あさかぜみずほの趣味活動記録簿

旅行記や主に飛行機の写真をひたすら載せ続ける、趣味のブログです。たまに日記らしき投稿もあり…?

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2018年7月14日(5):クロフォード公園

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_DSC3370 posted by (C)あさかぜみずほ

今度はあさかぜ以外にも1人の乗客を乗せたバスで、三笠の市内へ戻る方向へ5分ちょっと。「クロフォード公園」バス停で下車します。三笠鉄道記念館から歩くと40分かかるらしいので、バスかタクシーでないと厳しいものがあります。

この場所は幌内線の三笠駅のあった場所で、跡地には開業当初の「幌内太(ほろないぶと)」の駅舎が1990年に再現されました。駅舎の中はグッズショップや、トロッコ列車とすれ違ったエンジン付きトロッコの体験乗車の受付が置かれています。

駅名の由来はアイヌ語のポロナイプト(大きな川の入口の意)という地区名に当て字をしたもの。廃止まで使われた「三笠」の駅名に変わるのは、開業から62年後の1944年の話です。

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_DSC3373 posted by (C)あさかぜみずほ

元々ホーム2面と線路3線、それに貨車を整理するいくつもの側線を抱えていた三笠駅。現在はホームの一部と跨線橋が保存されています。

ホームの線路上に飾られているのはDD51ディーゼル機関車と、ホッパ車2両、車掌車の3両。その後ろには道内の特急で活躍したキハ80系の姿もありますので、順番に見ていきましょう。

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_DSC3376 posted by (C)あさかぜみずほ

数は減らしたものの、まだ日本各地で姿を見ることが出来るDD51ディーゼル機関車。1962年から16年間にわたり649両も製造された機関車で、プラレールなどの印象からディーゼル機関車と言えばこの形を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

ここに展示されている500番代はつなげた2両をまとめて運転できる「重連総括制御」に対応した車両です。JRに引き継がれた残りの車両とは少し仕様が異なるので「半重連形」と呼ばれているそうです。

1987年の国鉄民営化までに廃車され、うち1両がこうしてここに飾られているわけです。

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_DSC3383 posted by (C)あさかぜみずほ

ホキ2200形貨車は「ホッパ車」と呼ばれるタイプのもの。上から積んで下へ下ろす、じょうご=Hopperの構造を取っているのでこう呼ばれます。

この車両はトウモロコシや小麦などの穀物を輸送するのに用いられていました。

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_DSC3387 posted by (C)あさかぜみずほ

同じホッパ車でも、こちらはバラスト輸送に使われていたホキ800形という貨車です。線路の保守用で、線路の真横に砕いた石を投下できる構造になっています。

ちなみに石炭やその他の鉱石の輸送車も同じホッパー構造をしていることが多いですが、積み荷でカタカナの付け方が異なります。

石炭ならセ(例:セキ6000形)、石灰石などの鉱石はヲ(例:ヲキ100形)のように、貨車はカタカナ1文字目でおおよその積み荷がわかります。カタカナ2文字目は搭載できる重量で、キは25トン以上を表しています。

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_DSC3388 posted by (C)あさかぜみずほ

車掌車はヨという形式が与えられました。写真のヨ8000形は1974年からの5年間で1,000両以上が製造された最後の車掌車です。それまで貨物列車は車掌が最後部に乗っていましたが、1986年に廃止。以降は特別な用途がないと使用されないため、現役の車両でも動いている光景を見かけることはなかなかありません。

車内には机やトイレ、無線機など業務や居住に必要なものは一通りそろっているそうですが、今のように携帯電話だのなんだのがない時代です。どうやって過ごしていたのでしょう…?

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_DSC3393 posted by (C)あさかぜみずほ

駅の先にはキハ80系が編成を組まれて置いてあります。6両編成ともなると圧巻です。

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_DSC3397 posted by (C)あさかぜみずほ

ちょっとS字のところに置かれているのもニクい演出で、美しい編成美を見せつけてきます。

キハ80系は北海道初の国鉄特急列車「おおぞら」にも使用された、栄誉ある車両です。1961年のデビューから1983年の引退まで、北海道のあらゆる特急列車に充当されて発展を支えてきました。

初期車は「がつかりはつかり 事故ばつかり」などと故障に悩まされ、不名誉なタイトルで新聞にも書かれてしまうほどでした。それほど、特急用のディーゼルカーの製造が難しかったということでもあるのでしょうが。

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_DSC3403 posted by (C)あさかぜみずほ

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_DSC3412 posted by (C)あさかぜみずほ

エンジンは排気量17L、水平8気筒のDML17Hというエンジンが各車1台もしくは2台搭載されました。トルクこそあれ、馬力は180PSと現代のエンジンからすれば見劣りするものですが、やはり当時では大出力のディーゼルエンジンは技術的に大変だったようです。

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_DSC3417 posted by (C)あさかぜみずほ

長時間走行が当たり前だった特急では、食堂車の連結も割と当たり前。

初期の車両では食堂車には走行用エンジンがありませんでした。ただ後に短い編成を組むときに動力のない食堂車がパワー不足の原因となったため、DML17Hを2台搭載する仕様に改められました。

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_DSC3424 posted by (C)あさかぜみずほ

風雨にさらされ、サビの浮いた痛々しい姿…

実際に運行される鉄道車両がきれいに見えるのは、日常的に手入れがなされているからです。頑丈な鉄の箱とはいえ、自然環境の中で置かれていたらすぐにダメになってしまうのです。

入場料を取っている施設ですら維持が大変なのに、ここクロフォード公園は誰でも無料で入れる場所。保存車両をきれいな状態で保つことは困難です。日本全国至る所に保存車両はありますが、どこも簡単な話ではないようです。

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_DSC3429 posted by (C)あさかぜみずほ

草むらの中に消えていく幌内線廃線跡。一見するとレールがずっと続いているかのように見えますが、すぐ先でレールは終わり、路盤の跡だけが続いているそうです。

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_DSC3432 posted by (C)あさかぜみずほ

明治末期の三笠駅の駅構造が描かれていました。先ほど訪れていた「三笠鉄道記念館 幌内ゾーン」は、図の中央から左上に伸びる支線の終点にあります。線をたどると分かるとおり、支線は直接三笠駅から幌内へと入ることができません。当時の時刻表を見たことがないので旅客列車がどうやって運転されていたのかわかりませんが、少なくとも石炭を輸送する貨物列車が優先だったのは想像に難くありません。

北海道は歴史的に見て物資輸送が優先された土地柄ですから、人を運ぶとなると駅は市街地から遠いし、路線も石炭の輸送に効率がいいように、という構造が珍しくありません。石炭を含めた貨物輸送が衰退した今、それが泣き所になっている部分なのですが…

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_DSC3445 posted by (C)あさかぜみずほ

クロフォード公園は三笠の中心街から10分ほどなので、バスを待たず歩いて戻ることにします。午後3時を回って日が傾きつつあるとはいえ、やはり荷物を持って歩いているとかなり暑い…!

メインストリートだったであろう通りを歩いていますが、全く人影がなく寂しい限り。ほとんどの店はシャッターが下りているか内側から目張りがされ、長く営業していないことが一目で分かります。人口減少もさることながら、郊外にはイオンモールがあり、クルマ中心の社会ではそこに人が流れていってしまったということもあるのでしょう。

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_DSC3447 posted by (C)あさかぜみずほ

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_DSC3449 posted by (C)あさかぜみずほ

三笠市民会館まで戻ってきました。ちょうど後輩達から連絡があり、ここまでレンタカーで迎えに来てくれるそうです。優しい後輩達でありがたいことこの上ありません。

市民会館目の前のツルハドラッグで飲み物を買って、中央公園のイスで雑誌を読みながら迎えを待ちます。お盆の時期には大規模な盆踊りのイベントが開かれる会場だそうで、真ん中には大きなやぐらが組まれています。

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IMG_4047 posted by (C)あさかぜみずほ

本日の宿はイオンモール三笠店のすぐそばにある「三笠太古の湯」。日帰り温泉に隣接して宿泊施設が用意されています。

チェックインを済ませ、後輩達はクロフォード公園にあるキハ80系を見に行くと言うことで出かけていきました。あさかぜは部屋でのんびりとお留守番。

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IMG_4051 posted by (C)あさかぜみずほ

おいしい料理に舌鼓を打ち、部屋に戻ってビール「サッポロクラシック」を両手に旧交を温め、懐かしの学生時代に戻ったかのような楽しい夜でした。若干飲み過ぎた感じはしなくもありませんが、健康診断が終わった今となっては怖いものはありません。