さらに放射線量が高いエリアに入ってきたようです。道路際には「自転車×・歩行者×・通行できません」という看板が立っていました。少し前はバイクもダメだった、なんて話を聞いたことがあるような。
通過に時間がかかると放射線を浴びる量が増えて良くないということなのでしょう。こういう看板を見ると、人が住めるような環境に戻るにはまだしばらく時間がかかることを実感せざるを得ません。
福島第一原子力発電所に最も近いエリアということもあってか、右折車両のチェックはさらに厳しくなっているように感じられます。小さな道はバリケードで塞がれていますし、大きな交差点では検問があることを示す立て看板がアピールしてきます。
国道6号線を離れ、今度は双葉駅へと向かいます。
双葉駅に近づくと建物の壁にスプレーアートが描かれているのが目立つようになりました。「FUTABA Art District」という有志による復興支援のひとつで、街中にアート作品をあふれさせて町の価値を上げよう、注目度を上げようという取り組みなのだそう。
● スタート地点から:488km
双葉町は原発事故の影響を受け、町全体が避難指示の対象となりました。双葉駅周辺などの一部のエリアは2020年3月に避難指示が解除され、来月(2022年8月)には「特定復興再生拠点区域」に指定されたエリアで居住が可能になります。
震災や原発事故から11年半を経てやっと、といったところでしょうか…
右半分が東西の自由通路も兼ねた新駅舎で、左側は町に譲渡された旧駅舎だそう。旧駅舎の時計は14:46で止まったままになっています。
駅前には他の駅と同様に空間線量のモニターがありますが、双葉駅のものは毎時0.278マイクロシーベルトを示していました。何度も書いているように、人が暮らす上での目安は0.23とされていますから、それを軽く上回る放射線が今も観測されているわけです…
駅前にはきれいな双葉町役場の建物があります。復興に向けて様々な取り組みが行われているようですが、それと住民の方の希望というのは必ずしも合致していないのかもしれません…
2020年に富岡町と合同で行われたアンケート調査では、回答があった双葉町の住民(49.2%)のうち、町に戻りたいと回答した人は10.8%しかいませんでした。医療・介護・商業といった生活に必要な施設があれば戻ることを判断する、という回答が多数を占めていますが、つまりはそれだけ今の双葉町には生活をしていける基盤がないということでもあるのでしょう。
www.town.fukushima-futaba.lg.jp
旧駅舎にはコミュニティセンターが併設されており、町内で活動する人のために線量計の貸し出しも行っているようです。先ほどの調査では放射線への不安も15%以上の人が回答していますから、引き続き重要な課題であることには変わりありません。
いくら除染が進んで数値が下がったとはいえ、やはり「基準値以上」と言われてしまうと気になるのは当たり前ですし。
浪江町に入り、「道の駅なみえ」でトイレ休憩を取ります。
● スタート地点から:494km
浪江町の復興のシンボルとして位置づけられている「道の駅 なみえ」。2020年8月に完成したばかりのまだ真新しい施設で、レストランや産直物販はもちろん無印良品まで備えた充実ぶり。
トイレに向かうとパンを焼くいい香りが漂ってきました。そういえば朝5時に起きてから何も食べていないわけですし、朝ご飯に焼きたてのパンでも食べるか…
と思ってベーカリーコーナーへ向かってみたものの、営業開始は無情にも10時からとまだ2時間以上も先。パン屋は早朝から開いているものと勝手に思い込んでいたので、出鼻をくじかれた思いです。
やっていないものは仕方ありません。気を取り直して先に向かいましょう。
浪江の市街地を過ぎると、道路の左右が開けて田んぼが広がります。福島県はおいしいお米とお酒ができるところ。あの震災がなければ今ごろは肥料をまいたり農薬をまいたり、忙しく農作業が行われていたのかもしれません。
● スタート地点から:511km
朝ご飯は温かいものを食べたいなぁ、というわけで道の駅なみえから20km近く走った「すき家 原町店」へ。
「福島県の北の端まで来てチェーン店かよ」というツッコミも聞こえてきそうですが、そもそも朝8時からご当地の何かを食べようということ自体に無理があります。こればかりは致し方ありません。
お腹に優しそうな「まぜのっけ定食」をささっと食べて先を急ぎます。
山元ICから仙台東部道路に入り、一気に岩手県を目指してスピードアップ。
道路の左右には広大な田んぼと住宅街が広がります。仙台東部道路は7~10mの盛土をした上に片側2車線ずつが設けられた高速道路で、2011年の東日本大震災では津波の被害を軽減するのに大いに役立ちました。盛土構造が堤防の役割を果たし、市街地へのがれきの流入を大幅に減らすのに貢献したのです。
またこの道路自体が津波から逃れる高台としても機能し、200人以上の命を救いました。その後正式に津波からの避難場所として機能させるため、はしごや避難スペースを設置して有事に逃げられるよう備えています。
順調に高速道路を北上していると、急にトラックが右車線へ出てきてびっくりしました。どうやら時速50km程度でいきなり本線に入ってきた無謀なクルマがいて、それをよけるために右車線に移ったようです。
「高速道路なんだから飛ばせ」というつもりはないものの、明らかに流れに乗れてない速度のまま入り込んでくるのは自分だけでなく周りも危険に巻き込みます。
お願いだから正面だけでなく、ミラーや目視で周囲の状況も確認してほしいものです…
通勤の時間をとっくに過ぎていたからか、仙台東部道路は混むことなくスムーズに通過。利府JCTから「三陸道」こと三陸縦貫自動車道へと入って、いよいよ東北沿岸にやって来たという実感が湧いてきました。
震災の復興道路としても位置づけられているこの道路は、今から通り抜ける鳴瀬奥松島ICから八戸料金所までの間のおよそ320kmが無料区間となっています。
無料区間だからというわけではないのでしょうが、ここから先にある休憩ポイントはトイレの設置もない、文字通りの「パーキング」エリアばかりとなります。
● スタート地点から:620km
早起きが響いて、眠気がピークに達してしまいました。混雑を懸念していた仙台市内も抜けたことですし、無料区間に入ってすぐの矢本PAで20分ほど仮眠を取ることにします。ここはちゃんとトイレや自動販売機、営業時間が限られるものの売店も備えられたPAなので一安心です。
またPAのすぐ隣の敷地には道の駅が整備されることになっており、2024年度の開業を予定しているとのこと。松島近辺はカキで有名なところですから、道の駅で新鮮なカキ料理が食べられるようになるかもしれません。楽しみですね。
石巻港ICで降りて市街地へ。ここからはしばらくの間一般道で三陸の海沿いを走りながら、震災の遺構を訪れて回ろうと思います。
石巻市内ではいたるところで道路工事が行われており、道の付替もあったりしてカーナビがアテになりません。
ナビに従って走ってきたら、目当ての道路は盛り土の上に移動していて入れませんでした。どうりで曲がったときに交通量が少ないと思った…
若干道に迷いつつも本来走ろうとしていた道路に無事合流。
道路の右側には大きな防潮堤が作られていて、道路から三陸の海を望むことはほとんどできません。それゆえに、ここが津波で甚大な被害を受けた場所であるということを逆に忘れてしまいそうになります。
左側にある「石巻南浜津波復興祈念公園」という広大な緑地には、入館無料の展示室が併設されているそうです。
今でこそ「緑地」ですが、同公園のウェブサイトを見るとこの一帯には住宅が密集していたことがわかる航空写真が載っています。
ちょうど曲がった先にENEOSがあったのでクルマにガソリンを入れておきましょう。昨晩会津で給油したときよりもリッター7円ぐらい安いですね。
>>つづく<<