さっき走ってきた三陸道を少し南下し、田老真崎海岸ICで降ります。今日も1つ震災遺構を見て学ぶことにしましょう。
田老の中心街を抜け、防潮堤も兼ねる三陸鉄道の築堤をくぐった先に目的地の「たろう観光ホテル」があります。
● スタート地点から:957km
1986年に完成した「たろう観光ホテル」。地上6階建ての大きなホテルでしたが、高さ17m以上にもなったとされる津波で大きな被害を受けました。
建物の4階まで浸水し、水圧で1階・2階の壁はまるっきり消失。エレベーターなどがあったらしい建物中央部のみ原形をとどめています。
建物の隣には立派なひさしのある建物正面の写真がありますが、今の姿からは到底想像もつきません。
鉄骨だけが残っている下層部分は、まるで建築中の建物かのようです。
2013年10月には震災遺構に認定され、津波に襲われた姿のまま国費で保存されることが決まりました。
ちょうど中学生が校外学習に来ていたようで、観光バスが駐車場に2台止まっていました。建物の中からはガイドさんの説明の声も響いてきます。
他の多くの震災遺構と同様に個人がふらりと来て立ち入れるものではなく、事前の予約が必要とのことです。たまたま来ただけのあさかぜは外観を眺めるのみ。
建物の背後にあるのは見学者用に新たに設置されたエレベーターです。今までは右側にある非常階段のみでしたが、EVの設置でバリアフリー化が図られました。
「たろう観光ホテル」のすぐそばには、大きな地震や津波がまた来たときに備えての避難経路が示されていました。東日本大震災は、とにもかくにも高いところへ避難することの大切さが改めて示された例でもあります。
この震災は地殻変動も目立った地震でした。たろう観光ホテルのすぐ目の前にある基準点では地面が南東に2mずれ、地盤沈下も0.3mあったとのこと。地面がまるごと2メートルも動くなんて、にわかには信じがたい…
来たときには気付きませんでしたが、三陸鉄道の築堤の海側には防水扉が備えられていました。大きな地震が来たらこれを閉めて津波に備えるようです。
雨は降ったりやんだり、さらに海霧まで出てきて視界が悪くなってきました。
クルマで20分ほどのところにある景勝地「浄土ヶ浜」を目指します。
● スタート地点から:972km
浄土ヶ浜の玄関口「浄土ヶ浜ビジターセンター」。かなり広い駐車場があるので余裕を持って止められます。
浄土ヶ浜は宮古の景勝地で、まるで極楽浄土のような美しい景色が見られることから名付けられたそうです。
ビジターセンターは3階建ての建物で、駐車場が接しているのは一番上の3階部分。階段やエスカレーターで1階まで降りると、浄土ヶ浜へ通じる歩道に出ることができます。
いたるところに「遊覧船 運航開始」ののぼりが立っているのでてっきり今日も運航しているのかと思っていたら、5日後の2022年7月17日からでした。
老朽化で去年の1月に58年の歴史に幕を下ろした遊覧船は、クラウドファンディングなどを経て船を新造。改めて「宮古うみねこ丸」として運航を再開するとのことです。
だんだんと白い岩が目立って浄土ヶ浜っぽくなってきました。
あさかぜは地学を取らなかったので石や岩のことはさっぱりわかりませんが、自治体のウェブサイトなどによるとこの白い岩は流紋岩というのだそう。二酸化ケイ素が多く含まれているので白く見えるとか。
歩道がある側は切り立った断崖絶壁。遠くまで見渡せる立地を活かして、戊辰戦争の頃には砲台が置かれた「お台場」もありました。
足下の海は穏やかで透き通っています。
湾を囲むようにそびえる外側の岩は波に削られて荒々しい姿をしています。太平洋の荒波を文字通り身を削って受け止め、この美しく穏やかな光景を作り出しているわけです。
ビジターセンターから15分ほど歩いて、思い出の浄土ヶ浜に到着しました。
小学生か中学生の頃か忘れましたが、すぐそばの浄土ヶ浜パークホテルに泊まり、歩いてこの浜まで来て海に入ったのを覚えています。
あの日は今のようなどんよりとした曇り空ではなく、雲ひとつない快晴でした。夏の太陽の光が足下の岩や海に反射し、眩しいぐらいに輝いていたのをありありと思い出します。
まぁでも海水は冷たかった…!
もずくのような海藻もたくさん浮いていましたね。あの時とは1ヶ月も違わない時期に来ているはずですが、体にくっつくぐらいたくさんあったあの海藻は今日は見当たりません。
返す返すも天気がいまひとつなのが本当に残念。それでも20年ぐらい前の記憶の中にあった景色を、こうやって実際に見ることができたのは感動です。
それにしても大きな石がゴロゴロしていて、浜辺は靴を履いていても歩きづらい…苦痛とは感じていなかったであろう、あの時の身軽な自分がうらやましくなります。
そして浄土ヶ浜も東日本大震災では甚大な津波の被害を受けた場所でした。
浜辺から振り返ったところにすぐ見える「浄土ヶ浜レストハウス」の柱には、2階部分をほぼ覆う高さのところに津波浸水ラインの掲示があります。先ほどあさかぜがビジターセンターから歩いてきた歩道も、津波によって破壊されたあとに作り直されたものです。
レストハウスから第3駐車場に通じる道路は、現在は地震が発生した際の避難路に指定されているとのこと。
せっかくここまで来ていることですし、小型ボートの「ざっぱ船遊覧船」で湾内を1周することにします。ちょうど客はあさかぜ一人だけだったので、8人ぐらい乗れそうな船の最前列へ。
動き出すなり、乗船時に渡されたかっぱえびせんを目当てにウミネコが集まってきます。人間は食べ物をくれる存在だと完全にわかりきっているので、野鳥とは思えない距離感の近さ。
安全のためにヘルメットと救命胴衣を着ていますが、容赦なくウミネコが頭の上に乗っかってくるので頭の上からカタカタと音が響きます。
噴火で流れてきた溶岩が急速に冷やされて固まると、同じ方向に向かって割れ目が走る岩ができあがります。これを「節理」といって、浄土ヶ浜にある流紋岩ではいたるところで柱状節理が見られます。
他にも特定の条件がないとできない岩の形があるそうですから、地学の知見がある方はぜひ遊覧船で観察しに行っていただきたいですね。
船頭のおじさんが操船しながら事細かに景勝地を教えてくれます。目の前に見えている不思議な形の穴は「八戸穴」と呼ばれるもの。船はスピードを落とし、ゆっくりと穴の中へ入っていきます。
飛び出した岩が頭上すれすれに迫ります。なるほど、ヘルメットをかぶるのはウミネコ対策ではなかったのですね。
一番奥に見えるのが八戸穴の真髄?といえる部分で、この穴ははるか遠くの青森県八戸市まで通じているという言い伝えがあります。
八戸穴は「青の洞窟」と呼ばれてもいる景勝地です。
イタリアのカリブ島をもじったもので、確かにエメラルドグリーンの海が岩に反射してとても美しい光景が見られます。晴れた日ならもっと輝いて見えるそうですが、それでも今日は充分きれいに見えている、と船頭のおじさん。
船に乗らないと見られませんし、波が荒れていると洞窟の中には入れないそうですから、「入れた人は願いが叶う」ともいわれているとか。
青の洞窟から出て岩を回り込むと、またウミネコにまとわりつかれます。かなり近くまで寄ってくるのでよく観察できるのが面白いところ。
ウミネコはカモメの仲間。ほんの少しだけカモメより大きな鳥で、体長は44~48cm、羽根を広げると120cmほどになる、近くで見ると結構大きな鳥です。
知名度の高いカモメは実は冬~春にかけての渡り鳥で、日本では留鳥のウミネコの方を見ている機会が実は多いのかもしれません。繁殖するのも日本周辺に限られているそうです。名前の由来は「ミャーミャー」という鳴き声がネコに似ているから。
昔から「漁場を教えてくれる鳥」として漁師からは重宝されてきたウミネコですが、近年は都会で繁殖して害鳥とも認識されるようになっているそうです。
20分ほどの遊覧を終えて船着き場に戻ってきました。
途中からしっかり雨に降られてしまってビショビショになってしまいましたが、そんなことは気にならないぐらい見所があって楽しかったです。天気がいい日ならもっと色々楽しめるでしょうね。ウミネコはもういいや、って感じですが。
あさかぜと入れ替わりに3人がざっぱ船に乗り込んでいきました。行ってらっしゃい!
せっかく来ているので、戊辰戦争の時期に大砲が置かれていたという「御台場展望台」にも登ってみます。
こここそ本当に天気の良い日に来たかった…!展望台から浄土ヶ浜が一望できますから、ここから青く輝く海と真っ白な岩肌が見られればどんなに美しかったことでしょう。
天気の良い日での再チャレンジを誓って、浄土ヶ浜をあとにします。お昼1時を回りお腹が空いてきました。お昼ご飯を探さねば!
他の海沿いの街と同様に、宮古市でも沿岸部に大きな防潮堤が建設されています。それに合わせて道も整備されているようで、沿岸部には走りやすい道が続きます。
海から離れた市街地は昭和の頃から続く街並みといった感じ。道幅が多少狭いのはまぁ仕方がないとしても、唐突に直進禁止の交差点が現れて右へ左へと遠回りを余儀なくされるのには面食らいます。
>>つづく<<