二晩お世話になったアパホテルをチェックアウトし、奥田中学校前駅まで歩いてきました。昨日と同様バスに乗れば多少早く富山駅に着きますが、せっかく2日間の地鉄フリーパスがあるので有効に使っていきましょう。
富山駅から日本海に面した岩瀬浜までを結ぶ富山地方鉄道富山港線は、2006年2月までJR西日本が運行する普通の鉄道路線でした。廃止が取り沙汰されていた時に路面電車の車両を使ったLRTへ転換されることが決定し、2006年4月末に第三セクター「富山ライトレール」として再スタートを切ります。駅を増設し、運行本数も運行時間も大幅に拡大、利用者数もJR西日本時代よりはるかに増えてLRT転換路線として初の成功例となりました。
2020年に富山駅を介して市内電車と富山港線が接続される事を受け、富山ライトレールが地鉄に吸収されて富山港線は地鉄の路線へと変わりました。
元々富山港線は地鉄の前身のひとつ「富岩鉄道」が建設したものが国鉄に移管されていたので、77年ぶりに地鉄へと戻ってきたことになります。
朝の413系の姿を写真に収めておきましょう。
5番のりばに停車していたのは高岡発泊ゆきの普通列車。富山駅で22分もの時間調整を行って9時ちょうどに発車していきます。車両はイベント用車両の「とやま絵巻」でした。特別感あふれる見た目ですが朝夕の定期列車でほぼ恒常的に乗ることが出来ます。
あとから到着したのは金沢発富山ゆきの普通列車です。泊ゆきはこれの接続を受けて発車していきます。
白地に青帯のデザインは「新北陸色」と呼ばれ、北陸本線のローカル列車と言えばこれが定番でした。2010年から導入された青一色の地域色にならずに生き残って、あいの風とやま鉄道へと継承されたというわけです。
昨晩の「北陸地域色」、この「新北陸色」、「とやま絵巻」、レストラン列車「一万三千尺物語」と4本全てで車体デザインが異なっているのはあいの風とやま鉄道の魅力でしょう。
2021年現在でも朝夕のラッシュ対策として残っている413系の定期運用ですが、2022年度には521系に統一されることが決まっています。すでに5月には1編成が廃車されており、定期運用3つに対して3本全てがフル稼働する状態。
混雑時には欠かせない車両なのですぐに消えてなくなることはないはずですが、年季の入った車両ですから何があるかはわかりません。今のうちに来ておいて正解でした。
413系の勇姿を見届けたので、昨日と同じく「立山そば」でとろたまそばの朝ご飯です。違うもの食えよ…とあとで写真を見返して思うわけですが、そのときになってみるとなかなか自分の好みというのは外せないんですよねぇ。
さて、今日の午前中はまだ乗っていない地鉄の路線を乗り潰しにいきます。なお立山線内で架線に動物が引っかかったとかで、折り返し列車に遅れが発生しています。どういう状況なのか想像が出来ませんが、鳥でも引っかかったんでしょうか…?
岩峅寺(いわくらじ)ゆきの10030形は10分ほど遅れて電鉄富山を発車しました。2両編成の車内はガラガラです。
次の稲荷町で昨日乗った本線から分岐し、不二越・上滝線へと入っていきます。地図を見ると電鉄富山から寺田を経由して立山へ至る本線・立山線をショートカットする形で不二越・上滝線が岩峅寺まで延びていますが、市街地を抜ける分寺田経由の方が需要があるようで、2021年現在では南富山経由は全て岩峅寺までです。
地鉄では本線・立山線経由の列車は「寺田経由」、不二越・上滝線経由の列車は「南富山経由」として案内されます。
稲荷町でY字に分岐する中央部分には地鉄の全車両を管理する「稲荷町テクニカルセンター」があります。その車庫にチラリと一瞬見えたのは西武鉄道から譲渡された10000系「ニューレッドアロー」です。
形式はまだ決まっていないようですが、新たな地鉄の顔として今後改造が行われます。2021年度内に運行開始予定とのことで、どんな姿を見せてくれるのか楽しみです。
しかしニューレッドアローが運転開始になったら、ますます元東急8590系こと17480形がハズレの存在になっていきますね…
布市駅あたりからは沿線の景色は田んぼがメインになります。開発と書いて「かいほつ」と読む駅の周辺はご覧の通り田畑となっており、農業の開発が行われたから「開発」なんじゃないかと勝手に勘ぐっていました。
電鉄富山からおよそ30分で終点の岩峅寺に到着します。ここもY字型の配線になっているのは立山線と上滝線で建設した会社が違う名残でしょう。
先ほども述べたとおりショートカットするような形で線路が敷かれているため、乗継のタイミングによっては寺田経由よりも南富山経由の方が数分早くなるようですが、わざわざ数分のために乗り換えるのもおっくうな話ではあります。
岩峅寺は3番線に停車。こちらは行き止まりですが、ホームの奥側にある4番線はそのまま立山線へとつながっています。両線を行き来する列車があった時代の名残で、電鉄富山駅の時刻表には「立山(南富山経由)」という行先案内も残っています。
年季の入った岩峅寺の駅舎は1921年に開業した当時のもの。大正時代に作られた駅舎は2009年に制作された映画『剱岳 点の紀』(原作は新田次郎の小説)の中で、明治期の富山駅として登場しています。駅舎内にはロケ風景の写真が数多く飾られていますので、映画をご覧になった方は楽しめるのではないでしょうか。
折り返して南富山駅まで戻って来ました。ここは市内電車との乗り継ぎポイントになっており、駅を出るとすぐに路面電車が待っています。
この駅は屋上に踏切があるということでテレビで話題になった記憶があります。地鉄の研修センターが併設されており、その訓練用設備の一つがくだんの踏切というわけです。
この日の富山市の気温は25度…6月は始まったばかりだというのに。上着を片手にこの写真を撮っていたら、校外学習中らしい小学生の子たちにインタビューされてしまいました。あさかぜの風体を通りかかったサラリーマンと見たようですが…
ごめんね、オジサンはただの旅行なんだ…
と事実を伝えてしまうのもアレなので、たまたま出張で通りかかったフリをして先生との対談もやり過ごし、なんとか小学生に失望されなくて済みました。
…出張のサラリーマンはSONYのコンデジなんて持っていないでしょうけど。
壁新聞に載せさせてもらいたいと写真も撮られましたが、果たしてなんと書かれていたのかちょっと気になるところです。
暑さから逃れるように入った路面電車の車内はずいぶんオシャレです。見るからに水戸岡鋭治氏監修のデザイン。
2013年に地鉄の路面電車が100周年を迎えた記念として改装された車両だそうで、水戸岡氏お得意の木を多用した内装に、旧型電車から持ってきた照明を取り付けています。
地鉄の公式ページによると土日祝に固定運用で入っているそうですが、運用の都合なのか平日なのに乗り合わせることが出来ました。こんな車両が走っていることさえ知らなかったので偶然の出会いです。
さっきインタビューを受けていなければこの車両には乗れなかったのでラッキー!
備え付けられたテーブルを生かした貸切イベント列車なども企画できるとのこと。このご時世なので今のところは貸切を受け付けていないそうですが、コロナ禍が収まればこういう列車で市内を回るのも楽しそうです。
富山駅まで戻って来ました。レトロ電車の7022号車はそのまま大学前へと向かっていきます。
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