です。
1905年に真円の真珠を作ることに成功して大きくなった同社は、1951年にレジャー施設として「御木本真珠島」を建設しました。館内では真珠の養殖についての解説や、真珠を使った製品の展示がされています。

あさかぜが2012年に訪れたバーレーン王国は紀元前2000年頃から天然の真珠を採取して豊かになった国でしたが、1930年代には急速に衰退していきました。その衰退の理由はまさに真珠の養殖が成功したからで、言葉を選ばなければミキモトバーレーンを破壊した」ともいえます
とはいえバーレーンはその後すぐに石油が発見されて1990年代まで中東の中心地として機能しますから、石油成金になれた運の良い国ではありました。

 

www.iseshima-kanko.jp

 

 

およそ50分の鳥羽湾めぐりはおしまい。最後に遅めのお昼ご飯を食べて帰路につくことにしましょう。

 

鳥羽駅前にある商業施設「鳥羽1番街」に入っている味佐々(みささ)」でお昼ご飯にします。湾内の答志島で採れる魚介類をメインに出すお店だそうです。

お店イチオシの味佐々丼をいただくことにします。330円で日替わりの焼き貝がついてくるとのことなので、それも一緒にオーダー。おいしいカキが食べられたのはラッキーですが、焼かれた貝はお酒が欲しくなってしまいますね…

 

misasa-toba.jp

 

 

海の幸に舌鼓を打っているうちに気がつけばもう夕方4時「遅くとも夕方までに出なければ」とか言っておきながらこのザマです。
あさかぜのするクルマ旅行というのはどうしても時間にルーズになりがちです…

 

帰りのルートは伊勢自動車道を北上して伊勢湾岸道に入り、新東名を東へ進むというもので、ひたすら往路とほとんど同じ道をたどって帰ります
なのでこれといって特筆するようなものもなく、愛知県を抜ける頃には日も沈んでしまいますから、ほとんどは自分との戦いを繰り広げるだけ。

 

さすがに伊勢湾岸道は交通量が多く少し気を遣いました。若干渋滞気味になる区間はあったものの、そこそこスムーズにクリア。

 

予想通り新名神に入る頃にはほとんど日が暮れてしまいました。往路と同様にトラックを中心に交通量が多いため、せっかく高規格の道路なのを生かし切れていません。
やはり早期の片側3車線化が望まれますね…

 

伊勢道の安濃(あのう)PA、新東名の長篠設楽原(ながしのしたらがはら)PAでトイレ休憩に寄りつつ、19時ちょうどに新東名のNEOPASA浜松に到着しました。

遅いお昼ご飯を食べたからまだ4時間も経っていないものの、やはり浜松に来たからには食べておきたいものがあります。

 

sapa.c-nexco.co.jp

 

 

そう、浜松といえば「浜松餃子。ここNEOPASA浜松にもちゃんと浜松餃子の定食メニューが用意されていました。

浜松の餃子の特徴はキャベツがたくさん使われているところだそうです。混ぜられるタマネギも含めて餃子のタネは6~8割が野菜で、肉は3割程度しか入っていないことになります。
愛知県産のキャベツは甘みが強く、その風味を損ねないようにニラも入らない、味も中身も優しい味わい。確かに普通に食べる餃子よりはちょっとシャキシャキ感があるような…?

 

www.hamamatsu-gyoza.jp

 

 

1時間おきぐらいにSA・PAに寄って軽い休憩を取ります。クルマから出て外の空気を吸うことで気分のリフレッシュになって、長距離を運転するのがだいぶ楽になる感じ。
ぶっ通しで走った方が確かに走行距離は稼げるものの、一般道と違って窓を開けながら走るというわけにもいきませんし、あさかぜとしてはこのやり方がベストです。

NEOPASA清水はトラックの駐車エリアがほぼいっぱいで、本線に合流するまでの接続部の左右にもびっしりとトラックが止まっていました。
我々の生活のありとあらゆる部分でトラックのお世話になっているわけですが、とりわけ大型トラックでは休憩場所のなさが深刻。こうして夜間のSAに立ち寄ってみるとその実態がよくわかります

 

22時頃、都心まで戻って来ました。昼間ならだいたい渋滞にはまってウンザリするエリアですが、この時間ともなれば逆に混んでいる方が珍しい。
一昨日出かけたときはそこかしこで渋滞していた首都高を、どこもつっかえることなく走り抜けて京葉道路へ。

やたらと飛ばして追いついてくるクルマがいて、スムーズだからと言って気を抜けないのが首都高のあまり好きになれないところですが…

 

京葉市川PAまで戻ってくればもう家に帰ってきたのも同然です。
昨日はホテルと志摩スペイン村を往復しただけなので、走行距離1,100kmのほとんどは三重県との往復。そう考えると「志摩半島って結構遠かったんだな」という気はしなくもありませんが、あまり疲れていないのはスバル・レヴォーグの足回りやシートの出来の良さがあってこそでしょう。

自宅まではあとちょっと、最後の最後まで安全運転を意識して帰らなくては。それではまた。

 

www.driveplaza.com