あさかぜみずほの趣味活動記録簿

旅行記や主に飛行機の写真をひたすら載せ続ける、趣味のブログです。たまに日記らしき投稿もあり…?

どこかで働く駅員がひたすら旅行記や写真(主に飛行機)をひたすら載せ続けるブログです

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家族旅行はリフレッシュ…? - 2日目(2021年11月18日)

昨日早く寝たこともあって、6時半には母親にたたき起こされました。年寄りの朝は早い…
せっかく温泉地に来ていることですし、朝風呂に行ってきれいさっぱりしてから朝食を食べることにしましょう。

薄曇りの空を見上げながら窓を開けると、ひんやりした冬の空気が流れ込んできました。

 

www.arima-gyoen.co.jp

 

 

朝食会場の広間に用意された朝ご飯は、小鉢やカレイの干物の炙りなどお腹に優しそうなメニュー。お高いホテルだけにお上品な感じです。

駅員になりたての頃から朝ご飯は餃子、コロッケ、唐揚げ、ハンバーグ…と調教されてきたカラダには物足りなさを感じなくはありませんが…
こういうところで「育ち」の悪さが出てきますね。良いものの味なんてあさかぜにはおそらくわからないのです。

 

 

散歩に出てみます。
温泉街のすぐ裏にある善福寺というお寺の階段は、鮮やかに色づきつつあるモミジで飾られていました。全体が真っ赤になるにはまだ少し早い感じですが雰囲気はとても良い。

ゆったりと階段を上がって行かれる上品な老夫婦の背中も景色と重なってまた美しく見えます。我が家の両親にもこうした品のある人間になって欲しいところですが、まぁもう無理でしょうな…

 

温泉街からはJR西宮名塩駅への路線バスや阪急梅田駅への高速バスなどが運行されています。高速バスは確実に座れるのが利点ですが1日6往復と便数は限られるので、有馬温泉へのアクセスはなんだかんだ神戸電鉄を使うのが時間に縛られず便利です。

 

www.hankyubus.co.jp

 

 

チェックアウトを済ませて駅へと向かいます。ホテルの隣にある「湯けむり広場」にもハゲたオッサンの顔がそびえていました。この現代アートに関しては昨日の旅行記で触れているのでご覧になってみてください。

正面から見ると水に打たれてもだえているようにしか見えませんが…

 

改札前に立つ女の子のポップは、日本全国の温泉地の活性化プロジェクトとして立ち上げられた「温泉むすめプロジェクト」のもの。台湾の1つを含めた17カ所でそれぞれキャラクターが作られ、その地の温泉の魅力を発信する取り組みです。キャラクターグッズ類も通販は行わず現地に行って初めて手に入るスタイルを徹底して、温泉地へ実際に足を運ぶことで温泉地の発展につなげるという狙い。
有馬温泉では姉妹という設定で2人のキャラクターが設定されています。

Twitter上では過激派フェミニストに目をつけられて少々ややこしいことになりましたが、逆にそれがコンテンツへの注目度を上げた気はします。「温泉むすめ」にはめげずに今後も育っていって欲しいですね。

 

onsen-musume.jp

 

 

上の写真は妹の「有馬 楓花(ふうか)、髪の毛の色や、好きな食べ物(サイダー、炭酸せんべい)から銀泉をイメージしているようです。
赤い髪のこの子は姉の「有馬 輪花(りんか)。好きなものに入っている黒豆プリンは温泉街にある「カフェド坊」で提供されている有馬温泉の有名なスイーツなのだとか。

キャラクターグッズは複数の施設で数種類販売されており、あさかぜは観光案内所でキーホルダーを買ってきました。施設ごとにグッズが違うのも、温泉地の中を回遊してくれるようにという目的だそうです。温泉地の振興のためによく考えられています。

 

onsen-musume.jp

 

 

さて、神戸電鉄に乗って新神戸へと向かいましょう
メインの系統となる有馬線三田線の系統は4両編成ですが、有馬口有馬温泉間や、利用者が少なく虫の息となっている粟生線では3両編成が使われているようです。

停車している1500系は3両編成2本しかいないレア物ですが、Wikipediaによれば1本は休車だそうで、実際に動く1500系はこの車両だけなおさらレアな感じ。

 

1500系自体は1991年に製造された車両ですが、この車両が属する1000系シリーズは1965年から全部で106両が製造された一大勢力。

神戸電鉄ならではの装備として抑速ブレーキと非常電気ブレーキが挙げられます。
モーターを発電機として使い、その抵抗を使って速度を抑える「抑速ブレーキ」自体は他でも見られる装備。
もう一つの「非常電制」と呼ばれる非常電気ブレーキは、現在では神戸電鉄でも古い世代の車両ぐらいでしか見られません。抑速ブレーキの最強版みたいなもので、モーターをショートさせるぐらいの抵抗にして停止寸前まで速度を抑え込むというものです。運転台左側のマスコンハンドルをよく見ると、一番奥に「非常(電制は隠れて見えない)」と書かれています。万が一にもブレーキが利かなくなったら、そこまでノッチを入れて減速させるというわけです。

坂を下ることに重点を置いているためか、力行のノッチは2段しかないようです。

 

非常電制のような特別な装備や強化されたブレーキ周りなど、神戸電鉄の車両はよその会社の車両では使うことのないものを色々取り付けなければいけないので、車両の価格はどうしても高くなってしまいます。
また神戸電鉄は坂道のとても多い路線で、平坦なところは全線の2割もありません3割は35‰以上、2割は50‰以上の超急勾配が占めており、ひたすら坂道です。33‰を上限値としていた国鉄に比べるといかに急な坂かというのがわかりますし、それに合わせた保守作業も必要になります。

こういった特殊性から、どうしても神戸電鉄の運賃は他社に比べると高くなってしまいます。

 

有馬温泉の駅を出ていきなり50‰の急な下り坂へと突入します。
先ほども触れた‰=パーミルは千分率といって、鉄道の世界では1,000mあたり何m上下するかを表しています。50‰は1,000mあたり50m上下するということ。

摩擦が少ない鉄道では、5‰でさえブレーキをかけなければ動き出してしまいます。レールと車輪の単純な粘着力だけで上り下りできるおおよその上限は、箱根登山鉄道にある80‰程度とされています。有名な信越本線碓氷峠はそれよりいくぶんマイルドな66.7‰でしたが、専用に用意した補助の機関車をつけていたほどです。
日常的に50‰を当たり前のように往来する路線って神戸電鉄以外にはほとんどないのでは?

 

有馬口では1分の接続で乗り換え、さらに谷上でも数分の接続で地下鉄に乗り換えられます。乗り継ぎが良好で助かりますが、一方で列車の写真は撮れないというのは泣き所旅行記のネタになりません。
所要時間は30分足らずで運賃は680円神鉄400円+地下鉄280円)。それなりに高い運賃ですが、去年の5月末までは950円かかっていたと考えればかなり安くなったと思えます。

 

というわけで新神戸に到着しました。これから乗る鹿児島中央ゆきの「さくら」までは時間が有り余っています。
両親はのんきに買い物をしていますが、時刻表を見るとどうやら500系ハローキティ新幹線」がもうすぐで到着するそうですからホームで新幹線を眺めましょう。

ハローキティ新幹線は検査の日を除いて「こだま838号」「こだま849号」の固定運用となっており、博多~新大阪間を毎日1往復しています。

 

www.jr-hellokittyshinkansen.jp


 

 

編成全体に描かれているリボンは地域を結ぶ・つなぐという思いを乗せたもの。車端部に描かれているキティちゃんはご当地のイラストになっているそうで、号車ごとに異なっています。

博多寄り先頭車の1号車はまるごと展示スペースになっていますし、2号車は普通車自由席ながら全体が飾り付けられています。窓のカーテンまでキティちゃんが描かれているほどです。
好きな人にはたまらないでしょうけれども、仕事の移動でたまたま空いている自由席に乗ったら2号車だった、となったらちょっと落ち着かなくなりそう…

 

今後乗る機会があるかどうかはわかりませんが、記念写真は撮れたのでヨシとしましょう。

 

N700系7000番代の「さくら」で博多へと向かいます。数分前に出る「のぞみ」の普通車指定席は2+3の5席配置に対し、こちらの「さくら」は2+2の4席配置の大型座席なのでとても快適です。グリーン車なんて乗らなくてもいいんじゃないかと思ってしまうぐらい。現に山陽・九州新幹線用のN700系グリーン車は6号車に半室しかありません。

この列車が新玉名に停まってくれれば乗り換えの手間がかからなくて済むのですが…

 

奥の方に日本製鉄の製鉄所が見えてくると北九州に来たことを実感します。1ヶ月ぶりの九州上陸です。

 

博多から800系「つばめ」に乗り継ぎます。こちらは先月乗ったものとは違って九州新幹線の開業当初から活躍している車両です。

 

やはりベース車両がJR東海・西日本の700系とはとても思えない内装の美しさです。先月の「新800系」に比べたら多少地味ですが、それでも十二分に豪華なことには変わりありません。

 

博多から50分ほどで目的地の新玉名に到着しました。祖母が亡くなって以来ですから、まるまる8年ぶりぐらいの訪問です。先月通ってはいましたけども。

正直なところ我が家の家族3人だけ降りる程度だと思い込んでいたので、他にも数人の下車があったのには驚きました。この何もない駅へ何のために降りるのか少々疑問ですが、近くにある玉名温泉への最寄り駅と考えればわからなくもありません。地元の人のようには見えませんでしたし。

なお新玉名の1日平均乗降客数は2019年度は約1,200人。新幹線の駅としてはかなり少なく見えますが、コロナ禍に見舞われた2020年度ではたった570人ほど…かなり絶望的な数字に見えます。
在来線の玉名駅は高校生がいるからか2020年度でも4,000人弱の乗降がありますから、未だに新幹線の駅はおまけ未満の存在でしかないようです。
…ま、未だに駅前にはケーズデンキとホームセンターのグッデイしかなく、あとは耕作放棄地を含めて緑一色。無理もありません。

 

www.jrkyushu.co.jp

 

 

市内中心部のトヨタレンタカーでクルマを借りて本日の宿へと繰り出しますが、その前に見ておきたかったところがあるので寄っていきます

2013年10月下旬にオープンした「ゆめマート玉名」。西日本を中心に運営されている総合スーパー「ゆめタウン」の小規模店舗のブランドでしょうか。
元々この場所は凸版印刷の玉名工場があった場所でした。あったといってもだいぶ昔の話。ごくたまにしか来ていなかったあさかぜの記憶には全く残っていませんが、店の前にある「ゆめマート玉名前」という産交バスのバス停が「凸版前」と名乗っていたのは覚えています。

 

www.izumi.jp

 

 

ゆめマートもさることながら、気になるのはその向かいにあるもう1つのショッピングモールです。
子供の頃は「壽屋(ことぶきや)」の玉名店でしたが、2001年に倒産したため別会社に継承。現在は施設そのものを「カリーノ玉名」とした上で店舗を貸し出すスタイルで営業しています。なお半地下1階・地上1階の2階建てながら背後に1,000台が収容できる大きな駐車場を備えています。埋まることはあるのでしょうか…?

2002年から核店舗が「ジャスコ玉名店」となっていました。壽屋はおぼろげながらの記憶ですが、ジャスコになってからは何度か来ているのでハッキリと記憶があります
ただ客足が遠のき、2011年から「ビッグミカエル玉名」へと核店舗が変わります。ジャスコ時代もミカエル時代も、下手したら店員の方が客よりも多いでしょっていう雰囲気だったのはよく覚えています。

 

www.carino.co.jp

 

 

そして競合の「ゆめマート」が向かい側にオープンし、ビッグミカエルはあえなく敗退2014年にディスカウントストア「ダイレックス 玉名中央店」が核店舗として登場して現在に至ります。
2階には広々とした100円ショップ「シルク」が賑わっていましたし、1階のダイレックスは多くの買い物客がいました。以前のテナントよりも明らかに利用者が多かったので今度こそ長持ちしてくれることでしょう。すでにミカエルの倍の期間は運営できていますしね。

 

www.ds-direx.co.jp

 

 

クルマでは両親がしびれを切らせて待っていました。カメラをトランクに放り込んで再出発です。

今日と明日は玉名市有明海沿いにある温泉宿「小天(おあま)温泉 那古井館」にお世話になります。玉名温泉に比べるとかなりマイナーな温泉地で、熊本県にゆかりのない人からは知名度なんてほとんどないんじゃないかと思います

 

nakoikan.com

 

 

部屋に荷物を置いてから宿の裏手にある「実山(げんやま)展望公園」へクルマを走らせます。狭いアクセス路を抜け、決して広いとは言えない駐車場にクルマを置いて展望台に上がってきました。借りたクルマがコンパクトカーのトヨタ・ヤリスでよかった。

展望台からは有明海に面した農業地帯が広々と見渡せます。
まっすぐな海岸線から察せられるとおり、視界に見える平野は干拓によって作られた農村地帯です。遠浅の海は江戸時代以降から数回にわたって干拓が行われ、玉名平野とか菊池平野と呼ばれるエリアの7割が干拓によって生まれた土地です。
最も海側の土地は1961~1964年に行われた「国営横島干拓」によって生み出されたエリアです。写真で見ると明治期に行われた干拓地との間に木が生えているので境目がはっきりわかります。川を挟んだ手前側はやはり明治期に干拓された領域で、江戸期の干拓地はここからだとほとんど見えません。

干拓地は良好な水田地帯となったそうですが、現在はビニールハウスが多く立ち並んでいるのがわかります。玉名市はトマトやイチゴ、キャベツなどの生産も盛んなほか近年ではマンゴーに力を入れているそうで、ビニールハウスではそうした農産品を作っているのかもしれません。

 

kumamoto.guide

www.city.tamana.lg.jp

 

 

後ろを振り返って見えるのは金峰山の主峰「一の岳」です。標高665mとそんなに高くはない山、とはいえ千葉県内のどの山よりも高いのですが、玉名平野の隅にそびえているのでかなり存在感があります。

大学生の頃に書いた旅行記か撮影記では堂々と「阿蘇の外輪山」と間違えて書いていた記憶がありますが、全く関係はありません…
一応は火山で最後の噴火は20~15万年前とされており、何なら阿蘇山よりも古くにできた山です。
できれば頂上付近まで行ってみたかったところですが、今日は残念ながら時間に余裕がないので断念せざるを得ません…

 

kumamoto-guide.jp

 

 

有明海を挟んだ反対側にそびえるのは長崎県島原市雲仙普賢岳です。中央の1991年に始まった噴火で形成された溶岩ドームは1996年に平成新山と名付けられ、1,487mの最高峰として噴火災害の復興の記念としているのだとか。

山肌に夕日が沈んでいくのを両親と3人で静かに見つめます。

 

www.nagasaki-tabinet.com

 

 

17時過ぎ、太陽が雲仙岳の山肌に沈んでいきました。同時に気温が下がって急激に冷えてきたので旅館へ戻ることにしましょう。

なお金峰山は日当たりが良いからか河内みかんの一大生産地となっていて、しばしばみかんを満載した軽トラやトラックとすれ違います。地元のスーパーでは大きなネットに入って300~500円という破格で販売されており、冬の間みかんに困ることはなさそうです。

 

ここ小天温泉は文豪夏目漱石の小説『草枕』の舞台になった場所明治30年前後に現在の熊本大学で英語の教師を勤めていた夏目漱石が、ここ小天温泉で静養した際の経験を基に書かれた作品といわれています。
草枕』の主人公が訪れた「那古井温泉」にちなんで、戦後に旅館の屋号を那古井館と改めたのだとか。現在はそれなりの高級温泉宿となっていますが、元々は湯治のための施設だったと仲居さんから伺いました。我が家に割り当てられた部屋は10人以上が所狭しと入るようなところだったとか。

館内には『草枕』の主人公のセリフが書かれたのれんが各所に下がっています。あいにく『草枕』は読んだことがないのでどこのシーンなのかはさっぱりわからないのですが、そもそも夏目漱石の作品があさかぜには全くの苦手分野…
吾輩は猫である』『こころ』『坊っちゃん』…
義務感の伴う読書は苦手です。

 

旅館に戻る頃には玉名市内に住む伯父・伯母がすでに到着していました。
祖父母の遺影を囲んで5人で食事を取り、思い出話や近況に花を咲かせます玉名市産のイチゴを使用したお酒もありました。ほんのり甘くておいしかったのですが、なんという品名か忘れてしまいました。
先ほど調べたら「くまもと玉名いちご酒」というのが引っかかりましたが、本当にこれだったのかイマイチ自信が持てない…

部屋に戻ったら思い出話とともに明日の予定を話し合います。午前中に祖父母の法要を行ったのち、我が家は天草へとドライブすることになりました。明日も忙しそうですから、年寄りと一緒に早めに寝てしまいましょう。

 

joraku.com