先ほど上からも見下ろした三菱重工・MU-300の実機も見てみましょう。こちらはEH101と違って見学プログラムに参加しないと内部を見ることはできないようです。
7~9人を乗せて2,800kmを飛ぶことができたMU-300。開発開始から2年後の1978年に初飛行し、順調に型式証明が取れるものと思われていました。
しかしメインマーケットとなるアメリカでは、相次いで発生した旅客機の墜落事故で機体の安全性能への要求がより厳しくなります。当初はビジネスジェット機は対象外と思われていたものの、実際には厳格化の対象となってしまったせいで設計を見直さねばならない状況に。
その基準についてアメリカの航空当局とすったもんだやっているうちに、日本ではオイルショック、アメリカでは高金利政策が始まって不況へと突入、ビジネス機の需要が一気に減ってしまいました。
エンジンはプラットアンドホイットニー・カナダのJT15Dを機体後部に2機搭載しています。
天候に左右されにくい高い巡航高度と旅客機並みの静かさで高い評価を得たものの、上記のような理由によって「モノは良くても売れないヒコーキ」になってしまったMU-300。外的要因だけでなく、安全基準に対する読みの甘さや理解不足といった三菱側の落ち度もあって、キャンセルが続出。
キャンセルにどう対処するかも含めたマーケティングの弱さも出てくるなど、ボロボロの状態に陥ります。
マイナーチェンジモデルを含めて100機ほどを生産したのち、「これはもうダメだ」となった三菱重工はアメリカのビーチ・エアクラフト社に製造権も含めて売却した、というのは上の方で書いた通りです。
モノの出来は良かっただけに、売れるかどうかは時期ややり方の問題だったのでしょう。結果として「BEECH JET 400」→「Hawker 400」とメーカー名や名前を変えながら現在まで生産の続くビジネス機となったのでした。
そして今、事情は違えど国産旅客機として注目を集めたスペースジェットも「これはもうダメだ」というところに行き着いてしまいつつあります…
MU-300の後ろにチラッと移っていましたが、MRJの客室モックアップも何の因果かすぐ隣に展示されています。
70~90席クラスの旅客機としては他社よりも快適性が高いことをウリとしていたMRJ。実際にモックアップの中に入ってみると、ガタイの大きな外国人でもほとんど身をかがめることなく歩くことができるだけの天井高があります。
モックアップの座席には実際に座ることができます。
窓側に座っても壁の圧迫感はあまり感じません。薄型のシート構造も相まって想像していた以上に足下は広く、片道1.5時間程度のリージョナル路線なら充分すぎるぐらい快適に過ごせそうです。
…最大の難点は、この快適さを味わうことなくMRJ→MSJプロジェクトが終わってしまいそうなことでしょう。
さらに奥に進むとエンジンの内部構造を色分けして解説しているコーナーがありました。文系人間ながらあさかぜはこういうのが大好きです。
写真はB787で採用されているエンジン2機種を解説したものです。奥側がGE製GEnxエンジン、手前側がロールスロイス製Trent1000エンジン。
外側から見るとメーカーのバッジ以外は全く見分けのつかない両エンジンですが、内部の構造はかなり違います。
GEnxは多数派を占める2軸構造で、Trent1000はRRが得意とする3軸構造です。両者とも得意不得意がありますが、構造が単純になるのは動く軸の少ないGEnx、理想の効率を求められるのはファンの回転が独立したTrent1000と非常に大雑把にくくることができます。
2軸構造を踏襲しつつ、ファンの回転数を理想に近いところまで落としたいプラットアンドホイットニーが開発したのがギアードターボファン(GTF)エンジン。
ファンの後ろに遊星歯車を装着し、高回転の軸速度を減速させるというものです。
通常のエンジンよりもギア部分の耐久性や重量、抵抗といった新たな要素がマイナスとなる可能性がありますし、GTFは実用例が少なく、信頼の積み重ねという部分でもいまひとつでした。
採用から数年が経った現在は高い信頼性を示しており、GTFという構造が間違っていなかったことも証明しています。
3軸構造を得意としてきたロールスロイスも「UltraFan」なる大型機向けのGTFを開発しているようです。
こちらはプラットアンドホイットニー製PW4000エンジンの実物大モックアップです。B777シリーズに搭載されているもので、日本ではANAの国内線用機材で現役。
日本航空とユナイテッド航空で相次いでファンブレードが金属疲労で吹っ飛び、全世界で運航停止となったエンジンがまさにこれ。運航再開にあたり、ファンブレードの検査間隔を縮めたり、ファンブレードが損傷してもエンジンを突き破ることがないようにカバーを強化するなどの安全対策が施されました。
PW4000エンジンを正面から見ると、ファンの大きさに圧倒されます。直径は112インチ≓284.5cmもあります。
旅客機のジェットエンジンは、コア部分で燃やす空気よりも外側をただ通り抜ける空気を何倍も多くして効率を上げています。多くの空気を取り込むためには正面のファンを大きくするのが有効なので、最近のエンジンはどんどんサイズの大きなものになっているのです。
直径が大きくなる分、地上との余裕を見なければいけないので、脚が短いB737のような設計の古い飛行機はエンジンの取り付け方に苦労しています。
ブルーインパルスで使われていた川崎・T-4。航空自衛隊でのジェット練習機として200機以上が生産されました。
案が採用されたのと、分担比率が最も高いので生産は川崎重工業ということになっていますが、川重の分担は4割。残り3割ずつを三菱重工と富士重工(現 SUBARU)が担当した、実際のところは国を挙げたプロジェクトがT-4練習機でした。
まだ設置段階だからかエンジンはインストールされておらず、正面から見ると筒抜けです。本格的な展示段階になったらエンジンも装着されるのでしょうか…?
第二次大戦の日本を象徴する戦闘機といってもいい、ゼロ戦こと零式(れいしき)艦上戦闘機。三菱重工の天才技師、堀越二郎氏の設計は当時の常識を覆す性能を実現しました。スピード、航続距離、機関銃、機動力、どれをとっても常識外れの能力を示し、アメリカ軍では「ゼロ・ファイターとはドッグファイトに持ち込むな」と言われたほどです。
唯一性能を満たせなかったのがエンジンで、三菱製では馬力が足りず中島飛行機(SUBARUの祖)が生産した栄エンジンを搭載していました。
途中からは中島飛行機でも生産が行われ、シリーズ全体での生産機数は10,000機以上、終戦時にも1,000機以上が残されていました。
2017年の時点でも、アメリカで5機のゼロ戦が飛べる状態で保存されています。保存への熱意がすごい…!
なお「零式」というのは制式採用された年。西暦ではなく、皇紀と呼ばれる天皇にまつわる暦が使われていました。1940年が皇紀2600年だったので、下2ケタを取って「零式」。
バージョンアップを重ねて改良型と派生型がいくつもありますが、最も有名なのは大戦末期に活躍した52型でしょう。派生型も含めて生産数が最も多いモデルです。
あいち航空ミュージアムに展示されているのは実機ではなく、佐賀県の企業の社長さんが図面を元に忠実に再現した機体です。素材は実機とほぼ同じジュラルミン合金が使われ、自動車用エンジンでプロペラを回すことも可能。
2013年の映画『永遠の0』(原作は百田尚樹の同名小説)でも登場したそうです。
またゼロ戦の開発背景から戦争の終わりまでを記した小説に、吉村昭『零式戦闘機』(新潮社, 1978)があります。名作なので機会があればぜひお読みいただきたい作品です。
最も広い展示スペースを占めているのは、2022年時点で唯一実用化された国産旅客機であるYS-11です。置かれている152号機は1965年に人員輸送機として航空自衛隊に納入されたもの。昭和天皇も搭乗されたVIP機です。
残念ながら機内は一般展示されていませんが、イベント時などに特別企画として見学ができるそうです。
民間の旅客機としては2006年に日本エアコミューターから最後の機体が引退したものの、必要以上に頑丈に作られていたこともあって航空自衛隊では現役を続行。152号機は2017年まで活躍を続け、自分で名古屋まで飛んできてこの博物館に収容されました。
搭載されていたのはロールスロイス製ダートエンジン。RR社が開発した世界初のターボプロップエンジンで、独特のエンジン音に魅了されたファンも多く、YouTubeで探すと様々なダートエンジンの起動シーンが見つかります。
確かになんとなく心地よさを感じさせるエンジン音で、夢中になってしまう気持ちもよくわかります。
50号機以降は出力を3,060PSに強化したエンジンを搭載し、機種名もYS-11Aと呼ばれるようになりました。
かわいらしい大きさの飛行機は三菱・MU-2、1963年から生産された小型のプライベート機です。
開発当時の日本製品はまだ安かろう悪かろうのイメージだった時代で、主戦場であるアメリカでの生産はかなり大変だったとか。
このクラスの機体としては機内の容積も大きいし、スピードも速いし、遠くまで飛べるしということで人気が出て、1987年までに762機が生産されるベストセラー機となりました。
ほとんどはアメリカで生産されており、日本で生産された分は多くが自衛隊向けの機体だったそうです。
MU-2のエンジン部分と、実際に搭載されていたGarett AiReserch社のTPE331エンジン。
ギャレット社のこのエンジンは派生型が多岐にわたり、出力も様々です。エンジンの銘板をアップにして見てみたのですが、肝心の出力のところはつぶれて読めなくなっており、このエンジンが何馬力なのかはわかりませんでした。
YS-11の前は広場になっていて、遠足に来ていたらしい幼稚園児たちがちょうどおやつの時間を過ごしているようでした。YS-11を間近に見ながら食べたり飲んだりできるだなんて、ヒコーキオタクからすればうらやましい贅沢。
これをきっかけに戦闘機や旅客機の開発に携わる子たちが生まれるかもしれないと思うと、将来が楽しみです。
歩き疲れたことですし、童心に返って楽しんだあいち航空ミュージアムをあとにして、あさかぜもおやつの時間にしたいと思います。
エントランスに飾られた黒澤明デザインのマクドネルダグラス・MD-90の模型を見ながら、通路でつながった「エアポートウォーク名古屋」の中へ。
ショッピングモールらしからぬ雰囲気を醸す「エアポートウォーク名古屋」。建物から飛び出している部分を見てもわかるように、元々は名古屋空港の国際線ターミナルとして建設された建物でした。
2005年に中部国際空港が開港する予定になっていたものの、名古屋空港では国際線の需要が伸びていて飽和状態になりつつありました。あと数年後のセントレア開港までとてももたない、ということで1999年に完成したのがこの建物。
当初からショッピングモールへ転用することを見込んで建設した空港施設なんて、日本全国を探してもこの建物しかありません。
駐車場はもちろん飛行機に乗り降りするエプロンを転用したもの。柵の向こう側には県営名古屋空港が広がります。
フードコートは出発ロビーだった3階にあります。名古屋に来たからにはやはり愛知県民のソウルフード、スガキヤでしょう!
「濃い味スガキヤラーメン」をチョイス。見えづらいですが味玉、メンマ、チャーシューが入ってお値段たったの520円!普通のラーメンなら360円という驚きの安さです。
以前会った名古屋の友人は「ちょっと高くなったんだよね~」と言っていましたが、ラーメン1杯850円が最低ラインというのを見慣れているあさかぜには信じられません。これで商売が成り立つのかと心配になってしまうレベルです。
スガキヤに来た以上はやはりラーメンフォークで食べてやるぞ!と意気込んだものの、やはり関東民には使いこなせないですね…
腹ごしらえを済ませたら、今度は県営名古屋空港こと名古屋飛行場へと向かいます。ちょうど雨もほとんど降っていないので、バスは待たずに歩きましょう。10分ほどで到達できます。
目に入ってくるのはSpaceJetのロゴが入った巨大な格納庫。ファイナルアッセンブリーハンガー(ハンガー=格納庫)の文字通り、ここではスペースジェットの最終組立が行われる建物です。
中には文中で触れた「MRJミュージアム」が併設されており、MRJ→MSJの開発の歴史や使用部品、そしてライン上で組み立てられる実機を見ることができる場所でした。
今は敷地の入り口もハンガーの扉も固く閉ざされ、MRJミュージアムも閉館中。
そしてこの訪問から3ヶ月半後の2023年2月には、三菱航空機はついにMitsubishi SpaceJetの開発中止を正式に決定しました。2008年4月の開発開始から約15年、多くの人の期待とあこがれを受けた国産旅客機の夢はここに潰えたのです。
この格納庫は三菱重工が開発に携わる次期戦闘機の開発・組立に使うとのこと。次期戦闘機ならばイギリスのBAEシステムズとイタリアのレオナルドがついているから大丈夫。…と信じたいところです。