2024年5月21日、ロンドン・ヒースロー空港からシンガポール・チャンギ空港へ向かっていたシンガポール航空SQ321便が、ミャンマーとタイの国境付近で激しい乱気流に遭遇しました。最大で300ft(約90m)近く高度が変わる急激な上下動が発生しており、シートベルトをしていない乗客乗員が天井に叩き付けられる事態に。
状況を把握したSQ321便のパイロットはすぐに緊急事態を知らせるコード「スコーク7700」を発出、タイの首都バンコクにあるスワンナプーム国際空港に緊急着陸しました。
BBCやNHKなど各種メディアで掲載された写真からは衝撃のすさまじさが伝わってきます。床には散乱した食器とともに血の跡らしきものが見えますし、天井パネルには複数の凹みだけでなくどう見ても人間が突き破ったであろう穴まで…
その穴からは出ていないはずの酸素マスクがぶら下がっているところもあります。“阿鼻叫喚”の4文字では到底語り尽くせない光景です。
<激しい乱気流で大きな被害を出した当該機(Boeing 777-300ER, 9V-SWM)。なお撮影(2018年)の翌年に機体デザインが変わり、現在はスターアライアンス特別塗装をまとう>
この激しい乱気流との遭遇でイギリス人の男性が心臓発作で亡くなったほか、48名が空港やその周辺の病院へ搬送されました。軽いケガも含めると約70名が負傷したとみられており、乱気流の事故としては近年まれに見る大きなものとなっています。
24日のBBCの報道によれば未だ20名が集中治療室で治療を受けており、このうち6名は“危機的な容態”だそう。被害の深刻さが伝わってきます。
なおTwitter上や一部のニュース記事では「6,000ft(約1,800m)も急降下した」という内容が載っているところがありますが、これは誤りと思われます。というのも6,000ftの降下はSquawk7700の発出後に行われていますし、その降下率も2,000ft/min.程度と通常よりは大きいとはいえ緊急降下というほどではなかったようです。
バンコクへの緊急着陸を要請し、それに向けて高度を落としたと考えるのが自然です。
事故原因の究明や対策は今後専門の組織が進めていくので、門外漢だし素人だしの我々が憶測を言って回るのは控えねばなりません。
ただBBCやロイター、ブルームバーグなどの報道、あるいはFlightradar24のメールマガジンを見ると、被害の直接的な原因は
「晴天乱気流」
だとされています。
<台北から成田に向かう窓から。真っ青な空が広がっている状態でも、ヒコーキは突然揺れたりする>
晴天乱気流、以後は Clear-Air Turbulence を略した CAT と書くことにしますが、CATとは文字通り雲のように目に見える要因がないのに起きる不安定な気流のこと。
飛行機は飛んでいる間、機首に備わったレーダーで常に進行方向の雲などをチェックしています。進む先に揺れを伴うような雨雲や雷雲がある場合は、針路を変えたり高度を上げたりして影響が少なくなるように飛びます。
多少揺れたところで機体には影響がないものの、人やモノが飛んでケガをするリスクがありますし、機体へ落雷があったときは地上に降りてからチェックが必要になることがありますから、天気の良いところを飛ぶに越したことはないのです。
やむを得ず揺れるルートを取る場合は、シートベルト着用サインを点灯して乗客も客室乗務員も着席させ、大きく揺れても体が浮き上がってケガをすることがないようにします。
ところがCATの厄介なところはレーダーに映らないことです。
人間の目にも当然見えませんし、現在の技術では飛んでいる飛行機がリアルタイムにCATを捉えるのは困難とされています。
一応、「このあたりでCATが起きそう」という予報はあるものの、あくまで予報なので起きるとは限りませんし、予報のないところで急に発生したら、今のところは手の施しようがありません。
SQ321便の場合、ちょうど到着前の朝食サービスの時間だったというのも被害を拡大させた原因の1つ、と推測しているメディアもありました。一連の報道ではヤケドやカトラリー(食器)が刺さるケガについては触れられていないのでわかりませんが、アツアツのコーヒーや使いかけのナイフが吹っ飛んでいてもおかしくはないなという気はします。
何せ人が天井に突き刺さるレベルの衝撃だったわけですから…
小さなCATにはしばしば出会います(CATと言うほどなのかはわかりませんが…)。東京から西へ向かう便に乗っていると、四国の沖合でガタガタ揺れる印象があさかぜの中にはあります。カップのドリンクが倒れるんじゃないか、というぐらい揺れることもありました。
最近の飛行機のカップホルダーは円形の凹みではなく穴にはめるタイプが増えてきましたが、これも乱気流で熱い飲み物がカップごと吹っ飛ぶのを防ぐ意味があるのかもしれません。
<日本航空のA350-900の普通席はテーブルをしまっていてもカップホルダーが使える。カップがしっかりとはまるので、多少揺れてもハラハラすることはない>
話が少しそれてしまいましたが、我々乗客ができることといえば、着席中は常にシートベルトを着用することしかありません。
トイレに立ったときにCATに襲われたらどうにもなりませんが、少なくとも座席から浮き上がって天井にぶつかるという状況は回避することができます。
出発時の安全ビデオや客室乗務員による説明の中で、
「お休み中でも必ずシートベルトは着用してください」
と呼びかけられるのは、不意の揺れでケガをしないようにという意味合いがあるわけです。
今回の事故は「国際線だから」とか「外国のエアラインだから」というものではなく、日本国内でも十二分に起こり得ることですし、実際に発生してケガ人も出ています。
シートベルトを外している時間は必要最小限にする。
改めて飛行機に乗るときの『基本のキ』を認識させられる出来事でした。
そうそう、着陸して減速するなりシートベルトを外す人がいますが、あれも良くないですね。いくら離着陸時のスピードよりはるかに遅いとはいえ、大きな空港では30kt≓約50km/hで走っています。もし障害物があって急ブレーキをかけたら前へ吹っ飛びますし、急ハンドルで避けようとすればタイヤから離れた機体後方は特にヨコ方向へ大きな力がかかります。
スポット(駐機場)に入って機体が完全に停止するまでは、シートベルトを外さないようにしましょう。快適な移動が不幸なものにならないためにも、ね。
<やはりカップホルダーが穴あきタイプになったキャセイパシフィック航空のリニューアル座席。席に着いたらまずシートベルト、降りる直前までシートベルト>
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参考資料:
シンガポール航空、乱気流で乗客1人死亡 ロンドン発SQ321便 - Aviation Wire
https://www.aviationwire.jp/archives/301044
シンガポール航空の乱気流による事故において負傷者が拡大 1名死亡、7名重症を含む計70名が負傷 - sky-budget
https://sky-budget.com/2024/05/22/singapore-airlines-news-19/
シンガポール航空機、乱気流に巻き込まれ緊急着陸 イギリス人男性死亡し30人以上けが - BBC
https://www.bbc.com/japanese/articles/c51155j86zlo
シンガポール航空機の乱気流事故、20人以上が脊椎損傷で治療中 タイ病院が発表 - BBC
https://www.bbc.com/japanese/articles/clllj60lz3eo
「墜落したような感じだった」、緊急着陸のシンガポール機の乗客語る - Bloomberg
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2024-05-22/SDV2TYT1UM0W00
予測不可能な航空機の「乱気流」事故、航空会社の遭遇は増加、数十年で3倍の可能性も【外電】 - トラベルボイス
https://www.travelvoice.jp/20240524-155676