朝起きると、JR東日本の「えきねっと」から乗る予定だった列車の運休を知らせるメールが入っていました。
今日は青い森鉄道から奥羽本線の特急「つがる」へ乗り継ぎ、秋田内陸縦貫鉄道に乗りに行くという計画を立てていました。ただ一昨日から書いているとおり、爆弾低気圧の接近で日本海側は大荒れの予報。まぁこうなるだろうな、という予感はありましたが…
とにもかくにも計画は崩れましたし、朝一番に特急の運休が決まるぐらいには天候が悪くなることも確定しているので、日本海側に向かうことは避けるのが得策です。
朝ご飯を食べながら予定を練り直します。
…といっても悩むほど選択肢の数は多くありません。天候や所要時間、未乗区間などを考えると、太平洋沿岸を南下するプランにまとまるまで時間はかかりませんでした。
予定を決めたなら善は急げです。
日本海側は大荒れというものの、どちらかというと太平洋側にある野辺地町の天気は悪くありません。むしろ陸奥湾が昨日よりもよく見えているぐらいです。
あまり悪化する実感が湧きませんが、天気予報が何日も前から荒れると言っている以上は本当なのでしょう。
昨日一昨日のお酒と馬刺しで4,000円の旅行支援クーポンを使い切ることができました。それとは別に入湯税が2晩分で300円の精算。元からの宿泊費に含まれていないのは珍しい気がしますね。
「まかど観光ホテル」の送迎車に乗せてもらって、野辺地駅へ10時過ぎに到着しました。
朝ご飯を食べながら作り直した計画は11:16発の普通列車に乗って八戸駅へ向かうというものでしたが、すでに青森県の西側半分は天候がかなり悪化している様子。
送迎車では間に合わないはずだった10:09発の八戸ゆきは、すでに30分も遅れています。また大湊線は10時過ぎから全線で運転を見合わせるという案内が流れていました。
八戸からの快速「しもきた」大湊ゆきが滑り込んできました。
定刻なら野辺地を10:22に発車するので、この列車はこの駅で打ち切りになってもおかしくないはずですが、駅の案内放送によるとどうやら運転するそうです。
ただし大幅に遅れている八戸ゆきの普通列車と接続してからの発車となるため、少なくとも25分の遅れが見込まれるとのこと。
朝は落ち着いているように見えた野辺地の天気も着実に悪化していっており、すでに強い横殴りの雪が降っています。風の当たるところに立っていると痛いぐらい…
ホーム上の待合室で風雪から逃れていると、10:09発の八戸ゆき普通列車が32分遅れで到着しました。前面にも雪が分厚く凍り付いているのがよくわかります。
この天気では出かける人もほとんどいないのか、車内は数えるほどしか乗客がいませんでした。
窓から外の景色はほとんど見ることができず、バラバラという雪が叩き付けられる音が聞こえるのみ。ホテルを出てくるのがあと1時間遅くなっていたら嵐に巻き込まれていたかもしれません。
ドアの窓ガラスには車内の湿気が凍り付いて不思議な模様を描いていました。車内の暖房では溶けないぐらい外は寒いということですね…
11時半過ぎ、終点の八戸に到着しました。後部車両には大量に雪が付着して、もはや青い森701系かどうかの判別がつかないほどです。
野辺地駅での嵐が夢だったかのように、八戸駅は快晴に近いぐらいに晴れ渡っていました。気温が低いのでかなり寒いですが、雪が叩き付けてこないだけだいぶマシです。
八戸を過ぎると乗り継ぎ時間に余裕がないところばかりなので、今のうちにお昼ご飯を食べておきたいところ。
…ですが、昨日の朝と同じくお腹がはち切れんばかりに詰め込んできたので、しっかり1食分を食べられるほど空腹ではありません。気持ちの上では駅併設の「いかめしや烹鱗」で八戸ラーメンといかめしのセットを食べたいところ…
無理に食べようとして気持ちが悪くなる未来しか見えなかったので、大人しく駅構内の立ち食いそばで済ませることにしました。
改札口のすぐ横にある「そば処はやて 八戸店」で三陸磯のりそば(580円)をいただきます。
口に入るとふんわり漂ってくる磯の香りが、熱いそばのつゆとマッチしておいしい。トッピングにはホタテも入っていてちょっと贅沢なメニューでした。
12:25発の八戸線 久慈ゆきは、発車の20分ぐらい前にはすでに乗れる状態で待っていました。
車両は2018年3月のダイヤ改正で八戸線の主となったキハE130系500番台。車両の新造が発表された際、海外のメーカーにも公募の範囲を広げたことで話題になりましたが、最終的には新潟トランシスが製造を担当することになってキハE130系列が選出されました。
仮に海外のメーカーが興味を示したとしても18両という少数では利益になることはまずないでしょうから、まぁ落ち着くところに落ち着いたという感じでしょう。
青い森鉄道からの接続を取るため6分遅れの12:31に発車しました。
遅れていた青い森鉄道の列車はおそらくあさかぜが当初に乗ろうとしていた列車で、八戸には11:58に着いているはず。やはり約30分の遅れになっているようですね。
少し走ると左側に分岐していく線路は第三セクターの八戸臨海鉄道が運営している貨物線で、およそ8km先の北沼までを結んでいます。終点には三菱製紙の工場があり、そこで生産された紙製品を日本全国へ運び出す役目を担っています。
八戸の隣、本八戸は八戸市の中心部。今でこそ新幹線が開業してメインターミナルの立ち位置は八戸ですが、従来からの市街地はこちらが最寄りです。
それを示すかのように、駅は立派な高架橋の上にあって行き違いも可能。
ただ列車本数はいまひとつ多くないので、八戸駅~中心街の往来は10~20分間隔で走るバスの方が便利です。
運行上の境目となるのは八戸から20分ほどで到着する鮫。八戸線の列車のうち半分以上が鮫で折り返すため、久慈までの全線を走る列車は2時間に1本程度とガクッと減ります。
鮫を出てすぐ左に見えるのは蕪島(かぶしま)です。戦時中に埋め立てが行われて、島とはいうものの本土と陸続きになりました。
島の頂上に鎮座するのは弁財天を祀る蕪嶋神社で、商売繁盛だけでなく漁業の神様としても信仰されているのだそう。2015年に火災で消失してしまいましたが、2020年3月に再建されて荘厳な姿をまた見せています。
社殿のある丘の斜面はウミネコの繁殖地となっているそうで、春になると白いウミネコと菜の花の黄色のコントラストが美しい景色になるそうです。
ひたすら海岸沿いを走って行きます。風が強ければ波しぶきが列車まで飛んでくるんじゃないかというぐらいまで海に接近している場所もあります。
八戸線は2011年3月11日の東日本大震災で大きな被害を受けた路線の1つで、南半分の階上~久慈間では橋や線路が流されるなどして20カ所も被害を受けました。
駅舎も流されることこそありませんでしたが、津波の直撃を食らってひしゃげた駅もあったようです。
3月中に八戸~階上間の青森県内の区間は運転を再開できましたが、大きな被害を受けた岩手県内は運転再開まで長い期間を要しました。全線で運転を再開できたのは丸1年後の2012年3月の話。これでも岩手県内の他の鉄道路線に比べたら恵まれた状況でしたが…
震災を受けて、海岸近くを走る線路から高台に避難できるように避難用の通路や階段が用意されています。
2022年11月には陸中八木駅のある洋野町で、キハE130系の実車を使った避難訓練も行われました。実物を使った訓練は、実際にやってみてどういったことに注意しなければいけないか、理論では出てこなかった問題点は何かを洗い出すとても良い機会です。
今後もし同様の災害が発生してしまったとしても、一人でも多くの命が助かることにつながります。
海から少し離れて久慈市の市街地に入ってきました。八戸線の終点にして三陸鉄道との接続駅、久慈に滑り込みます。八戸を出たときは6分遅れだった列車は、遅れを取り戻して定刻の到着となりました。
久慈では6分の接続で三陸鉄道へ乗り換えます。別の鉄道会社なので仕方がないとはいえ、JR八戸線と三陸鉄道の駅舎が別々になっているのは少々不便…
きっぷを買い直すべく小走りでJRの改札口を出て、隣の三鉄の駅で宮古までのきっぷを買い直します。ちょうど券売機が不調だったようで、カウンターにて1,890円の硬券を購入。
小走りで階段を渡って隣のホームに停車しているディーゼルカーに乗り込むと、まもなく発車時刻となりました。
降りるときに精算ができたので無理に買い直すこともなかったのですが、宮古で外に出るわけではなかったので運賃精算のタイミングがわからなかったんですよね…
学校帰りの中高生で車内はほぼ満席になっていました。空いている席を見つけるにも大きな荷物を抱えていて邪魔になるので、とりあえず車内が空くまで出入り口付近で立つことにします。
宮古付近まで立ちっぱなしになることも覚悟していましたが、2駅目の陸中野田でゾロゾロと降りていってあっさり座れました。
その後も続々と降りていくものの、乗ってくる人はさしておらず、久慈から40分ほどの普代でさらに降りて乗客は4人まで減ってしまいました。
三陸鉄道の36形ディーゼルカーは軽快に進んでいきます。八戸線内に比べると圧倒的にトンネルや高架橋が多くなりましたが、三陸鉄道もご多分に漏れず日本中で高規格な赤字路線を建設しまくった「日本鉄道建設公団」によって計画・建設された路線でした。
一部区間は開業までこぎ着けたものの、これも恒例の「特定地方交通線」という“鉄道ではメシを食っていけない路線”へ認定され、建設中・計画中の区間も凍結されてしまいます。
悲願の鉄道を通すべく、開業済みの区間と未完成の区間ともに、岩手県が主導した日本初の第三セクター鉄道「三陸鉄道」に引き継がれて計画は続行。盛(さかり)~釜石間36.6kmを「南リアス線」、宮古~久慈間71.0kmを「北リアス線」として1984年に営業を開始しました。
ところが2011年3月11日、東日本大震災の津波によって三陸鉄道は壊滅的なまでのダメージを受けます。被害が少なかった北リアス線の北端は3月中に再開できましたが、その他の区間では線路の移設も含めた大がかりな復旧工事が必要になりました。
南リアス線・北リアス線ともに全線が復旧したのは、震災から3年が経った2014年4月のこと。
車窓には、津波から沿線住民や公共インフラを守るために作られた強靱な堤防が各所で見られます。島越(しまのこし)駅の近くでは水門の建物に三陸鉄道の車両が描かれている光景を見ることができました。
沿線から愛されていることがうかがえます。
高架橋の上にある立派な駅は新田老駅。2020年5月に開業した三陸鉄道で最も新しい駅です。
隣の田老駅とは500mほどしか離れていませんが、震災後に区画整理などを経て人口が回復したのがこのあたりだったことから、田老の新たな中心駅とすべく整備されました。
駅舎は宮古市田老総合事務所の新庁舎として一体的に整備されており、行政や金融だけでなく地域交流の拠点として機能しています。
久慈から1時間半をかけた15:49、終点の宮古に到着しました。
先ほども書いたように宮古でも乗り継ぎ時間に余裕がなくて駅での精算ができないと思っていたのですが、宮古で列車から降りるときに運賃精算をする仕組みになっていました。
久慈であわただしくきっぷを買い直す必要はなかったわけです…
ま、車内で現金を出して精算する手間が省けたと思えばいいでしょう。
2019年まで、宮古の南へ延びる線路はJR山田線でした。三陸鉄道は宮古から北側の「北リアス線」と釜石から南側の「南リアス線」に分かれていて、一体的な運行はほとんど行われていませんでした。
2011年3月の東日本大震災によって、山田線の宮古~釜石間も壊滅的なダメージを受けます。JR東日本としては多額の費用が必要な割に採算の見込めない復旧はやりたくないわけで、気仙沼線や大船渡線のように線路跡を舗装してバスを走らせる「BRT」への転換を提案。
そうなると、他社を通じてとはいえつながっていたレールが本当に分断されてしまいます。
一方で三陸鉄道に移管して残すとしても、沿線自治体へ費用負担がのしかかってくるために協議は難航…
最終的に復旧費用の総額210億円のうち2/3をJR東日本が負担するだけでなく、経営安定基金の増額やレールの強化工事も同社が行うことで決着を見ます。
2019年3月23日、8年ぶりに運転が再開されると同時に宮古~釜石間は三陸鉄道リアス線として開業。路線の案内も久慈~宮古~釜石~盛間すべてが「リアス線」と変わり、一体的な運行が可能になりました。