あさかぜみずほの趣味活動記録簿

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2018年7月14日(3):三笠鉄道記念館【屋外展示】

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_DSC3020 posted by (C)あさかぜみずほ

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_DSC3033 posted by (C)あさかぜみずほ

日がカンカン照りですが、外の車両群を見学しないわけにはいきません。

駐車場からも目立って見える位置に置かれているのは、DD15形ディーゼル機関車。1962年から製造された除雪専用の機関車で、展示されている車両には現役時と同様にラッセルヘッドが取り付けられています。

雪を線路の左右へ掻きだす「ラッセル装置」は油圧式の羽根がついており、それを広げることでさらに広い範囲の雪を押し出すことが出来ます。

DD15形はラッセルヘッドを取り外せば普通のディーゼル機関車として利用でき、雪のシーズン以外でも使い道ができる…はずだったのですが、車両が重すぎて線路の弱い路線には入れないなど、使い勝手は悪かったようです。

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_DSC3024 posted by (C)あさかぜみずほ

黒い箱のような車両は「キ700形貨車」。貨車とは言いますが、貨物を載せるためのものではなく、雪かき用の車両です。ユキのキから取って、雪かき車は形式がつけられていました。

車体中央の羽根はやはり展開して幅広く除雪できるようになっており、それを動作するための空気タンクは車内に収められていました。

1926年にアメリカから輸入した車両を国産化したもので、昭和50年代に北海道の車両は近代化改造を受けて、写真の姿へと変わっています。羽根の動力源も空気から油圧へと改良されています。

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_DSC3047 posted by (C)あさかぜみずほ

同じような見た目ですが、こちらはキ100形貨車。単線路線の除雪用に製造された車両です。

側面の羽根が展開するのもやはり上の2両同様で、動力源は圧縮空気です。車両の屋根に機関車から供給された圧縮空気を蓄えるタンクが装備されており、それを使って羽根を動かしていました。

JRでは民営化直後に全て廃車となっていますが、弘南鉄道津軽鉄道では現役で動いているようです。

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_DSC3039 posted by (C)あさかぜみずほ

鼻が高くて長いこの機関車はDD14形といって、これも除雪専用のディーゼル機関車です。DD15はラッセル除雪車でしたが、こちらは雪を取り込んで遠くへ飛ばす「ロータリー除雪機」を装備していました。

500馬力のエンジンを2台搭載し、除雪用と走行用に1台ずつ使い分けるつもりでしたが、ロータリー除雪機を回すパワーが1台では足りませんでした。それゆえ、必然的に2台ともロータリー除雪機へとパワーを供給し、自分を押してくれる機関車が必要になってしまいました。

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IMGP9664 posted by (C)あさかぜみずほ

末期の頃は写真のようにDD14同士を2台背中合わせで連結し、前の車両は除雪機へパワーをすべて供給、後ろの車両は前の車両を押すというやり方を取っていました。

この機関車も雪以外の時期は入換用に使っていましたが、ご覧の通りエンジンのある側の見通しがとてつもなく悪いため、入換用のディーゼル機関車がデビューするとさっさとやめたそうです。

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_DSC3042 posted by (C)あさかぜみずほ

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_DSC3044 posted by (C)あさかぜみずほ

ロータリー除雪機の内部。手前側の回転する「ロールバー」で固まった雪を砕き、後ろの扇風機のような「ブロワー」で吸い込んで外へと吹き飛ばします。

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_DSC3061 posted by (C)あさかぜみずほ

事故救援用のクレーンを備えたソ80形(奥)と、そのクレーンを腕を載せるためのチキ6000(手前)。ソ80は驚くことに台車にモーターを装備しているので、自走することが可能。ちょっと気持ち悪いですが見てみたいですね。

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_DSC3069 posted by (C)あさかぜみずほ

ずいぶんちんまり見えるこのディーゼル機関車は、DD16形というローカル線向けのもの。短い客車や貨車を引っ張ってローカル輸送を支えていましたが、ディーゼルカーの普及や貨物輸送の廃止によって姿を消しました。

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_DSC3078 posted by (C)あさかぜみずほ

DD16の後ろにつなげられているのは「救援車」と呼ばれる車両。あらかじめ車内に復旧用の機材を搭載しておき、何かの事故が起きた際に迅速に現場で対応できるよう用意された車両でした。

三笠鉄道記念館に展示されているのは、「オハ30形」と呼ばれる客車一族を改造したスエ30形と呼ばれるもの。

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_DSC3282 posted by (C)あさかぜみずほ

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_DSC3080 posted by (C)あさかぜみずほ

機関庫の中には3両の機関車が展示されています。そこにある車両は中にも入れるのでえっちらおっちら入り込んでみます。

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_DSC3086 posted by (C)あさかぜみずほ

ED76形電気機関車というと九州で走っている車両の印象がとても強いですが、実は1994年まで北海道でも走っていた車両でした。暖地の仕様をそのまま持ってくるわけにはいかなかったので、極寒の北海道に対応するよう様々な装置を大きくしたり新設したりして、ED76形500番代と区分しています。

車両の長さは0番代に比べて1mも長くなりました。

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_DSC3211 posted by (C)あさかぜみずほ

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_DSC3214 posted by (C)あさかぜみずほ

運転席に座って運転士気分を味わってみます。

左側の2つあるブレーキ弁にはブレーキハンドルが刺さっていませんが、右側のマスコンハンドルは動かすことができます。速度に応じて運転士が調整する「手動進段」を使っているため、右側のマスコンはとても細かくノッチが刻まれています。

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_DSC3221 posted by (C)あさかぜみずほ

写真を撮り忘れていましたが、ED76形の隣に置かれているのはDD13形ディーゼル機関車国鉄本体よりもむしろ臨海鉄道などの私鉄で重宝された機関車で、今も同型の車両が日本各地で活躍しています。

構内の入換用を目的として開発されたので、運転席は通常の車両のように前後ではなく、横向きに1セットだけ取り付けられています。前後の切り替えを多く必要とする入換用ならではの装備で、移動をしなくていい代わりに運転士は常に横を向いて運転をしなければなりません。

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_DSC3227 posted by (C)あさかぜみずほ

イスに座って見る限りではとても見通しがいいとはいえませんが、レールの上を走る鉄道車両ならこんなものでいいのかもしれません…

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_DSC3249 posted by (C)あさかぜみずほ

キハ20系の中で、北海道向けの仕様変更を施されたのがキハ22形。いすみ鉄道で動態保存されているキハ52形とそっくりですが、それもそのはずで両車は同じキハ20系シリーズに属します。

キハ22形はエンジンを1機搭載するのに対し、キハ52形は2機搭載した勾配の険しい路線向けに用意された車両です。

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_DSC3253 posted by (C)あさかぜみずほ

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_DSC3256 posted by (C)あさかぜみずほ

塗装が痛んで、痛々しい姿となっているキハ56形。急行形ディーゼルカーの象徴ともいえるキハ58系のグループに属し、やはり北海道向けの酷寒冷地仕様が施された車両です。

1枚目は2エンジンのキハ56、2枚目は1エンジンのキハ27。国鉄ではエンジンの数で形式の数字が違っていたので、見た目はそっくり同じでも全然違う形式に見えてしまいます。

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_DSC3134 posted by (C)あさかぜみずほ

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_DSC3329 posted by (C)あさかぜみずほ

敷地内を30分ごとに往復しているS-304という蒸気機関車。タンク部分に書かれている「テツゲン」という名の通り、元々は株式会社テツゲン(当時は「鐵原」と書きました)の室蘭支店で入換に使われていた機関車だったそうです。

コークスとは石炭を蒸し焼きにして不純物を取り除いたもののことで、高温を必要とする製鉄には欠かせない存在です。コークスを製造しているテツゲンが新日鐵住金の関連会社ということからも、製鉄との結びつきがうかがえるかと思います。

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_DSC3292 posted by (C)あさかぜみずほ

敷地外には自動連結器をかたどったモニュメントが置かれていました。「鉄道発祥の地」と銘打たれていますが、別の項でも書いたとおり手宮(現在の小樽付近)~札幌~岩見沢~幌内は北海道で最も早い段階で鉄道の通された区間

北海道の発展を支えたこの幌内線も1987年7月に全線が廃止され、完全に過去の存在となってしまいました。

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_DSC3295 posted by (C)あさかぜみずほ

駐車場の隅には無造作に車両が並べられていますが、これもよく見てみれば貴重な産業遺産です。

このロータリー除雪車は車両の小ささから見て、炭鉱から石炭を運び出す線路の除雪用に使われていたものと思われます。

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_DSC3303 posted by (C)あさかぜみずほ

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_DSC3307 posted by (C)あさかぜみずほ

キロ28は、先ほどのキハ56形とセットに展示されていてもおかしくない車両のはず…スペースがなかったのか、駐車場の隅に並べられています。普通車よりもグリーン車の方が扱いが雑なのは笑っちゃいますね。

車体側のサビが浮いてきて、表面の塗装もボロボロです。塗り直せるに越したことはありませんが、塗料の費用も手間賃もバカになりません。運賃を稼げる存在でもないわけですから、難しいところですね。

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_DSC3308 posted by (C)あさかぜみずほ

こちらも炭鉱関連の車両なのは明らかです。架線の高さは普通の車両と変わらないのに、貨車を含め車両の横幅は小さな規格で作られているので、写真のようにやたらとのっぽな機関車ができあがります。

ところでこの「10」と書かれた電気機関車ですが、北海道の実例を探していたら以下のウェブサイトを見つけました。

http://bunta.webcrow.jp/taiheiyou.html

釧路の太平洋炭礦の写真を掲載なさっているページですが、掲載の写真と記念館に保存されている車両がそっくりなんですよね。もしかしたら釧路から持ってきた車両なのでしょうか…?

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_DSC3314 posted by (C)あさかぜみずほ

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_DSC3318 posted by (C)あさかぜみずほ

さらに小さい車両は、炭鉱の坑道へ作業員の人たちを運んでいたものです。後ろの客車の高さも150cmほどしかありませんから、坑道の小ささが想像できます。

機関車の上に載っている「48」と書かれた大きな箱は蓄電池ですが、炭鉱内で火花を散らして爆発したら大変なことになります。そのため、この蓄電池には「防爆形」という物々しい文字が書かれています。

この蓄電池のメーカーは日本電池、現在のジーエス・ユアサコーポレーションです。

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_DSC3320 posted by (C)あさかぜみずほ

手前から、炭鉱の人車、牽引用の電気機関車、通常規格の鉄道車両。こうして並べてみると、大きさの違いがはっきりわかります。

続いてもう一つの目玉、廃線跡を移動できるトロッコ列車に乗ってみましょう。