あさかぜみずほの趣味活動記録簿

旅行記や主に飛行機の写真をひたすら載せ続ける、趣味のブログです。たまに日記らしき投稿もあり…?

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『ゆるキャン△』聖地巡りの男旅 - 2日目【後編】(2022年3月6日)

少し早いですが、観光地をあと1カ所だけ見て帰路につくことにします。陽気に誘われて道路は割とどこも混むようになり、国道の電光掲示板では「道の駅 伊豆月ヶ瀬」の駐車場は満車と出ていました。

道の駅には立ち寄らず、そのまま伊豆縦貫道を北上します。

 

修善寺付近でも河津桜がきれいに咲いていました。美しい色の花に吸い寄せられて、道の駅の駐車場には端から端までクルマがずらり。
見ていると桜の木の下までクルマを乗り付けられるようですから、自分の愛車と一緒に写真を撮れるというのもまた魅力です。

桜の木が川の堤防に植えられていることが多いのにはちゃんと理由があって、太くしっかりとした根を張る桜の木は堤防が崩れないようにする効果があるのだそうです。
またその桜を眺めに人が集まり、雨が続くようになる梅雨の前に踏み固めてくれるのでさらに堤防が強化されるという副次的な効果もあります。

こういったわけで桜の木を川の堤防に植えるというのは理にかなったお話で、昔の人の知恵には舌を巻きます

 

 

浄蓮の滝からおよそ50分、白い煙突が目を引く韮山反射炉に到着しました。

 

www.city.izunokuni.shizuoka.jp

 

 

現在は伊豆の国市の代表的な観光施設となっている韮山反射炉」は、元々1857年に3年半の歳月をかけて建設した製鉄のためのものです。

江戸時代末期の日本、特に伊豆半島は外国からの「訪問者」に悩まされていました。1800年代に入ると日本の各地にアメリカやオランダの船が姿を現すようになり、1849年にはイギリスの軍艦のマリナー号が天然の良港である下田に現れて、あろうことか港内を測量する事態まで発生します。

幕府は日本の鎖国を脅かす存在をなんとかして排除する力を手に入れる必要が出てきました。
軍事力強化の一環として、オランダの書物を参考に鉄でできた大砲を用意しようとして作られたのがこの韮山反射炉です。

500円の観覧料を払って中に入ります。

 

日本国内では数カ所に反射炉が作られたとされていますが、現存するのはここと山口県萩市にある「萩反射炉」の2つのみ。どちらも世界遺産に登録されています。

人力に頼ることなく大量の空気を取り入れるため、煙突の長さは15.7mもあります。外見では上に行くにつれて細くなっていますが、中の煙の通り道は下から上まで同じ幅で作られています。
現在では耐火レンガが露出していますが、現役当時は真っ白な漆喰で覆われていたとのこと。現在は復元作業の一環として、試験的に漆喰で覆われた部分が作られています。

 

煙突の手前側に鉄を溶かすための炉があります。
向かって右側の小さい穴が石炭の投入口。燃えたあとの石炭カスを取り出すためにこの下も深く掘られていますが、現在は地面が高くなっているためにせいぜい空気の取り入れ口を覗き込むのがやっとです。
左側の大きな穴からは、不純物が混ざった状態の「銑鉄」の塊を中に入れます。

炉の中はドーム型になっていて、石炭が燃えて出た熱が天井や壁に反射して銑鉄に集中し、高温の状態に。溶け出した鉄はわずかにつけられた傾斜に沿って炉の後方へと流れ落ちていき、反射炉の後ろ側に控えた鋳型へと流し込まれていくという仕組み。
熱を反射させて温度を上げるので「反射炉

全部で炉の数は4つあり、同時に稼働させることができました。

 

反射炉の後方には、韮山反射炉で作られていたのと同等の24ポンドカノン砲の復元品が飾られています。鉄は不純物を含むともろくなるため、大砲のように爆発的な大きな力がかかると砲身が爆発してしまうことがありました。
そのために純度の高い鉄を作って均一の品質の砲身を作る必要があったのです。

日本では高性能な鉄を得るために試行錯誤された反射炉ですが、残念ながら欧米の水準からするとすでに遅れた存在だったといいます。すでにヨーロッパでは純度の高い鉄を大量に生産できる「転炉」が実用化されていたからです。

それでも日本の近代化に貢献したことは間違いありませんし、実際に大砲などの製造に使われた反射炉としては世界で唯一残っているものですから、歴史的に見れば決してムダなものではありません。

 

展示館内にも韮山反射炉に寄贈された臼砲などが展示されています。
臼砲というのは大砲の一種でごくごく短い砲身が特徴。少ない火薬で砲弾を放物線に撃ち出すことができる一方で、直線的に撃つわけでもなく砲身も短いため、精度や射程距離に劣ります。

英語では「mortar」と呼んで、迫撃砲と同じものと見なされています。

 

韮山反射炉そのものは1864年までのおよそ7年間しか利用されませんでした。その後は地元の有力者が引き継いだものの、やはり使われない設備は風化が進んでいく一方でした。

1908年になって帝国陸軍が保存のための作業を行ったとき、日露戦争の戦利品として手に入れてきた銃剣を柵に加工して設置したのがこの「銃剣柵」です。国威発揚の意図があったとか。
その後は軍や国に保存事業が引き継がれており、1957年に煙突を支えている鉄骨が設置されました。現在も当時の姿を保てるように補修作業が続けられています。

なお韮山反射炉はガイドさんが無料で案内してくれます。案内看板やパンフレットに書かれていないこともたくさんお話ししてくれるので、現地を訪れた際はぜひお忘れなく。

 

江戸時代の血と涙のにじむ努力の痕跡をじっくりと学んだところで、いよいよ千葉へ戻ることにしましょう。
まだ15時で早いような気もしましたが、伊豆縦貫道に入るところからいきなり渋滞に捕まったところを見ると、早めに出てきて正解だったようです。

 

高速道路に入るまでかなりの区間で渋滞が続いて、ちょっとウンザリしてしまいました。新東名・東名はさすがに流れが良好でしたが、やはり厚木あたりからもう渋滞が始まっている様子。
まだピークになるであろう夕暮れ時の前でこれなので長丁場になりそうです…

 

「渋滞にはまる前に休憩と食事をしておこう」と思うのはみんな同じようで、足柄SAはすでにほとんどの駐車スペースにクルマが止まっています。トイレもレストランコーナーも人がいっぱい!

 

sapa.c-nexco.co.jp

 

 

トイレを済ませて、長丁場に備えた飲み物とお菓子もついでに確保して、いよいよ東名高速へと戻ります。

バスの駐車スペースにはJRバス関東バンホール・アストロメガが停車していました。三菱ふそうエアロキング以来の2階建てバスということで、最近は多くの事業者でアストロメガを見かけるようになりました。
最初のうちは2+2席の観光バスっぽい仕様ばかりでしたが、台数が増えてきて3列独立シートの一般的な夜行バスに適応した車両も運用されるようになりました。機会があればアストロメガの夜行バスにも乗ってみたいですね。

 

さあ、いよいよイヤな表示が見えてきました…

13km先~横浜町田 断続渋滞17km 80分↑

数字の隣に見える右上向きの三角形は、渋滞を抜けるのに要する時間がどんどん増えていることを示しています。すでに交通量はだいぶ増え気味。

 

車列の動きがかなり遅くなりました。この先断続的に1時間以上かかる渋滞へ突入してしまいました。横浜町田ICまで80分、都心部霞が関まで110分という時間表示

身動きが取れないクルマの両側をバイクが身軽にすり抜けていきます。こういうときの二輪車は渋滞知らずでつくづく楽そうですが、周りを見ずに車線変更するクルマがいつ現れるかわからないので、すり抜けはそれなりの危険と隣り合わせではあります。
だからといって写真のように路肩を爆走していくのはただの交通違反ですから、絶対にやってはいけません

 

すっかり日が暮れてきました。1時間以上経ってもまだまだ渋滞は続いており、厚木ICで小田原厚木道路のクルマも合流してきてさらに交通量が増えました。

昨日の往路でも書いたとおり、どうしても地形の都合で速度が落ちてしまいがちなところに多くのクルマが集まるので、このように激しい渋滞へとつながってしまいます。
道路脇には「速度低下注意!」などと注意看板はあるものの、どうしても感覚に頼ってしまう人間には意識が難しいものがあります。自動運転車ばかりになったらこういう渋滞も少しは減るのでしょうか…?

 

横浜町田ICを過ぎてしばらくすると、さっきの渋滞は何だったんだと思うぐらいクルマの流れが良くなりました。足柄SAを出てさっきトイレ休憩に寄った港北PAまでGoogleのタイムラインによると1時間41分かかっていたそうなので、平均速度は時速40km程度とかいう地方ローカル線並みの数字。
今は順調に80km/h以上を保てています。

ちなみにカーナビはスムーズに流れている場合の通過予想時刻を表示していて、全くアテになりませんでした。リアルタイムな情報が欲しいのに、何のための「Connected」なんでしょうか、スバルさん…

 

ズッキー氏に見てもらったところ、首都高の都心を抜けるルートは混雑していないようなので、一直線に千葉方面へと向かいます。
写真は渋谷のあたり。夜になるとビルの照明がちょっと近未来的できれいです。夜間にひたすら都心環状線をグルグルしているルーレット族の気持ちがほんの少しわからなくもありません。

 

丸の内近辺
東京駅の丸の内側の再開発は一段落したようですが、今度は東側の八重洲口側で再開発が始まっています。
現在は駅前の狭苦しいターミナルに高速路線バスが、周辺の道路に元ツアーバス系の夜行バスなどが発着する、といった具合にばらけていますが、それらを統一するべく地下バスターミナルの建設が進められています。

この旅行の10日後にはバスターミナルの名称が「バスターミナル東京八重洲」に決定され、まずは第1期エリアが9月17日に開業することになりました。
全て完成する2028年にはバスタ新宿を超える巨大なバスターミナルになるそうで、より高速バスののりばがわかりやすくなることが期待されます。一方で「都心にそんな大きなターミナルが2つも3つもいるのだろうか」という気はしなくもありませんが…

 

bt-tokyoyaesu.com

 

 

ライトアップされたスカイツリーが近くに見えてくればもう城東エリア都心部を抜けた証です。首都高に入ってからどこも渋滞することはなく、ただひたすら快適なナイトドライブでした。

 

小松川から京葉道路に入ったら、もう旅は終わったも同然。
天気に恵まれた、河津桜も見られた、おいしいものも食べられた、景色も良かった、と出かける前に考えていた以上に充実した旅行になりました。

途中の渋滞で当初の予定から2時間近くも遅くなってしまいましたが、いらだつことなく楽しんでドライブに付き合ってくれた友人3人にはひたすら感謝感謝です。
気の置けない仲間と一緒に、定期的にこんな感じの旅行をしていきたいですね。