予想通り昨日の夕食で食べたラーメンの辛子高菜が効果を発揮して、朝からお腹の調子がよろしくありません。
こうなることはわかっていたのに、なぜやめられないのか…
自分が学習しない人間であることを文字通り痛感します。
天神地区は「天神ビッグバン」と名付けられた再開発事業の真っ最中。天神バスセンターへ上がる途中の踊り場からはあちこちで建て替えの最中だったり、あるいはまだ準備の段階だったり、そんな光景が見られます。
計画の甘さに我ながら呆れるのですが、佐賀県と長崎県を巡るというのに福岡市に宿を取ってしまったため、移動に要する時間が長くなってしまいました。まぁ半分それが目当てなのでいいとはいえ、改めて旅程表を見てみるともう少しうまいやり方はなかったものかと感じます。
というわけで、今日は高速バス「させぼ号」で長崎県佐世保市を目指します。
佐世保までは特急「みどり」で2時間弱、「させぼ号」のノンストップ便でも2時間15分とあまり大きな時間の差はありません。天神から博多までの移動を含めるとなおさら差がなくなるので、今日は高速バスを利用することに。
佐世保までのバス代は2,240円と、「みどり」より1,500円以上安く済みました。
8時ちょうど発の「させぼ号」は西肥自動車の運行で、ソーシャルゲーム「艦隊これくしょん」とコラボしたデザインでした。見えづらいですが、車体後部に白露型駆逐艦2番艦「時雨」が描かれています。
朝から空がぐずりがちでしたが、高速道路に入る頃には本格的な雨模様になってしまいました。ところどころ100m先さえ見えなくなるような大雨に見舞われる時もあり、早くも先行きに不安を感じさせます…
九州自動車道の渋滞にはまったため、終点の佐世保バスセンターには20分ほど遅れた10:15に到着しました。こうした点では、周辺の道路事情に左右されない鉄道は優位です。
佐世保は市を挙げて「艦隊これくしょん」とのコラボを行っており、地元の西肥バス(西肥自動車)がラッピング車両を用意したり、バスセンターや市内の様々な施設ではキャラクターのポップが立っているそうです。
つい先日の2023年6月9~11日には公式コラボ「Operation SASEBO Expedition 2023」が盛大に開催されただけでなく、一部のコラボイベントは2024年3月末まで継続的することが決まるなど大きな人気を博しているようです。
佐世保バスセンターのすぐそばにある「佐世保駅前」バス停から西肥バスに乗っておよそ10分、「佐世保市総合医療センター入口」バス停から歩いて2分のところに今日の目的地があります。
ガラス張り7階建てのビルの手前に建っているのは「佐世保水交社」の建物で、海軍時代に将校の宿舎や外国から来た士官の接待、福利厚生施設として1895年に建てられました。一部を修復した上で1997年に背後のビルを増築し、現在はセイルタワーのエントランスも兼ねた展示施設として機能しています。
入口で係員さんが説明してくださり、
- 館内の写真撮影は基本的に自由
- 一部撮影してはいけない史料・エリアがあるので、掲示に従って欲しい
とのことでした。
SNSやブログへの掲載については特に説明がなかったものの、ネット上では「写真を撮っていいのは7階の展望台のみ」「SNSへのアップロードはNGと言われた」「撮影自由は1~3階のみ」などと情報が錯綜していました。ゆえに撮りためた写真のほとんどは掲載を控え、Twitter上でちらほら見かけた場所の写真のみにしておきます。
補足があればコメント欄等でご指摘いただけますと幸いです。
海上自衛隊の広報施設も兼ねるセイルタワーの入館料はなんと無料。しかも親切なことにキャリーケースを預かってくれました。
入館時に必要事項を記入し、エレベーターで一気に7階へ。上から1つずつ降りてくるのが順路です。
7階は展望台があって、帝国海軍時代から軍港として栄える佐世保港を見渡すことができます。目の前の西九州自動車道がなければ抜群の視界でしたが、こればっかりは仕方ありません…
地形に恵まれた佐世保に軍港が開かれたのは1899(明治22)年のこと。鎮守府ができるまえは4千人しかいなかった人口は約15年で5万人にまで増加し、佐世保村は一気に佐世保市へと大きくなりました。
第二次世界大戦で日本が負けたあとも重要性は変わらず、海上自衛隊佐世保地方隊だけでなく、海上保安庁の佐世保海上保安部、そしてアメリカ海軍佐世保基地も置かれる日本でもトップクラスの軍港の街となっています。
館内には明治期の日本帝国海軍の創設期から始まり、第一次大戦、第二次大戦、そして現在の海上自衛隊へとつながる歴史が多数の貴重な史料とともに展示されています。真珠湾攻撃の実行を知らせる暗号電文「新高山登レ 一二〇八」の実物を見ることができるとは…!
勝海舟、山本権兵衛、東郷平八郎、山本五十六といった帝国海軍の歴史を語るのに欠かせない人物の胸像や、大戦中に活躍した艦船や航空機の精密な模型もあり、小説やゲーム、映画などで知識を蓄えた人にとっては興味深いものばかりだと思います。
なお旧海軍の装備品や階級章、勲章といった実物の史料は撮影禁止となっていました。撮影禁止エリアはきっちりと分けられてわかりやすくなっているので安心。
一方、多くの犠牲を生んだ太平洋戦争の内容も避けては通れません。金属が足りないからと作られた陶器製の手榴弾、爆弾を抱えて飛び込むためだけに作られた特別攻撃機「桜花(おうか)」の模型…といった展示を見ていると、もはや何のために戦争をやっていたんだろうという思いを抱かざるを得ません。
2階にある完全撮影禁止のエリアには、戦場に散った若い兵士が家族にあてた最期の手紙が残されていて立ち尽くしてしまいました。両親や兄弟への感謝と、任務の誇り、そして詫びを丁寧な文字と言葉で綴った、美しく残酷な手紙。内心で本当は何を感じていたのかその文面には書かれていませんが、想像するだけで強く胸を締め付けられます。
1時間半ではとても足りない充実した展示施設でした。展望台からの景色も天気が悪くていまひとつでしたから、これはまた来なくてはならない“再履修”の施設に認定です。
いやはや、「時間を見つけてまた来なければ」というところが増える一方で困ってしまいます…
それだけ、じっくりと見て回ることができる素敵なところであることの裏返しでもあるのですが。
とはいえ残念な点を挙げるとすれば、やはり写真のこと。
「撮ってもいい」という説明は受けても「SNSはダメと言われた」とか、逆にそういうこともなくTwitterに掲載している人もいて、ブログに記事を書こうとすると判断が難しい。
「○○は載せてもOK」「××があるものはNG」とか、「載せてもいいのは○点まで」などといった基準が知りたいところです。
SNSが当たり前に普及した世の中ですし、いろいろなコンテンツによって負の側面以外にも焦点が当てられるようになったのですから、海自としても良い宣伝になるはずなのに、とは思います。
「ハード面は素晴らしいのだから、ソフト面でなんとかならないかなぁ」
という感想を抱いた訪問でもありました。
いずれにせよ、来館前には公式サイトの「佐世保史料館入場についてのお知らせ」をご一読されることをお忘れなく。
佐世保史料館入場についてのお知らせ - 佐世保地方隊『西海の護り』
https://www.mod.go.jp/msdf/sasebo/5_sail_tower/osirase.pdf [PDFファイル]
佐世保駅に戻ってきました。
本当は駅周辺でお昼ご飯でも食べようと思っていたのですが、セイルタワーの展示内容が想像以上に充実しすぎていたので時間がなくなってしまいました。うれしいやら悲しいやら…
「1時間もあれば見終わるよ」とあさかぜに軽く言い放った佐世保出身の同僚に苦情を言うことにしましょう。
「日本最西端 佐世保駅」という誇らしげな立て看板があります。確かにJRの駅としては最西端ですが、普通鉄道では佐世保から1時間20分のところにあるたびら平戸口(松浦鉄道・平戸市)が、モノレールも含めると那覇空港(ゆいレール・沖縄県那覇市)になるので、ちょっと誇大広告かな…?
佐世保といえば、戦後に進駐軍が持ち込んだハンバーガーのレシピに由来する「佐世保バーガー」が名物。注文に応じて手作りするのが特徴で、最近は地産地消というのも認定制度の条件に入っているそうです。
あさかぜも佐世保に来たからには佐世保バーガーを食べねば、と思っていたのですが、さっき書いた通りセイルタワーに時間を使いすぎてしまいゆっくり食べるのは無理な時間に…
これもまた“再履修”の科目へと登録し、後ろ髪を引かれる思いで佐世保バスセンターへ向かいます。
バスセンターののりば付近には艦これとコラボしたポップが立っていました。
こちらは「艦隊これくしょん」を運営するC2機関が2021年に制作した西肥バスの公式キャラクター「さいちゃん」で、服は同社のバスのデザインがモチーフ。3枚下の写真に高速バス車両が写っているので見比べてみてください。
最初は普通に艦これのキャラクターかと勘違いしていました…
こちらはリリース時から絶大な人気を誇る時雨(しぐれ)、声優はタニベユミさん。モチーフは太平洋戦争中に活躍した白露型駆逐艦2番艦の「時雨」です。
横須賀の浦賀船渠(現 住友機械工業)にて建造され、竣工から3年後の1938年に横須賀から佐世保に転籍、以降はガダルカナル、マリアナ沖、レイテ沖という壮絶な海戦を生き残り「幸運艦」とまで書かれました。
1945年1月、香港からシンガポールへ向かう途中にアメリカの潜水艦から雷撃を受けて沈没。現在はマレーシア・コタバルの東方沖に沈んでおり、魚が暮らす魚礁になっているとか。
幸運ぶりは「呉の雪風、佐世保の時雨」と呼ばれ、同じく第二次大戦をモチーフにしたソシャゲー「アズールレーン」ではスキル発動時に「佐世保の時雨よっ!」と桑原由気さんの声で流れます。
阿賀野型軽巡洋艦の3番艦「矢矧(やはぎ)」。なんとなく記憶にあるセーラー服っぽい制服ではないので、最初見たときはどのキャラクターなのかさっぱりわかりませんでした。CVは山田悠希さん。
もう何年もプレイしていないせいで、イラストの変遷にもさっぱり追いついていけない…
1943年に海軍の佐世保工廠(現 佐世保重工業佐世保造船所)で竣工。レイテ沖海戦などにも参加しつつ、1945年4月に九州南方沖の坊ノ岬沖海戦で戦艦大和などとともに散っていきました。
先ほど訪れたセイルタワーには矢矧に搭載されていた軍艦旗が保存されているそうです。
矢矧の名は2022年6月に進水した海上自衛隊のもがみ型護衛艦5番艦「やはぎ」へと引き継がれています。三菱重工の長崎造船所で建造され、こちらもまた長崎県に縁の深い艦艇となりました。
13時ちょうど発、長崎ゆきノンストップ便で佐世保をあとにします。
乗客は10人にも満たずガラガラで、キャリーケースをトランクに預けようとしたら「そんなにお客さんは乗らないので、車内に持ち込んで大丈夫ですよ」と運転士さんに言われたほどです。
一方、隣のバースにいる福岡ゆき「させぼ号」は主に中国人でほぼ満席。どいつもこいつも大きなキャリーケースを2つ以上抱えていて、トランクまでいっぱいになりそうです。
しかし連中はいつもキャリーケースの中に何を詰めているのでしょうねぇ。普段の仕事で見ていても疑問で仕方ありませんし、なんというか日本人には理解できない習性です。
>>つづく<<