生まれてこの方、幼稚園時代を除いてずっと千葉に住み続けているあさかぜですが、実は県内に完乗できていないJRの路線が未だに残っています。
大学生時代は国鉄型ディーゼルカーの追っかけをしていたので沿線にはたびたび出没していましたが、乗るとなったら”20年ぶり”でもききません。
ようやく乗る機会に恵まれたので、近頃何かと話題の久留里線を全線走破といきましょう。
12時に千葉を出る普通列車でまずは木更津へ向かいます。8両編成の車内はガラガラで、数の少ないボックスシートも1人で使えるぐらいしか乗っていません。のびのび過ごせてありがたい。
窓の外はもはや完全に真夏の様相です。今日も屋外を少し歩くだけで汗がにじみ出てくるほど暑い…
45分で木更津に到着しました。20分ほどの乗り換え時間の合間にきっぷを買ってこなければなりません。
久留里線は天下のJR東日本が運営する路線でありながら、2023年になっても未だに交通系ICカードが使えません。あのJR鹿島線ですら2020年3月からSuicaエリアに組み込まれたというのに。
旅行者からすれば旅の記念にもなるので目をつぶれるとしても、一般的な利用者からすれば不便な話です。カネをかけてSuicaを導入するほどの需要がない、ということの裏返しなのかもしれませんが…
12:50をちょっと回ったぐらい、上総亀山ゆきが入線してきました。
久留里線の列車は1時間に1本程度ありますが、およそ2/3は途中の久留里どまり。終点の上総亀山まで走り通す列車は少なく、この列車の前は7:25に出て行ったきりです。「JR北海道のローカル区間かよ」とツッコミを入れたくなるほど。
久留里までの需要もそれなりにあるのもの思っていましたが、2両編成の車内はガラガラです。全体の1/3の席が埋まるか埋まらないかというぐらいの乗客数なので、1両編成でも十二分に用が足りそうです。
933D 上総亀山ゆきは、定刻の13:01に木更津を発車しました。冒頭にも書いた通り、最後に乗ったのは20年以上前の話なので記憶がほとんど残っていません。
当時走っていたオンボロディーゼルカーがガタピシいいながら走り、ドアの開き方もめちゃくちゃ、運転士さんはかぶりつきしているあさかぜをたびたび振り返ってはニコニコしている、という断片的な記憶が残るのみ。いま思い返せば「平成中期にしたって古すぎるだろう」という気がしてなりませんが。
前方から目を離していたのもまぁ当時の千葉のローカル線らしいというか…
久留里までは比較的大きな県道・国道に沿って走ります。平たい土地で線形も恵まれているはずなのに、トップスピードは60km/hがせいぜいで全くキビキビと走りません。10年前とダイヤを変えていないので、現代のキハE130系では性能を持て余しているのでしょうね。
併走するのは片側1車線の道路ですが、木更津から遠ざかるにつれて列車を軽々と追い抜いていくクルマが目立つようになります。
久留里線の列車に乗った記憶はろくに残っていなくても、撮った記憶はそこそこ残っています。といってもオンボロディーゼルカーの追っかけをしていたのは2010~12年と、これまた10年以上前の話なので撮影ポイントなどは厳密に覚えていないのですが…
なんとなく「この辺で撮ってたなぁ」というのを記憶しているだけです。
木更津からのんびりと走ること45分、久留里に到着しました。7分の停車時間は、過去に上総亀山からの列車との行き違いが設定されていたのかもしれません。
それにしても車外に出ると暑いの何の…
幼かった頃、それこそ20年前ぐらいの6月ってこんなに暑かった記憶はありません。まだ断然過ごしやすい気候だったような気がします。
12:53、いよいよ初乗車となる区間へ踏み出します。今まで平野を走ってきた久留里線はこのあたりから房総丘陵に入り、車窓には急に高低差のある景色が広がります。
とはいっても千葉県は所詮「平均標高が日本最下位」、つまり日本一ぺったんこな県なので、坂道の険しさなんてたかがしれています。
それでも10年以上前に撮影していた国鉄型のディーゼルカーはえっちらおっちら登っていた姿を思い出しますが、さすがに現代のキハE130系ならば余裕の雰囲気。
乗客は10人ほどに減りました。廃止の危機に瀕している区間にしてはずいぶん乗っている方です。しかし見渡してみると、あさかぜを含めてほとんどの人が”乗り鉄”目的のような風体の人たちで、地元の人らしき姿が見当たりません。
併走する国道をクルマで走ってみてもこのあたりは人家が少なく、雑木林や田んぼばかり。サルが雑木林から道路に飛び出してきたところを運転中に見たことがあるぐらいです。
そんなところを走っているのですから、利用が極端に少ないのも当然といえば当然…
14:11、終点の上総亀山に到着しました。折り返し時間16分のうちに手早く写真を撮ってくることにします。
駅舎は年季の入った木造駅舎で、1936年の開業時から使われているものだとか。2012年から無人駅になっていますが現在でも夜間に滞泊する列車があるので、駅舎自体は乗務員用の宿舎として機能しているようです。
駅舎の軒先にはだいぶ大きくなったツバメの雛が親鳥の帰りを待っていました。ツバメは人通りの多いところに営巣しますが、こんな1日数本の列車が発着する程度の駅で大丈夫なのでしょうか…?
駅前にはいくつか店舗があるものの、どれもシャッターが下りています。手前の「亀田屋」というお店は駅前の唯一の商店として現役だそうですが、この日はたまたまだったのか営業していませんでした。
歩いて15分ほどのところには亀山湖(亀山ダム)があって、キャンプや釣りなどのアウトドアレジャーが一通り楽しめます。さほど駅からは遠くない距離だと思いますが、本数が少なくて使いづらい久留里線を使うよりもクルマの方が圧倒的に便利です。わざわざ電車に乗って亀山湖までキャンプに行こう、なんて人はそうそういないでしょうね。
線路は駅から100mほど行ったところで途切れています。当初は国鉄木原線(現 いすみ鉄道いすみ線)とつながって、太平洋側にある大原までの「房総半島横断路線」になる計画でした。
戦争があったりなんだりで木原線は上総中野で建設が止まってしまいましたが、小湊鐵道と接続することで房総横断という目的を達成。一方で接続先がなくなった久留里線は計画を達成できないまま、上総亀山まで来たところで終わってしまったのです。
当然ながら線路の延伸計画など現在では存在するはずもなく、それどころか末端区間は廃止の危機さえ迎えているのが現状。
帰りは学生時代に撮影していた写真も織り交ぜながら、木更津まで戻りましょう。
これは折り返しを待つキハ30形の姿を、上の写真とほぼ同じ場所から撮影したものです。斜めになっていて技量の低さを感じざるを得ませんが、まぁあえて当時のを補正する必要もないでしょうから…
キハ35系という一族に属していたキハ30形。2009年から3両全てが国鉄時代のクリーム色+赤色のデザインに復元されて注目を集めました。
ひたすら国鉄時代の古老たちが跋扈していた久留里線に、ようやく近代化の波がきたのは2012年のこと。温暖な房総半島の仕様に合わせたキハE130系100番台が10両投入されました。
木更津近辺の通勤・通学需要に対応するために車内は全てロングシート、短距離路線であることからトイレもない純粋な通勤型車両として用意されました。
デザインは久留里線のイメージに合わせた黄・緑・青の3色が引き継がれましたが、色合いは明るめに変更されています。
上でも少し触れましたが、JR東日本は2022年11月に運営する全路線の平均通過人員(≓その区間の1日あたりの利用者数)と、収支状況の良くない路線の営業係数(=100円を稼ぐのにかかる費用)を公表しました。
残念なことにワースト3にランクインしてしまったのが久留里線の久留里~上総亀山間。2021年度の平均通過人員は55人/日、営業係数は19,110円と惨憺たる有様です。
営業キロが短いので赤字額は2億8千万円弱と、例えば同じ千葉県内の内房線館山~安房鴨川間(△13億4千万円)に比べればかなりマシな数字ではあるものの、1日1,300人以上が利用するのと55人しか使わないのとでは重要度は段違いです。
このリストが発表されるなり、例のごとく動労千葉(国鉄千葉動力車労働組合)は署名集めなどの反対活動を展開。3月には沿線でも「久留里線と地域を守る会」なるものが発足し、存続への運動をスタートさせているようです。
守る会でも何でも存続活動をするのは大いに結構ですが、「残ったときの『覚悟』ができているのかな?」とあさかぜは常々疑問に感じています。「地域のプライドのために鉄道を残せ!でも一銭も身銭は切らん!」では当事者以外の一般的な支持は得られません。
どうしても残したいのであれば都合の良い理想論を語るのではなく、建設的な議論や実効性のある提案が求められる時代であることをしっかりと認識しなければなりません。
久留里線の追っかけをしていたのは、先述の通りもう10年以上前の話。改めて考えてみると暴力的なまでの時間の過ぎ去り方に戦慄しますし、同時にあさかぜの脳内から撮影ポイントの記憶も容赦なく奪い去っていきました。
古いディーゼルカーが現役だった頃の朝ラッシュ時間帯には3両編成の運用があり、必ず木更津側の先頭に国鉄色のキハ30が先頭に立っていました。
おそらく撮影ポイントはこの平山駅近くの踏切だったはずですが…
これがその写真。拡大するとピントの甘さがわかってしまう…
ちゃんとスッキリと晴れた朝に撮れたのはこの時だけだったはずなので、ピン甘写真でも今となっては貴重な記録。あの当時は「3両とも国鉄色のキハ30で撮りたかったな」なんて思っていましたが、今となっては贅沢な話です。
末端区間の魅力は千葉県にいながら山岳地帯のような写真も撮れたことでした。
これもおそらく平山~上総亀山間の跨線橋から撮った写真でしたが、Googleストリートビューで記憶の場所をたどっても完全に藪になっていて線路が見ませんでした。
この2枚は今もハッキリと覚えている場所なので、Googleマップのリンクを張っておきます。わざわざキハE130系の写真を撮りにいく人なんてほとんどいないでしょうけども…
緩やかな傾斜ですが、国鉄時代の非力なエンジンではスピードが乗らずえっちらおっちら登っていた印象でした。今では難なくクリアできてしまうので、往路ではこの撮影ポイントの存在をすっかり忘れていたほどです。
廃線が取り沙汰されるようになれば、またここも注目を浴びる撮影ポイントになるのでしょうか。
久留里駅に到着する直前、小櫃川にかかる小さな鉄橋を渡ります。実際はため池のようなところですが、生い茂る木のおかげでちょっとした渓谷のような雰囲気が漂います。
左側、編成の先頭に立っているのはキハ37形。試験的に5両しか製造されなかった少数派で、温暖な地域のローカル線用車両として1983年に開発された形式でした。国鉄で初めて直噴エンジンを採用しましたが、1996年にエンジンが換装されているのでオリジナルとは少し異なります。
3両が国鉄から久留里線に引き継がれ、2012年の引退後は岡山県の水島臨海鉄道でまだまだ現役です。
久留里では往路と同様に、行き違いを思わせる9分の停車時間が取られています。隣のホームには学生の帰宅時間に合わせて運転されるのか、回送車両が待機していました。
久留里駅から歩いて10分ほどのところには県立君津青葉高校があり、久留里線は彼ら彼女らの通学の足でもあります。千葉や東京へ向かうだけでなく木更津から久留里へ向かう流動もあって、実は久留里線は上下線ともにそれなりの利用があるのです。
それもあってか、久留里以北では存続云々の話は今のところ出てきていません。今のところは。
ちなみに上総亀山から折り返してきた人はあさかぜを含めて5人ぐらい、乗り鉄以外の地元民らしき方は1~2人だけ、計7~8人という有様でした。いくら昼間の閑散時間帯とはいえ、2両つなげて走るような需要があるようには到底思えません。
もちろん久留里から北側の需要があるから2両なのはわかりますが、それにしても悲しくなるほどの光景であることは確かです…
久留里を出てからも、後ろの車両の乗客は片手で数えられるほど。ワンマン運転なので前の車両にはもう少し乗っているようですが。
一人では使い切れないほどのロングシートに身を預け、差し込んでくる日差しの強さにボーッとしながら木更津へ戻ります。
景色の大半が田んぼを占める久留里以北は開けた場所が多く、撮影ポイントには割と困らない区間でした。
とはいえ必ずしもキハ30形が終日営業に入るとは限らず、日中の運用はキハ37・38形でまかなわれていることが多かったので、目当ての車両をキャッチするには地味に難しい路線でした。
先頭は当たり前のように走っていたキハ38形。試験的な要素が強かったキハ37形の設計を生かし、量産車として1986年に登場した車両です。とはいえ7両しか製造されなかった少数派でしたが、末期には7両全てがここで運用されていた久留里線の最大派閥。
キハ37形とは大きく異なる前面デザインが特徴的で、当時製造されていた211系のようなブラックフェイスと角形ライトケースがだいぶ近代的な印象を与えます。
2012年の引退後は1両が岡山県の水島臨海鉄道に渡って現役です。
思い出に浸ることおよそ70分、木更津まで戻って来ました。
廃線の危機という話題で末端区間に注目が集まりがちですが、木更津~久留里間も収支は決して良くありません。前出のリストでは、同区間の平均通過人員は1,091人/日と民営化当初の1/4にまで減り、営業係数も1,200円と堂々たる赤字路線です。
廃止やバス転換の話が出ると、
「国鉄の設備をJRはまるまる引き継いだくせに、赤字だからって廃線などけしからん!」
という意見が散見されます。気持ちはわからなくもありませんが、国鉄民営化にあたり本島3社は計11兆円超の借金を引き継いでいますから、「JRは痛くもかゆくもないんだ」という主張は誤りであることはちゃんと申し添えておきます。
いずれにせよ、国の組織を利潤を求める民間会社にしてしまった以上は十二分に考え得る話でしたし、人口が減少し続けている世の中で多額の費用がかかる交通インフラを維持するのは現実的ではなくなってきています。
理想論や感情論にすがるのは簡単ですが、地に足の着いた議論をしなければいけない時代がやってきているのを忘れてはいけません。これは何も沿線住民だけでなく、日本に住んでいる限り誰もが直面する問題になっています。
時刻は15時半を回り、すっかりお昼時を過ぎてしまいました。
郊外のイオンモールやアウトレットパークに人が吸い寄せられた結果、市の玄関口であるはずの木更津駅前は閑散としています。歩いている人は片手の指で数えられるぐらい。
駅前には「スパークルシティ木更津」なるビルがあるものの、ショッピングモールとは名ばかりで中はスカスカ。飲食店もありません。
下調べをして駅の近くのラーメン屋2軒をピックアップしてあったのですが、昼には遅いし夜には早いしという微妙な時間なので、どちらにもお客さんの姿はなし。
そもそも営業しているのかもわからない雰囲気で、勝手を知らないよそ者のあさかぜには入りづらくて仕方ありません。
悩んでいても仕方がありませんし、予定を早めて次の経由地で食事を摂ることにしましょうかね。
>>旅行本編へつづく<<