あさかぜみずほの趣味活動記録簿

旅行記や主に飛行機の写真をひたすら載せ続ける、趣味のブログです。たまに日記らしき投稿もあり…?

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北海道のあれもこれも乗りたい! - 4日目【前編】(2022年6月17日)

3泊4日の旅も今日が最終日…楽しい時間はあっという間です。
三晩お世話になった「クインテッサホテル 札幌すすきの」をチェックアウト。1人なのにツインルーム、ビジホでありながらお風呂とトイレが別と、とても設備の良いホテルでした。

札幌は全体的にホテルのレベルが高いので非常にありがたい。

 

quintessahotels.com

 

 

余裕ぶっこいて支度をしていたので、朝ご飯を食べる時間がなくなってしまいました…

新千歳空港には向かわずに、反対の小樽ゆき普通列車で札幌を出発します。乗客のほとんどが札幌で入れ替わりますが、まだそれなりに立ち客が出るぐらいには混んでいます。
とはいえそれも手稲あたりまでで、それ以降はキャリーケースを持っていても気後れすることなく座れるぐらいには空きました。

 

 

50分ほどで終点の小樽です。
札幌~小樽間は北海道で最初に鉄道が開通した区間日本最初の鉄道が正式に開業したのは1872年で、その8年後には首都からはるか離れた北海道で鉄道が開業しているのですから、いかに北海道で鉄道輸送が求められていたかがわかります。
さらに2年後の1882年には炭鉱のある幌内までの線路がつながり、幌内炭鉱で採掘された石炭を小樽の港まで鉄道で運び出せるようになりました。

 

要所要所がリニューアルされてきれいになっている小樽の駅舎は、実は1934年に完成した歴史ある建物。
古びた駅名標の奥には、小樽市で育った石原裕次郎氏が番組ロケで降り立ったときをイメージした等身大パネルが立っています。

 

これから乗車する列車が入ってきました。JR北海道が誇る最新型ディーゼルカー、H100形です。
ディーゼルカー」とはいうものの、実態は限りなく電車に近い存在。エンジンは発電専用となっていて、その電気でモーターを駆動して走る「電気式気動車という種類です。

JR北海道にとって大量に残るキハ40系の維持コストは頭の痛い問題でしたが、かといって新型車両の開発資金も充分に工面できません。そこでJR東日本が開発したGV-E400系と共通の設計として、北海道の厳しい冬に耐えられる改良をして大量投入することになりました。

…公共交通機関なのですから、本来は国や北海道といった行政が開発・導入費用をしっかり支援するべきだと思うのですがねぇ。

 

車内に入って直感します。

「この旅で乗った車両で、最も快適からかけ離れたものである」

ということを。

どう見ても数が足りていないイスは、触れなくても硬さがわかるJR東日本お得意の仕様。
手前側にはバリアフリー対応のトイレがあるのですが、そこに機器室がくっついて車内を圧迫しています。写真の奥の方にも機器スペースが。
つまり機器スペースで車内空間が減っても定員を確保するために、イスを減らして床面積を広げているわけです。

 

ベースがJR東日本の車両なのでわかりきっていましたが、窓にはカーテンがありません。いくらUVカットガラスとはいえ、日差しが直撃すれば眩しいし暑いしでかなりの苦痛を伴います。また、カーテンは外の寒さを遮るのにもそれなりに有効なわけですが、真冬の北海道においてカーテンなしで寒くないのでしょうかね

しかも、いかにもカーテンが装備されていそうな意匠になっているのがまた憎たらしい…これ、もしかして当初の設計ではロールカーテンを設置するつもりだったんじゃないんですかね?

 

運転台は電車そのもの。運転業務に携わらないあさかぜには、見える範囲での電車との明確な違いがわかりません。

あとこれは趣味的な話なので普通の人には関係のない話ですが、走行音も非常につまらない。発車時にエンジンのうなりが少し高まったら、あとは平坦なガラガラ…という音が響くだけ。
イスに座っている限りではモーターの音も聞こえず、「電気式気動車」の電気の部分はわからずじまいです。

 

小樽から25分で余市(よいち)に到着。すでに硬すぎる座席にウンザリしつつありますが、今日の旅路はまだ始まったばかりです…

通称「山線」と呼ばれる函館本線長万部~小樽間は利用客が少ない区間ですが、その中で余市町小樽市に近いこともあって往来がかなりあります。現状でも輸送密度は2,144という計算になっており(2018年度)山線全体の輸送密度623に比べたら突出して高い数字です。
それゆえ北海道新幹線の札幌延伸にあたっては元から利用の少ない山線区間は廃止という話で固まりつつあった中でも、小樽~余市間は鉄道を残すという話があったほどでした。

 

これだけの利用者があって、第三セクターに転換後は利便性向上策を行ったとしても、結局はバス転換した方が赤字額が小さくて済むという話で押し切られ、小樽~余市間も鉄道が廃止される方向で決まってしまいました。

余市町は利用促進のためにかなり画期的なプランを打ち出していたのですが、結局は「30年間の累計赤字額は鉄道だと206億円に上るのに対し、バスなら18.1億円で済む」ということになって断念せざるを得なくなってしまったというわけです。
言わんとすることはわかりますが、じゃあ実際に往来する人々の利便性は?バスドライバーの確保は?と、たやすく「バス転換」という言葉だけでは片づけられないはずです。

 

toyokeizai.net

 

 

余市で乗客の半分ぐらいは降りてしまい、2両編成の車内は数えるほどしか乗客がいなくなりました。「山線」の名の通り、余市からはより深い山の中に分け入って太平洋側の長万部を目指します。

田んぼはまだまだ田植えから日にちが経っていない様子。

 

然別で対向列車のH100形とすれ違いました。従来から山線で使われていたキハ40系やキハ150形とは駆動方式が全く異なるため、H100形は旧型車との混結ができません
互換性のなさを補うためか、山線では2020年3月のダイヤ改正で15両を一気に投入してH100形に置き換えています

他の路線でも半数以上の列車が置き換えられるぐらいまとまった両数が一度に投入されており、H100形の増殖速度には驚かされます

 

小沢(こざわ)では構内が不自然な広がり方をしています。この明らかに線路が敷いてあったスペースは、日本海側に面する岩内町まで伸びていた岩内線の跡地です。

岩内線は1905年に開通した岩内馬車鉄道までルーツをさかのぼることができます。馬車鉄道とは文字通り車両を機関車の代わりにウマが引っ張るもの。その後1912年に正式な鉄道にアップグレードし、戦後の1949年に国鉄に移管されて岩内線となりました。
海産物、石炭、銅を運んで栄えたものの、これらの産業の衰退で1985年に廃止。線路が剥がされた現在でも、跨線橋と空き地が岩内線の名残をとどめています。

 

10:55、立派なスノーシェッドの中に収まった倶知安(くっちゃん)に到着しました。乗ってきた車両はここで小樽へ向けて折り返します。

 

倶知安には北海道新幹線の札幌延伸で駅が設置されることになっています。新幹線駅の建設に向けて従来の線路やホームは撤去工事の真っ最中で、真新しいホームは2021年10月に切り替えられたばかりの仮線です。

ゆくゆくは駅舎も建て替えられる予定で、町のすぐ南側にそびえる羊蹄山を望むことができるものにという要望が出ているそうです。

 

response.jp

 

 

数年内に姿を消すであろう倶知安駅舎。構内の売店と立ち食いそば屋はとっくの昔に閉業し、がらんとした待合室があるのみです。

先ほどの岩内線倶知安から発着していた他、1986年まで室蘭本線伊達紋別まで胆振線も運営されていました。羊蹄山の麓を回って洞爺湖の東岸へ達する路線でしたが、支庁をまたぐ区間はそもそも利用が少なかったようです。
「『京極』って駅名には見覚えがあるなぁ」と思っていましたが、セイコーマートで売っている「京極の名水」が取水されるのが沿線の京極町なのでした。

 

www.seicomart.co.jp

 

 

駅のすぐ隣には道南バスの営業所とのりばがあって、胆振線廃止代替バスもここから発着しています。
胆振線の代替といっても、支庁(現在は振興局)の境界は峠越えの区間で利用者数が著しく少なく、全線を通して走るバスは1日3往復のみ。鉄道がろくに機能していなかった区間は、バスでも状況は変わらなかったようです。

※2022年9月30日をもって、3往復しかなかった胆振線代替バス喜茂別~本町東団地間が廃止となりました。以降はバスで胆振線の跡をたどることは不可能になっています。

 

busmagazine.bestcarweb.jp

 

 

>>つづく<<