あさかぜみずほの趣味活動記録簿

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2019年7月1日:日帰りで首里城を巡ってみる

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161441 posted by (C)あさかぜみずほ

ひどくカゼを引いて鼻をズルズルしながら那覇までやってきましたが、機内の気圧差のせいか耳がおかしくなってしまいました。音は聞こえるものの、何かフィルターを1枚挟んだようにくぐもった感じに…

ただそれ以外はさほど調子は悪くないので、予定通り首里城へ向かうことにします。その前に、すでに夕方4時前ですが遅めのランチを済ませてから。

赤嶺駅から徒歩5分少々のところにある「魚まる」へやってきました。

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155622 posted by (C)あさかぜみずほ

沖縄周辺で採れた魚介類を中心に味わうことのできる食事処です。ようやくここで長らく目標にしてきた琉球まぐろ丼をいただきます。

どんぶりは普通の醤油ではなく、ちょっと甘く味付けのされた専用のしょうゆが別に添えられています。お皿に注いで、わさびを溶いてピリッとさせてから頬張ります。身がしっかりしているのに柔らかくてとても美味しい!もちろん生臭さなんてものは全くありません。しかもこれで500円です。

実は沖縄はマグロの産地で、1年を通して様々な種類のマグロが穫れるのだとか。そして近海で穫れるので冷凍することなく流通させることができるといいます。

一緒に刺身の盛り合わせ(小)も注文します。580円でしっかりお刺身が味わえるのも魅力的。一杯やりたいところですが、このあとの予定があるのでガマンガマン…

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IMG_3311 posted by (C)あさかぜみずほ

赤嶺から「ゆいレール」で終点の首里までやってきました。半年後のてだこ浦西までの延伸を控え、首里駅も工事の真っ最中です。駅を出て南西側にある丘陵地帯に跡地が世界遺産に認定された「首里城」が鎮座しています。

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IMG_3317 posted by (C)あさかぜみずほ

毎度のごとく時間はあまりないのでペースを上げながら丘を登っていきます。丘を登らないバリアフリールートもありますが、距離的には結構遠回り。楽なルートは帰りに残しておいて、まずは正当?なルートを進みます。梅雨時なので湿度が高く、なかなかに辛い…

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だいぶ登ってきました。少し足を休めて市街地を見渡します。現代になっても琉球瓦を模した赤い屋根が多いことがよくわかります。沖縄らしいですね。

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城壁に沿って登ったり下ったりを繰り返していると、ようやく首里城の入り口が近づいてきたようです。まずはこのまま進んで県指定有形文化財守礼門」を見に行きましょう。首里駅の側から行くと城郭への入り口が守礼門より手前になってしまうのです。

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創建された年代は具体的にはわからないそうですが、元々は1500年代前半に作られたのは確かだという守礼門。中国からの使節をここで三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)の礼で出迎えました。第2次大戦末期の沖縄戦で焼失し、1958年に復元されたものが現在の「守礼門」です。

首里城そのものは実は世界遺産ではありません。城壁や建物は復元されたものも多く、そうしたものは登録の対象にはならないのです。なので世界遺産に登録されているのはほとんどが「跡」です。

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IMG_3342 posted by (C)あさかぜみずほ

門を通り抜けてすぐのところにあるのは園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)。琉球石灰岩でできています。琉球国王が外出する際に安全の祈願を行った礼拝所で、人が通り抜けるための門ではありません。この門は世界遺産に登録されています。

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IMG_3344 posted by (C)あさかぜみずほ

城郭の入り口にそびえる「歓会門(かんかいもん)」を抜けます。歓会は歓迎のことですが、もちろん我々のようなそこらの一般人を歓迎するものではありません。相手は当時の中国皇帝からの使者です。

琉球王国は中国が明の時代から冊封国として中国皇帝の臣下とされていました。守礼門のところでも書いた三跪九叩頭というのも目上の存在である皇帝の使者を迎えるための、格下のものが行う儀式です。今の価値観からすると地面に頭を打ち付けて出迎えるなど屈辱的なものですが、当時はそうやって帝国の威光を見せつけたのでしょう。

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「瑞泉門(ずいせんもん)」は1992年に復元されました。門の両脇には狛犬のように魔除けの石でできた獅子の像が置かれています。

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瑞泉門の手前から右側を見下ろすと湧き水があります。「龍樋(りゅうひ)」です。

NHKの人気番組「ブラタモリ」によれば、首里城のある丘は上の部分が石灰岩、下の部分が水を通さない泥岩でできているのだとか。降った雨は石灰岩の部分で地面に染み込んだあと、泥岩との境目で流れ出てきます。それが首里城の豊富な湧き水なのだそうです。

使者が来ると、この龍樋で水を汲んで使者の滞在する宿舎まで毎日運んでいたそうです。中国の使者は天子の使いで「天使」と言われるだけ偉いんですね…

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門に次ぐ門です。今度現れたのは「漏刻門(ろうこくもん)」。水時計が設置されて時間の計測を行っていたとされています。そばには日時計もあって水時計の補助をしていたのだとか。

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階段だらけでだいぶ疲れてしまいました…まだ城内に入っていないのに。見下ろすと首里城の二重になっている城壁がよくわかります。

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ようやくここが最後の門になります。「広福門(こうふくもん)」は建物自体が門としての機能を持つ日本の城郭では見られない形式です。

このあたりは「下之御庭」と呼ばれるエリア。どう見ても「したのおにわ」ですが、ここでは急に琉球言葉になって「しちゃぬうなー」と読むのだそう。意味は漢字そのままで、儀式の控えの場として使われていました。

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IMG_3361 posted by (C)あさかぜみずほ

1992年に復元された「奉神門(ほうしんもん)」から先がいよいよ有料展示エリアとなります。左手前に券売所があるので、入館券を買ってからこの先へ進みます。

奉神門の3つある入り口のうち、中央の大きい門は国王や冊封使といった身分の高い人だけが通れるものでした。それ以外の人たちは左右の門のみが使えます。

ありがたいことに観光客は天使と同じレベルの扱いを受けるのか、堂々と真ん中から入場できます。

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IMG_3363 posted by (C)あさかぜみずほ

視界が開けました。赤と白の敷瓦で美しく舗装された広場の先には正殿が鎮座しています。思わず「おおー」と声が出るぐらい美しい光景です。

この広場は「御庭」と書いて「うなー」と読みます。正殿の正面に伸びる赤く舗装された部分「浮き道」は国王や使者などの高位の人しか歩くことができませんでした。

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IMG_3367 posted by (C)あさかぜみずほ

正殿に向かって右側には冷房の効いた展示館があるので入ってみましょう。ようやく体にまとわりつくような湿気から解放されます…

館内には歴代の国王の肖像が並んでいたり、伝統的な芸術品が展示されています。日本とは違う国だったこともあって、やはり文化や風習は様々なところで違いが感じられます。もちろんこの首里城というお城の構造も。日本語で「城」とは言うもののやはり「グスク」という別物です。

ミニチュアの模型で謁見の様子が再現されていました。正殿の正面は日本の神社などと同じ「唐破風」が採用されています。ただ細部は日本の神社の造りとは大きく異なっています。ちなみに漢字も呼び名も「唐玻豊(からはふう)」と若干異なっているのも特徴です。

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IMG_3370 posted by (C)あさかぜみずほ

やがて正殿の中に到達します。2階部分「大庫理(うふぐい)」には国王の玉座である「御差床」が飾られています。これもまた漢字からは全く読み方が想像できませんが、「うすさか」と読むのだそう。ここでは琉球王国の重要な祭祀の行われていた場所。

玉座の周りの意匠からは中国の影響を強く受けていた様子がよくわかります。背後に控える扁額は時の中国皇帝から贈られたものです。正殿もろとも戦火で焼け落ちているため、古い記録を元に筆跡なども含めて再現されたそう。

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IMG_3385 posted by (C)あさかぜみずほ

玉座の後ろからは直接1階部分「下庫理(しちゃぐい)」へと通じる階段があります。1階の御差床では政務を行う場所で、謁見などがあった場合はここで行われていたのでしょう。

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正殿の背後には「東(あがり)のアザナ」という高台があり、首里城那覇市街を一望することができます。アザナとは物見台のことを意味するようなので、眺望がいいのは当然なのでしょう。

正殿の裏にも国王即位の儀式を行う「世誇殿(よほこりでん)」、国王の亡骸を安置する「寝廟殿(しんびょうでん)」など重要な役割を果たした建物がいくつも並んでいます。

「東のアザナ」エリアは2019年1月末に復元が完了して公開されたばかりの施設です。

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城壁はやはり琉球石灰岩でできています。伝統的な建材で、沖縄県の属する南西諸島では当たり前のように見られる材料です。元になったのはサンゴの死骸で、このあたり一帯が全て海の底であったことを表しています。

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IMG_3395 posted by (C)あさかぜみずほ

あまり時間が無くなってきました。ちょっと急ぎ足で城のある丘を下ります。ここは城壁の南端にある「木曳門(こびきもん)」。扉も何もありませんが、通常はここは石を積んで封鎖されていたのだそう。数年に1回城の修理を行う際に資材の搬入口として使用されたとか。

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IMG_3397 posted by (C)あさかぜみずほ

帰りは階段のないバリアフリールートをたどってモノレールの駅へと戻ります。

途中に見えるのは弁財天堂と円鑑池(えんかんち)。やはり中国の影響を強く受けた構造の橋が見えます。池は人工で1502年に掘られたもので、首里城や池の奥にある円覚寺から流れてくる雨水を貯めています。

弁財天堂はその名の通り、水の女神である弁財天を祀っていました。過去形なのは、やはりこれも沖縄戦で中の像が破壊されてしまったから。建物自体は1968年に復元されていますが、中の像までは残念ながらどうにもならなかったようです。

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IMG_3399 posted by (C)あさかぜみずほ

無機質になりがちの交番のデザインもしっかり琉球建築なのは好感が持てます。かなり新しく見える建物なので、最近の交番はこうして街の雰囲気に溶け込むような構造になっているのでしょうか。

というわけでモノレールの首里駅から那覇空港へ戻ります。短い時間でしたが、首里城の魅力を大いに味わうことができました。また泊まりがけなどで時間のあるときに…

なんてのんきに思っていたら、2019年10月末の火災で正殿を含め多くの建物が焼失してしまいました。あれほどの荘厳な建物の数々が一晩で灰に帰してしまったと思うと衝撃的です。何度も火災に見舞われている首里城ですが、1945年以来これで5回目。前回は戦火だったとはいえ、文化財が収用されている以上もっと防火対策はあったんじゃないのか、と思ったりもしますが、これは結果論でしょう。

我々のような部外者は1日も早い復興と復元を願うのみです。

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IMG_3401 posted by (C)あさかぜみずほ

ちなみに耳の不快感は翌日になっても良くならず…

耳鼻科に行ったところ、鼻水が逆流して中耳炎を引き起こしているとのこと。鼻水を一掃した上で、雑菌を殺すための抗生剤も処方されることになりました。皆さんもカゼをひいているときは飛行機に乗るのはできるかぎりやめましょう…機内の気圧の変化と乾燥はいいことがありませんから。