せっかく新潟県に来ているので、構内の「ぽんしゅ館」で日本酒を買ってから乗ることにしましょう。せっかちな旅程を組んだせいでじっくり吟味しているほどの時間がなく、名が知れていそうな銘柄を早足で選んできました。
しかし駅がリニューアルされて、大学生時代の記憶にある越後湯沢駅とは様変わりしていました。その中でも立ち食いそば屋は引き続き営業していて、なんだかホッとします。電連氏に連れてきてもらった時は、いつもあのそば屋さんで冷えた体を温めていたものです…
…なんて思い出に浸りながらホームに降りてくると、待っていたのは思い出にないE129系。知ってはいましたが、実際に出会ってみると時代が変わった事実を噛みしめざるを得ません。
ガタガタゴロゴロいう115系はもう思い出の中のお話なのです。
想像以上に車内は混んでいます。「青春18きっぷ」のシーズン中にも関わらず、ボックス席に座れると思っていたあさかぜが甘かった…
それでも選ばなければ席には座れる程度の乗車率。
越後中里を出ると列車は上越国境に挑みます。1931年に谷川岳をぶち抜く清水トンネルが開通するまで、東京から日本海側を結ぶのは長野県を回る信越線のルートがメインでした。しかしあちらも碓氷峠という難所が立ちはだかる上に、特に新潟へはあまりに遠回り過ぎてかなりの時間がかかりました。
この清水トンネルの開業で東京~新潟間は実に4時間もの短縮に成功したそうです。
今あさかぜが乗っている上り線はまさにその初期のルート。越後中里を出てすぐと湯桧曽の手前でループ線を駆使して高度を稼ぎ、可能な限りトンネルを短くするための工夫がなされました。
1967年には輸送力増強のために新清水トンネルが開通し、旧トンネルは上り線、新トンネルは下り線へと役目を変えました。1982年の上越新幹線の開業で旅客列車の需要はほとんどなくなってしまいますが、引き続き重要な貨物ルートとして現在も機能し続けています。
土合を出てしばらく走るとこれから通るループ線の出口が眼下に見えます。ぐるりと左へ回ってトンネルをくぐり、真下に出てくるという流れ。
写真の左奥には湯桧曽駅の上りホームが見えていているのがおわかりいただけると思います。下りホームは駅の横のトンネル内にあるので見えません。
下り線は技術の進展によって長いトンネルを掘ることが以前よりも楽になったので、ループ線で高度を稼ぐことなく谷川岳の山中をぶち抜いています。
その代わり、土合駅では上下線の間に大きな高低差があります。地上の駅舎・上り線ホームと地下の下り線ホームとは長大な地下通路と階段で結ぶこととなり、往来に486段もある気が遠くなるような階段を上り下りする必要が出てしまったのでした。
越後湯沢から40分、終点の水上に到着しました。新潟風味のE129系はここまでが運用範囲で、ここから先は首都圏エリア。
すぐあとには高崎ゆきの普通列車が発車しますが、この列車に乗っていた人たちがほぼ全員乗り継ぐようです。
あえて混むかもしれない電車に乗るのも好きではありませんし、水上で小休止としましょう。
とにもかくにもお昼ご飯です。お世辞にも「栄えている」とはとても言えない水上の駅前ですが、食事をできるところはいくつかありますし、駅から離れれば温泉に併設のレストランもあるようです。
列車1本分の時間しか今日は取っていないので、駅前すぐにある中華料理店「ラーメンきむら」にお邪魔します。
ラーメンか、焼肉丼か、はたまたカレーか、こういうローカルな食堂ではどのメニューがそのお店の「味」を楽しめるのか、ついつい悩んでしまいます。
あれやこれやお店の前で考えた挙げ句、レバニラ炒めを選択。大正解!
甘辛く味付けされたレバーは独特のニオイがなくとても食べやすい。シャキシャキしたニラとタマネギもタレに絡んでおいしい。地元の人もたくさん出入りしているのが納得の味でした。
今度来る機会があったなら他の人が食べていたメニューも試してみたいですね。
なお川の対岸には「あしま園」なるデカ盛りのお店もありました。学生時代なら好奇心で行ってみようとなったかもしれませんが、30歳をとうに過ぎてしまったあさかぜは写真を見ただけで「負け」を確信します…
誰か他の道連れを作ってから行ってみたい。
駅の少し北側には「SL転車台広場」という人工芝の緑地が広がっています。その真ん中に据えられているのはデゴイチことD51型蒸気機関車。
「SLぐんま みなかみ」を牽引するD51型498号機のように、今は動態保存されている蒸気機関車はみんな客車を引っ張って走っています。お金を稼ぐためには当たり前なのですが、元々D51型は貨物用の蒸気機関車として生まれたものでした。
例えば「SLばんえつ物語」を引くC57型はれっきとした旅客用の蒸気機関車。動力の伝わる軸数を3つにする代わりに車輪を大きくし、高速性能を優先した構成です。
一方のD51型では動軸を4つに増やして車輪を小さくすることで牽引力を優先した、重たい貨物列車を引っ張るための構造です。
SLには大まかに「テンダー式」と「タンク式」という2タイプの分類があります。SLは石炭などを燃やしてお湯を沸かし、作り出した高圧の蒸気を使って動力に変えています。そのために大量の水を搭載しなければなりません。
機関車自体に水タンクをつけられればいいのですが、ハイパワーで長距離を走ろうとすると足りなくなってしまいます。水の重さだってバカになりません。
後ろに大きな水槽を引っ張って走れば、途中で水の補給のために止まる必要が減ります。この車輪のついたデカい水槽が「テンダー車」です。テンダー車をつけて走るSLだからからテンダー式。
写真や模型で見ると石炭をメインに積んでいるように見えますが、実際はほとんどが水タンク。D51型のテンダー車には20tもの水が搭載できます。
ただどうしてもテンダーをつけて図体が大きくなってしまうので、地方の小規模な路線には機関車に水タンクを装備した「タンク式」が主に使われました。
「SLぐんま みなかみ」は水上に到着すると、客車を切り離してからこの転車台まで移動してきて向きを変えます。運転日にはきっとこのターンテーブルを見る人たちでいっぱいになるのでしょうね。
折り返しの合間で水と石炭を補給し、石炭の燃えかすを掻きだすのだそう。広場の片隅には石炭の燃えがらを捨てるための産廃保管所がありました。
1時間半足らずの滞在で水上をあとにします。
高崎ゆきの普通列車は堂々たる6両編成で到着しましたが、越後湯沢方面からの接続列車がないこともあって乗り込む人は数えるほどしかいませんでした。
車内はご覧の通りロングシートのみ。通勤通学の乗客をさばくには仕方がないとは言え、旅情としてはいまひとつ…
まぁ高崎までは1時間ほどですから、我慢できる範囲です。
途中から席の半分ちょっとが埋まる程度に学生さんが乗ってきました。
あさかぜは旅に出た先で駅の立ち食いそば屋に寄ることが好きです。そんなに遠くないとはいえめったに来ない高崎まで来ていることですし、記念に食べて帰りましょう。水上でお昼を食べてから3時間と経っていないのでそこまで空腹ではありませんが…
高崎駅には3軒の立ち食いそばがありますが、うち改札内の「八起家」はどこからどう見てもJR東日本系列の「いろり庵きらく」と同じメニューです。
ホーム上にある「第5売店」は平日だと13時までの営業で、今日はもうおしまい。
残る1軒は上信電鉄の改札前にある「八起家 西口店」。ここはオリジナルのメニューもありました。
舞茸天そばを注文。想像の1.5倍はある大きな舞茸の天ぷらが印象的で、一口かじると舞茸の香りがブワッと口の中に広がります。
そばもいろり庵きらくより太めのもの。立ち食いそばなので風味とかコシとかは語るほどのものはありませんが、ちゃんとおそばの感じがあって悪くありません。天ぷらの油分がなじんでおいしい。
しかし食べ過ぎました…
軽く食べるつもりでしたが、舞茸天にしっかりとした食べ応えがあってお腹がパンパンです…
仕事明けで歩き回って疲れているところに満腹感が重なって、眠くて眠くて仕方がありません。都内へ戻る高崎線の電車では迷うことなくグリーン車に乗り込みます。
JREポイントの交換特典にグリーン券があって、1回あたり600ポイントで引き換えができます。モバイルSuicaであれば引き換えたその場で利用可能というのも便利。
平日のグリーン車は50kmまで780円、超えると1,000円ですが、JREポイント特典なら距離関係なく実質600円とかなり割安になります。使わない手はない。
東京まではおよそ2時間。揺れの少ない1階席でゆっくり眠りながら帰ることにしましょう。寝過ごして国府津まで行ってしまわないように気をつけないと…