2021年11月以来の家族旅行、しかも弟も含めた4人全員ともなるといつ以来かわからないぐらいです。それぐらい久しい家族旅行の行き先は台北。
…そう、あさかぜは先月以来の台湾です。
家族旅行が先に決まっていたのですが、それではあさかぜ個人の趣味活動が全くといっていいほどできません。なので「趣味のことをやろう!」と急遽思い立って出かけたのが先月の単騎遠征だったのでした。
せっかくなので弟を連れて羽田空港第3ターミナルの日本航空「サクララウンジ」に入りましょう。こういう贅沢な経験をすることも今のところはないでしょうからね。
満席に近かった4階のメインラウンジを避け、開放感が味わえる5階「スカイビュー」へ。5階はシャワーがないぐらいで、食事などのサービスは4階と同様に受けられます。
あさかぜはスパゲッティ アマトリチャーナとティラミスという控えめな選択ですが、弟はアメリカンモーニングプレートにティラミスというだいぶ重たいセレクトです。
飲み物もソフトドリンクはもちろんお酒が飲めてしまうので最高の朝ご飯!
ラウンジにいられたのは40分程度。空港にはかなり早めに着いていたのですが、保安検査や出国審査の順番待ちで時間を取られてしまいました。特に保安検査場の混雑は激しく、これだけで30分近くかかったのは勘弁してほしいところ。
キャパシティが大してないのにむやみやたらと国際線の便数を増やした結果がこれです。長距離便が北米だけならまだマシだったろうに、あっちこっちにいい顔をした結果野放図になってしまっているように思えてなりません。
2020年代末に成田空港の拡張が完成したら、路線網の見直しなどでこの有様を改善して欲しいものです。
これから搭乗する台北・松山空港ゆきJL97便はほぼ満席。家族4人の席はバラバラです。
JA876J / Japan Airlines / Boeing 787-9 Dreamliner
搭乗機はボーイング787-9、比較的近距離の路線に投入されているE92仕様はエコノミークラスが多めの座席配置です。
航空会社の格付けで有名なスカイトラックス社におけるベスト・エコノミークラス・エアラインシート賞を獲得したという「JAL SKY WIDER」。薄型のシートで足下が広いのはもちろんのこと、移動時間が長くなりがちな国際線のために手元の小物をしまっておけるポケットがいくつもあります。
画面の右側にあるポケットはスマホホルダーも兼ねているようですが、あさかぜのPixel 7 Proだと大きすぎて入りませんでした…
B787の世界標準はヨコ9列ですが、あえて日本航空は2-4-2の8列を採用しました。おかげで満席でも国内線のキチキチよりは少し楽になっています。
自分のタブレットに保存しておいた動画を見ながら過ごします。窓にも通路にも面していない席に座ることを「ミドルマンの悲劇」なんて表現することがありますが、今は暇つぶしのコンテンツが充実しているのでそこまででもないでしょう。
トイレに立ちづらいのはいかんともしがたいですけどね。
割とすぐに機内食のお時間になりました。ラウンジでしっかり食べてしまったのでそこまで空腹ではありませんが…
ビーフシチューにパスタが添えられた、なかなか重めのメインディッシュ。まぁお腹を空かせて乗る人が多いでしょうから、これぐらいしっかりしていた方がいいのかも。
羽田空港から3時間弱、照りつける太陽が眩しい臺北松山機場に到着しました。つい先月来たばかりなので久しぶりという感じは全くありません。
着いた記念に展望デッキで家族そろった写真を撮ろうとしたのですが、先月は入れた展望デッキは閉鎖中…
撮影記にも書きましたがちょうど今月(2023年10月)から改修工事が始まったそうで、2024年の秋頃までは入れないようです。残念。
先にホテルへ荷物を預け、台北市内の観光に繰り出します。何せ2泊3日しかないので慌ただしい…
なお先月好き勝手に遊んでいたあさかぜには、家族旅行における目的地の提案権はありません。両親の行きたい場所にルートを示してついていくだけです。
というわけでまずは荘厳な見た目で圧倒するこの建物を訪れてみました。
これは「國家戯劇院」、国立劇場として1981年に建設された建物です。見た目はいかにも中国の伝統的な建築様式で「公演を見ないのに入るのもなぁ」と我々は近くから見上げるのみでしたが、実は中にカフェがあるそうです。
暑くて疲れたなというときは腰を落ち着けて一服、というのもできるとは…
設計者は圓山大飯店と同じ人とのこと。先月の松山空港での撮影記をご覧になると、国家戯劇院と圓山大飯店の雰囲気が似ているのがおわかりいただけるかと思います。
國家戯劇院の奥に控えるのは「國家音楽廳」、国立音楽ホールとして戯劇院とセットで建設された建物です。
そして台北と言えば欠かせないのは蒋介石をたたえた「中正紀念堂」。広大な石畳の先にそびえる真っ白な建物は、写真で見るよりもはるかに迫力があります。
建物の前にいる人と比べてみると、記念堂の大きさがよくわかるでしょう。
広場から上がる階段は84段、入口にもう5段、合わせて89段は蒋介石の享年を表しているのだそう。
早くも暑さに音を上げかけている両親は階段を見上げて気力を失ったらしいので、あさかぜと弟だけで上まで行ってみます。ちなみに建物の右側にはエレベーターが用意されているので、無理にこの階段を上がる必要はありません。
中正というのは蒋介石の本名である蒋中正から取ったものです。“介石”というのは字(あざな)で、満州でスパイ活動を行っていた時は「石田雄介」という偽名を名乗っていたこともあったそうです。
蒋介石は激動の時代と生き抜いた人物。とてもこのブログごときで解説できるような人ではないので、別の解説サイト(「世界史の窓」)へのリンクを張っておきます。
1949年、中国共産党との勢力争いに敗れた蒋介石は台湾に渡って中華民国を再興させ、その初代総統として就任します。国家基盤を安定させるため尽力しましたが、蒋介石とその息子の蒋経国による自由を抑圧した独裁的な国家運営は評価の分かれるところではあります。
親共産党を排除すべく1949年に発せられた戒厳令は1987年まで続き、最も長い戒厳令と言われているほど。
蒋介石の座像は衛兵によって厳重に守られています。パリッとした制服をまとって銃剣を構えたまま微動だにしない姿はめちゃくちゃカッコいい。
ちなみに衛兵は陸・海・空軍から条件をクリアして選抜された兵士がなれるそうですが、観光案内サイト『台北ナビ』によれば、選りすぐりのカッコいい衛兵は陸軍の人が多いのだとか。
写っている衛兵は制服が青色なので、空軍の人でしょうか?
毎正時に交代式が行われるのですが、あいにく我々が着いたときには交替が行われた直後でした。
年がら年中暑い気候のため、衛兵の後ろには送風機が置かれていました。石造りの建物で外よりはまだ涼しいですが、それでも倒れてしまう衛兵もいるのだとか。
1時間微動だにせず立っているというのはすさまじくつらいことなので、責任感とプライドに感嘆します。
国際的なルール上では「中国の一部」とされている台湾ですが、資本主義の経済活動と選挙で選ばれる民主的な政府が存在する、実態は中国本土とは全く別の「地域」です。
実際に行ってみるとそれがよくわかりますし、ほとんどの国は中国の一部という体裁を表向きは取ってはいても、本当に「同じ国」と思っているところはほとんどないでしょう。
およそ2ヶ月半後には4年に1度の総統選が迫ってきました。独立志向が強い与党の民進党が初の3選を果たすか、中国本土寄りの国民党が2期ぶりに返り咲くのか、世界情勢を受けたナショナリズムが高まる中で注目されています。
どの党が政権を取ろうと、台湾という通称で呼ばれる中華民国は世界的にはなくてはならない存在になっています。
特に半導体の分野で圧倒的な技術力と生産力を持つ台湾は、MSI(MicroStar International)、ASUS、HTC、ASRockといった半導体製品で世界に名だたるメーカーを抱えていますし、TSMC(Taiwan Semiconductor Manufacturing Company)がなければアップルのiPhoneもNVIDIAのGeForceも作れません。
もはや台湾と中国共産党との関係性は“中国の領有権の火種”という話で片付くものではなく、日本を含め全世界で考えていくべき物事になっていることを忘れてはいけません。
>>つづく<<