一度夜中に目が覚め、ちゃんとアラームをセットし直して5時半に起きました。大浴場で体をきれいにしているとようやく頭がシャッキリしてきます。
今日も今日とて413系からスタートです。
まだ日が昇りきるまえの富山駅に入ってきました。青一色の「北陸地域色」は6:19発の泊ゆき。泊へ行っても朝ご飯にありつけないのでこの電車は見送ります。
そして6:30発の金沢ゆきは…また君か。
せっかく明るくなる時間を走るのに、窓まで全部フィルムで覆われた「とやま絵巻」が昨日に続いて登場してしまいました。写真で見ると窓から光が漏れているのがわかりますが、実際に乗ってみるとさっぱり景色は見えません。
しばらく前に100円ショップなどで視力が向上するメガネみたいな商品がよく並んでいましたが、そんな感じの窓ガラスになっているのです。
景色が見やすいはずのボックスシートに腰掛けているのに、ほとんど外が見られない状態で金沢までやってきました。
金沢へ近づくにつれて学生や会社員で車内はかなり混み合っていたので、どのみちカメラを出すのははばかられる環境ではありましたが…
富山へ向かって折り返す30分足らずの間に大急ぎで朝ご飯を済ませてきます。
こんな早朝からやっているのは駅そばぐらいです。改札から離れ、駅ビルの奥まったところにある立ち食いそば屋「加賀 白山そば」まで急ぎ足で歩いてきました。
今日も1日精力的に活動をしなければなりませんので、生卵と甘辛く煮た牛肉が入った「肉玉うどん」(640円)をかきこみます。ちょっとお高い気もしなくはありませんが、きれいな駅ビルの中と金沢という立地を考えたらこんなものかも。
牛肉の味に卵が溶けてまろやかになったつゆまで全部いただいて、また早足でホームまで戻ります。SuicaのSF残高がギリギリですが、富山で降りるときにチャージしましょう。平日にもフリーパスが欲しい…
到着したのとは別のホームに上がってくると、富山ゆきの「とやま絵巻」が入線してくる3分ほど前でした。すでに乗車口には先客、入線する頃にはあさかぜの後ろにもそこそこの列ができ、金沢から遠ざかるのは意外にも学生さんだけではないようです。
さすがに立ち客もいるような状況でのんきに電車の写真を撮っているわけにもいかないので、おとなしくボックスシートに収まってほとんど見えない車窓を眺めます。
金沢から1時間ほどで富山に戻ってきました。この電車は富山どまりですが、すぐ隣には高岡からやってきて富山で長時間の時間調整をしてから泊へ向かう413系が乗り換え客を待っています。
国鉄が分割民営化し、JR西日本へ引き継がれてから採用されたのがオイスターホワイトの地色に青い帯を巻いた「新北陸色」です。それまでの「旧北陸色」はあずき色地にクリーム色の帯が入った薄暗いカラーリングでしたから、かなりのイメージ転換になったのではないでしょうか。
明るい色になったがゆえに、厳しい北陸の気候を過ごしてきた車体の疲労がわかりやすくなってしまったともいえますが…
※この新北陸色をまとったAM02編成は2022年3月末で勇退しました
521系の増備によりいつ引退するかわからない状況下で、新北陸色のAM02編成と「とやま絵巻」のAM03編成が並んでいる姿を撮れたのはとても貴重なことです。今回の旅行以後は富山を訪れる予定はないので、これが最後の機会になったかもしれません。
ホテルに戻って1時間ばかりゴロゴロしてから再び富山駅へ出てきました。朝からどんよりした曇り空でしたが、いよいよ雨粒が空から落ちてきています。
10:29発の泊ゆきで出発。413系の活躍は朝と夕方のラッシュだけなので、この時間は軽やかに走る521系が主役です。
東へ向かうにつれてほんのわずかですが空が明るくなってきました。窓にフィルムが貼られていない521系の窓からは遠くの後立山連峰の険しい山々がよく見えています。
手前の道にはパトカーに捕まったクルマも見えますね…
入善付近で渡る黒部川の川床では砂利の採取が行われているようです。この広い河原を見るといかに黒部川の水量が多く、大量の土砂を運んできているかがよくわかります。入善町、黒部市と朝日町の一帯は黒部川が運んできた土砂でできた広い扇状地となっています。
富山からちょうど50分、終点の泊に到着しました。昨日の夕方と違って駅の手前で一旦停止してからノロノロと駅に入ってきたのですが、えちごトキめき鉄道の列車と同じホームに「縦列駐車」することで乗継の利便性を図っているようです。
お気遣いはありがたいものの、富山からSuicaで乗ってきているあさかぜはわざわざ跨線橋を渡って改札を出場して、きっぷを買ってからまた跨線橋を渡ります。
泊から先は直江津ゆきのディーゼルカーに乗ります。車両はえちごトキめき鉄道のET122形。
北陸本線だった区間なのですべて電化されていますが、糸魚川付近に交流と直流の境目があるためトキ鉄の車両も両方の電力に対応しておく必要があります。しかし交直両用の電車は製造費が非常に高くつく上に、この区間は元からローカル列車の利用者数が少ない場所ですから、導入コストに見合いません。
そういうわけで全区間で架線の下を走る路線でありながら、導入コストも維持費も安いディーゼルカーを選択したというわけです。長いトンネルが多い区間ゆえ火災の不安があったため、対策を施した新型のディーゼルカーを導入しています。
乗っているのはイベント兼用車両となっているET122-8。座席は標準車両の1+2席の転換クロスシートではなく2+2席のボックスシートが用意され、向かい合わせの中央部分にはテーブルが取り付けられるようになっています。
シートモケットのデザインはトキ鉄の沿線にある3市(妙高市・上越市・糸魚川市)の市花がモチーフだそうです。
越中宮崎までがあいの風とやま鉄道の管轄ですが、運行上の境目は1つ手前の泊となっています。中途半端な会社境界となっているのは越中宮崎と市振の間に富山と新潟の県境があるからで、行政の支援が行われている第三セクター鉄道特有の形態です。
元々北陸本線として一体的に運行していたのですから、関係する県同士でなんとかできなかったのかという疑問は並行在来線を見るといつも思うのです。やはり「大人の事情」が絡んでいる以上はどうにもならないのでしょうね…
泊から8分、2駅目の市振で降りました。線路を挟んで反対側には日本海が広がっていますが、あいにく海べりへ出ることはできません。
いやはや、市振に来るのなんて一体何年ぶりのことでしょう。大学生時代に同期の電連氏に連れてきてもらったとき以来ではないでしょうか。あの時は485系を使った特急・快速列車がまだ走っており、わざわざそれを撮影しに来た覚えがあります。
おそらくこれが市振近辺で撮った写真だったはず…
撮影日を見ると12年前の日付が入っていましたが、この当時の撮影記録はほぼ全くといっていいほど残していないのでおぼろげな記憶をたどるのみです。
あさかぜは社会人になってから撮り鉄からほぼ足を洗ってしまいましたし、これといって撮りたい車両も乗りたい車両もなかったがゆえにすっかり足が遠のいていました。
次の列車への待ち時間の間にお昼ご飯を食べておきます。
市振の駅を出て西に10分ほど歩くと道の駅「越後市振の関」に到達。コンビニサイズの店舗とそれよりも大きなトイレがあるだけのこぢんまりとした道の駅ですが、ありがたいことに食堂があってご飯を食べることができます。
カレーやカツ丼といった定番メニューがだいたいを占めていますが、あさかぜがここへ来る前から気になっていた定食があるので今日はそれをチョイス。
「たら汁定食」1,000円。ちなみに表の案内看板には950円と書かれていましたが、いつの間にか値上げしたようです。大きなお椀にはなみなみとたら汁が注がれて出てきました。
お椀の中にはゴロゴロとタラの輪切りの身が。あら汁で使うような余った部分ではなく、しっかりと身が詰まっている胴体です。味噌汁にはダシがたっぷりと染み出していて、タラの風味を全体で味わうことができます。
食べログには「磯臭い」「魚の雰囲気が強すぎる」といったネガティブなレビューもありましたが、魚のダシの味が好きな人にとってはたまらない逸品だと思います。濃いめの味噌味も相まってご飯がよく進みます。うまい!
…ただ汁が手につくとすごくベタベタするので、服に飛ばしたりしないように気をつけましょう。
手がベッタベタになったので食べ終わってから手を洗ってきました。
道の駅の裏はすぐ線路。この周辺の石がゴロゴロとした海岸線は「ヒスイ海岸」と名付けられており、その名の通り淡い緑色をした宝石「翡翠」が取れるエリアです。道の駅から線路を渡って海岸に行くことはできないものの、周辺にある海水浴場などから海岸に出るとヒスイを拾えることがあるとか。
まぁヒスイっぽく見えても素人には鑑定が難しいそうなので、道の駅のホームページには「本物のヒスイか知りたければ専門家に持って行って鑑定してもらえ」という身も蓋もないことが書かれていました。
10年前ならここを1日何往復も特急列車が通り抜けていた区間でしたが、今は貨物列車とディーゼルカーの普通列車が細々と走っているだけです。
市振駅に戻ってきました。
2015年に北陸新幹線が金沢まで通じたことで、この駅はJR西日本から第三セクター鉄道のえちごトキめき鉄道に引き継がれました。すでに1985年には無人駅となっていたので中央に写っている発券窓口はとっくに封じられていたとは思いますが、上の部分に最近まで運賃表が掲げてあったであろう跡がはっきりと見えます。三セク化の際に撤去されたものでしょう。
ホームは1面2線の島式。駅舎に近い線路は遠い昔に貨物を扱っていた頃の名残でしょうか。架線も張られておらず、線路もサビサビです。
接近放送が流れ、EF510型が牽引する貨物列車が猛スピードで通過していきました。この区間は「日本海縦貫線」を構成していて、大阪方面から日本海側をひたすら北へ走り抜け、青森から青函トンネルを抜けて北海道へと通じる重要な貨物ルートとして機能し続けています。
えちごトキめき鉄道が保有する車両のほとんどがディーゼルカーなのに架線をわざわざ残しているのには、日本海縦貫線を維持するためという理由があるのです。
>>つづく<<