およそ半年ぶりの羽田空港第1ターミナル、そして半年ぶりの北海道です。
今年1月はまれに見る大雪で、札幌近郊のみならず北海道の広い範囲で移動に支障が出る状態になっていました。あさかぜもちょうどそのタイミングで北海道に行ってしまい、乗ろうと思っていた列車には乗れずじまい。
今回は都合良くお休みが取れたので、普段よりも1日長い3泊4日の行程で北海道へ飛ぶことにしました。
定刻通り羽田を出発し、順調に北へ向かって飛行中。ボーイング777に乗ったのも相当久しぶりで、客室に響くエンジンの轟音に懐かしさを覚えるほどです。
日本航空で乗り慣れた国内線仕様の機材はすでに全機退役しており、国内線で現在飛んでいるB777は全て国際線仕様。なので2,000円で当日アップグレード(東京~札幌の場合)できるClassJはなんと国際線のビジネスクラスなのですが、みんな考えていることは同じで当日アップグレードができることはほぼありません。
とはいえエコノミークラスでも横9列配置で他の航空会社より余裕がありますし、3-4-2という変則的な配置になっているおかげで右側を選べば隣に1人座るだけなので、圧迫感も少なくなります。
13:10、定刻通り新千歳空港に到着しました。定時運航率トップの座はスカイマークに譲れど、負けず劣らず定時運航に定評のある日本航空さまさまです。
…さて、問題はここから。
これから4日間ひたすらJR北海道の路線に乗るので、7日間乗り放題の「北海道フリーパス」を購入しています。指定席は6回まで予約できるのですが、事前に調べたブログを鵜呑みにして「えきねっと」で予約したのは大間違いでした。
そもそも「えきねっと」はシステムの更改で「予約時には決済されず、受け取り時に決済される」という仕組みから「予約時に即時決済される」に変更されていました。
つまり「事前購入していたフリーパスへ、指定席券売機で受け取り時に座席指定する」ということはえきねっとではできなくなっていたわけです。皆様ご注意を!
※ 後日JR北海道のお客様センターにメールを送って一通り指定席を取れる条件等を教えていただいたのですが、SNSやブログでの情報共有はNGとのこと。
ここに書いてあること以外は直接問い合わせた方が良いかと思います。
- 予約していた指定席を照会する
- 指定席券を払戻し(手数料あり)する
- 「北海道フリーパス」で同じ席を予約し直す
という手順を踏んでようやく移行できました。乗り換え時間にさほど余裕がない中で大変ご迷惑をおかけいたしました…
おかげさまで予定していた列車に乗ることができ、無事に予定通り札幌に到着。この快速「エアポート」に乗れないと今日の旅程を全て練り直す必要があったので、もう助けてもらってありがたいという他ありません…!
早足で売店に寄ってお昼ご飯の駅弁を購入し、特急「ライラック21号」の座席に収まりました。
14:30、札幌駅を発車。乗車率は3割ぐらいといった感じで、車内は空席だらけです。
岩見沢を出るとただでさえ少なかった乗客が半分ぐらい降りてしまい、さらに閑散としてしまいました。5月中旬~6月の北海道なんて旅行をするにはとても良いシーズンなのですが、こんなに空いているとは…
静かに旅行したい身からすればありがたい話なんですけどね。
札幌からおよそ50分で滝川に到着です。
滝川駅は人口約4万人を数える滝川市の玄関口のはずですが、駅前は人通りも少なく閑散としています。イオンモールなどをはじめ商業の中心は郊外へ移動しており、駅前には商業施設らしいものはこれといってありません。
駅前唯一といっていい商業施設だった「スマイルビル」こと滝川駅前再開発ビルはついに廃墟となっていました。ご覧の通りテナントの看板が残ったままなので、かろうじて営業していそうな雰囲気も漂っていますが…
おそらく出ている看板の中で最後まで残っていたのはボウリング場の「タックボウル」ぐらいでしょう。あとのテナントはもはや何年前に撤退したのかさえわかりません。
入口には「閉店のお知らせ」が掲げられていました。2021年3月末に全面閉館なので、もう1年以上はこの姿のまま…
スマイルビルの管理会社はずっと赤字続きで固定資産税の滞納が続いていたところへ、2020年6月に最大テナントの100円ショップ「ダイソー」撤退がとどめを刺したようです。残っていた個人店舗に建物の閉鎖が告げられたのもギリギリだったそうで、施設の運営管理が切羽詰まる状況だったのが想像できます。
郊外に商業地が移動してしまった以上、この場所が栄えるとはもはや考えづらい。
特急停車駅、しかも2路線が乗り入れる場所でありながら、駅前に何もないという不便さはなんとかならないものかとは思いますが…
駅の横にあった北海道中央バスの「滝川ターミナル」は2018年に廃止。こちらは駅前の再整備によってバスのりばが駅前に移動してきたので、発展的解消を遂げたと言えます。
建物そのものは引き続きオフィスビルとして使われているとのこと。
15分ほどの乗り継ぎ時間はすぐに過ぎ、本日のお目当てである根室本線に乗り込みます。
15:38に発車する東鹿越ゆきの普通列車は、JR北海道からも急速に姿を減らしているキハ40系。「北海道といえばキハ40!」というぐらいどこでも見かけるディーゼルカーでしたが、H100形の投入でハイペースに置き換えが進んでいます。
側面に掲げられている行き先表示は昔ながらの「サボ」という板。
さっき慌てて新千歳空港から「エアポート」に乗ったのは、この列車に乗ることが目当てだったからです。滝川~富良野間はそこそこ運転本数があるのですが、末端の富良野~東鹿越間は本数が少なくなかなかシビア。うまく東鹿越まで行く列車に乗るためにはこの慌ただしいプランを組むしかなかった、という言い訳…
ブルンブルンと車体を震わせてのっそりと滝川駅を発車。最近のディーゼルカーはエンジンのパワーが強化されてキビキビと走るので、この重々しい走り出しを味わう機会も減りましたね。
重厚な乗り心地とエンジン音をBGMにお弁当を開けます。
札幌駅の売店「弁菜亭」で購入した「知床とりめし」(900円)。全体的に白っぽく見えますが、鶏肉を中心にちょっと濃いぐらいに味がついていてとてもおいしいです。鶏肉も弾力がしっかりありました。
滝川から20分で赤平に到着します。9,000人しかいない市の玄関口ながら、6階建ての建物を構えた立派な規模で驚きました。1999年に研修室やホール、音楽室などを備えた赤平市「交流センターみらい」として改築されたものだそうです。
赤平市のホームページを見ていると、駅よりむしろ施設の方が主目的のようです。おまけ扱いとはいえ駅も2面3線を備えた立派な規模。
滝川から15人ほど乗客が乗っていましたが、およそ半数は赤平で降りていきました。ほとんどは学生さんのようです。
芦別市内に入ると炭鉱住宅を改装したらしい住宅を車窓から眺めることができます。
先ほど通った赤平市、そしてここ芦別市はともに石炭産業で栄えた街です。最盛期には赤平で約6万、芦別で約7万もの人口がありましたが、炭鉱の閉山とともに急激に衰退してしまったのは道内の多くの町と同じ。芦別の現在の人口はおよそ1万2千人まで減っています。
両市は観光の一環として石炭産業の栄枯盛衰をたどることのできる見学ツアーなどを開催しているので、いつか訪れたいところです。
滝川からおよそ45分で芦別着。芦別と隣の上芦別には三井鉱山、三菱鉱業それぞれが開発する石炭鉱山からの専用路線が通じていた時代があり、このうち芦別に通じていた三井芦別鉄道では旅客列車も運転されていました。それほど人口が多かったという証です。
炭鉱の閉山後は衰退する街を観光で持ち直させようとレジャーランドも建設されましたが、2013年に約40年の歴史に幕を下ろしました。跡地は宗教法人が取得しているとか。
向こう側から近づいてきたのは旭川から来た富良野線の列車です。合流地点の富良野では5分間の停車。
折り返し旭川へと戻る富良野線の列車はキハ150形2両編成。ちょうど学生さんの下校時間と重なったようで、ホームには乗車を待つ高校生の姿がたくさんありました。
ラベンダーが咲く時期だけ営業される「ラベンダー畑駅」に代表されるように、富良野線は観光でも名を馳せています。観光シーズンには札幌から臨時特急が乗り入れるなど、どこもかしこも厳しい運営状態が続くJR北海道のローカル線の中ではかなり恵まれた部類。
なお2022年のラベンダー畑駅の営業期間は6月11日から8月28日までとのこと。美しい紫に咲き誇るラベンダーが見られる「ファーム富田」へは、同駅から徒歩7分です。
学生で賑わう旭川ゆきとは対照的に、こちらの東鹿越ゆきの車内は数えるほど…
災害で不通となっている東鹿越~新得間と、列車が走っている富良野~東鹿越間は近い将来の廃止が決まりました。廃止される区間の長さは約80kmにもなりますが、学生の下校時間でさえ閑散としている今の光景を見ると、廃止もやむなしと思わざるを得ません。
それでも新たに4人の乗客を乗せて富良野を発車しました。途中駅で1人、また1人と地元の人らしき降車があり、数えるほどしか乗っていない乗客の半分は列車に乗ることがお目当ての「同業者」のようです。
金山を出ると視界に広い湖が広がります。空知川をせき止めて作られた金山ダムのダム湖「かなやま湖」で、約1億5千万トンという膨大な貯水量を誇ります。湖畔にはキャンプ場やラベンダー畑も整備され、「地域に開かれたダム」として空知エリアの観光地ともなっている場所。
ダムといえば「自然破壊の代表」とも言わんばかりのレッテルを貼られることがありますが、幻の魚と呼ばれるイトウやオショロコマというイワナの仲間も生息している、自然豊かな人工湖です。
その湖畔にひっそりとたたずむのが、乗ってきた列車の終点である東鹿越駅。近くで掘り出す石灰石を運び出す拠点となっていた時期もありましたが、1997年にはそれも終わっていよいよ2017年の駅の廃止を待つのみに…
しかし2016年8月末の台風により、ここから南側の区間が大雨で激しく被災してしまいました。ちょうど折り返せる設備を持っていたこともあり、東鹿越での折り返し運転が始まるという奇跡の復活を遂げたのです。
不幸な災害によって幸運にも生きながらえた東鹿越ですが、ターミナルとしての姿はあと何年見られるのでしょうか。
>>つづく<<