友人に近くの駅まで送り届けてもらい、電車に乗ってまずは新大阪駅へ。ここから新快速に乗り換えて一路西を目指します。
朝ラッシュを終えたはずの10時前ですが、京阪神間の移動の主力を担う新快速は12両編成の前の方でも席は概ね埋まっています。このご時世ではなかなかクロスシートで隣の席には座りづらいという事情もあり、とりあえずドア横に立つことに。
幸い次の大阪でどっと人が降りたので車端部のボックスシートを独り占め出来ました。
三ノ宮、神戸、加古川と西へ進むにつれて車内の客数はだんだんと減っていきます。草津から120kmにわたってずっと続いてきた日本一長い複々線が西明石で終わると、快速は各駅停車に化けますが新快速は韋駄天ぶりを維持します。
車窓から見えるのは世界一の吊り橋である明石海峡大橋です。ワイヤーを吊る主塔の間隔は1,911mもあります。元々主塔の間隔は1,910mとされていたそうですが、建設途中の1995年に起きた阪神淡路大震災の地殻変動で結果的に1m(厳密に言えばおよそ80cm)長い吊り橋となって1998年に開業したのでした。
なお世界最長の吊り橋としてはイタリア本土のカラブリア地方とシチリア島を結ぶ「メッシーナ海峡大橋」の計画がありますが、イタリアお得意の政治紛争だの予算不足だので今のところさっぱり実現のメドは立っていないようです。
新大阪からの営業キロ91.3kmをたった70分で走り抜けて終点の姫路に到着しました。表定速度79km/hという足の速さはもはや特急列車と並ぶレベルです。
地元千葉県の快速なんて、成田線の快速は東千葉だけ、内房線の快速は巌根だけしか通過しませんからね…快速とは?
11時過ぎと少し早いですがお昼ご飯としましょう。
姫路の駅グルメといえば「えきそば」。そばとは名が付きますが普通の立ち食いそばとは違います。
姫路の「えきそば」はそばではありません。麺はかんすいを使ったラーメンに近いもので、それが和風ダシのつゆに浸っているという全国でもここにしかない独特の食べ物です。不思議な組み合わせですが、中華麺ともまた違うのでつゆの和風の味と組み合わさってとてもおいしい!
戦後すぐの食糧難の時期に原案が生まれて今に続く、かなり苦労の末に生まれたものなのだとか。元々は国鉄の姫路駅だけで売られていましたが、現在は近くのパーキングエリアやショッピングモールにも店舗があるそうです。
姫路と言えば姫路城…が定番ですが、あさかぜは人間性がゆがんでいるので目的が異なります。
駅前のバスターミナルを左へ抜けて3分ほど歩くと古びた店舗の間にコンクリート製の柱が立っているのが見えます。近寄ってみましょう。
このコンクリートの柱は1966年から8年間の間だけ運行されていた「姫路モノレール」の遺構です。
いま通り抜けてきたバスターミナル付近にモノレールの姫路駅がありましたがさすがに跡形もありません。
山陽電車の高架橋をくぐる手前には桁まで含めて残っています。落下する危険があるので撤去されていますが、鉄のレールを桁の上部と左右に配置した「ロッキード式」という方式が採用されていたそうです。アメリカの航空機メーカーであるロッキード社が開発した方式で、設計上の最高速度は時速160kmにもなりました。
ただメンテナンスの煩雑さなどもあって採用例は世界中で見てもこの姫路モノレールと小田急の向ヶ丘遊園モノレールの2例だけにとどまりました。唯一残っていた小田急の方も2000年に運行を終了して構造物はすべて撤去されていますから、ロッキード式の姿を一部でも見ることができるのは世界で姫路だけです。
ちなみにこの姫路モノレールの正式名称「姫路市交通局モノレール線」が示す通り全国で唯一の公営モノレールでした。1966年4月から手柄山で開催される「姫路大博覧会」のために建設が進められていた乗り物で、これをきっかけにして姫路市内に環状線を作ったり、果ては中国山地を抜けて日本海側まで抜けるという壮大な計画までありました。いかほど実現できるつもりだったのでしょうか…
しかし建設の遅れで開業が1ヶ月以上も遅れた5月17日になってしまったのですが、姫路博の開催期間は6月5日までと残りわずか。もはや致命的なまでの開業遅延でした。
しかも運賃は超高額…
山の下を併走する山陽電鉄の運賃が30円だった時代に、モノレールに乗るとたった1.6kmしかないのに100円もかかりました。しかも朝夕の通勤時間帯には運転されず、わざわざマンションの中に「大将軍駅」を作ったにもかかわらず通勤客には使い物になりません。
結局大赤字を垂れ流し続けて市の財政を圧迫したこともあり1974年4月に運行休止、1979年に正式に廃止となりました。
姫路博の会場跡地、手柄山中央公園の中にある「手柄山交流ステーション」に実際に軌道と車両が保存されており見学が出来るそうです。今日は時間がないのでパスしますが、いつか見に行ってみたいものです。
【参考動画】
【VOICEROID解説】迷列車で行こう:姫路市営モノレール【廃線探訪】 - にっこーけん【旅行】ー日本の交通を研究する会
運行を終えてから半世紀が経過しており、途中のレールはまだしも建物の真ん中にコンクリートの柱が生えている光景がいつまで見られるかはわかりません。なかなか姫路へ来る機会はないので良い見学のタイミングとなりました。
ちなみに定番の姫路城ですが、近くまで行っている時間はないので駅の近くの横断歩道から撮影しておしまい。カメラで見るよりも実際に肉眼で見る方が少し大きく見えます。
姫路駅に戻ってきました。これから乗るのは今日のメインディッシュといっても差し支えない存在である播但線の103系です。
言わずと知れた1964年から3,000両以上が製造されて日本の高度経済成長を支えた通勤車両。登場から半世紀以上が経過してあらかた姿を消していますが、なんとJR九州とJR西日本では未だに現役の車両が残っています。
特にこの播但線は日中の列車がすべて103系で運転される希少な路線で、あさかぜのような分単位で動き回る人間にはとても乗りやすくて助かります。
姫路から終点の寺前までは50分弱とあっさりとしたメインディッシュで、もうちょっと103系の国鉄然とした乗り心地を味わっていたかったところです。
国鉄時代の電車というとどうにも加速の伸びが鈍い印象がありますが、播但線の3500番代は2両ともモーター車ということもあってキレのある走りを見せます。非電化時代の名残なのかどこからどう見ても通勤電車なのにトイレまで設置されており、リニューアルを施したつるんとした外見も相まって103系らしくない103系でした。
1998年3月に電化された南側半分と違って北側は非電化区間となっており、車両もワインレッドの103系からタラコ色のキハ40系へ交代します。昭和から平成を飛び越えて令和の時代になっても国鉄型車両同士を乗り継ぐのには笑ってしまいますが…
両側を挟まれた谷の底を播但線のディーゼルカーはえっちらおっちら走っていきます。
終点の和田山にほど近い竹田駅は「天空の城」だとか「日本のマチュピチュ」などといううたい文句で有名になった竹田城跡の最寄り駅です。ただし最寄りとはいってもそれなりに距離は離れており、徒歩で40分程度になるとのこと。バスなどの公共交通機関もないようですから、坂道を上がる体力のない人はクルマでのアクセスが便利なようです。
50分ほどで山陰本線と合流する和田山に到着しました。太平洋側に比べるとずいぶん涼しい感じ。
和田山は朝来(あさご)市の玄関口となる駅で、だいぶ昔は鉄道の要衝であったことがだだっ広い駅構内からうかがえます。ここには豊岡機関区和田山支区が置かれ、目の前に見えているコンクリート製の構造物は蒸気機関車が現役だった頃に使用されていた給水塔です。
さらに右へ目を向けるとボロボロになったレンガ造りの建物が見えます。1911年に和田山支区が開設された翌年に建設された機関庫で、蒸気機関車が現役を退いたあとも1991年までディーゼル機関車の点検修理に使われていたと言います。
1991年の和田山支区の廃止以後もレンガ造りの機関庫は引き続き倉庫として使われているとの記述がWikipediaにはありますが、屋根も抜けてボロボロになっている姿を見るともはや廃墟としか思えません。白いコンクリート部分が見えるので、補修して使っているようには見えますが…
なお奥に見える運転所のような建物も木の板などで目張りしてあり、要衝の地の栄枯盛衰をイヤでも味わうことになりました。
静かな駅で待つこと20分、やっと福知山ゆきのワンマン電車が到着しました。車両の塗装費用を節約するため緑一色に塗られた113系です。103系、キハ40系、113系と国鉄型が3つ連続しています…本当に私は2021年の世界にいるのでしょうか。
窓から入ってくる暖かな日差しに誘われて睡魔が押し寄せ、ハッと目が覚めた時にはすでに福知山駅到着に向けて減速し始めていました。
>>後編へ続く<<