1ヶ月ぶりの東京駅です。
今日はJR東日本「新幹線eチケット」で35%引きの券が買えたので、9月いっぱいで引退を迎えるE4系の乗り納めがてら新潟を往復してこようと思います。非番で出てきたので時間ギリギリ、間に合って良かった…
ホームに上がってくると、すぐに折り返し「Maxとき313号」となる列車が到着しました。オール2階建てのE4系は車内清掃に時間がかかるので、先に写真を撮り歩いておきます。
新幹線の建築限界は在来線よりも大きくなっている上に、その限界いっぱいの高さまで使った車体はまさに壁。隣のホームに止まっている標準サイズのE2系が小さく見えます。
文字通り収容力Maxな車両ですが、ちゃんと「Multi Amenity eXpress」という由来があります。
先代のE1系が試運転を始めた頃は「Double Decker Shinkansen」でDDSとかいう何のひねりもない暫定的な愛称がついていたそうで、Maxというネーミングになっていなければ今日まで愛される車両ではなかったかもしれません。
1997年にデビューし、本来ならば2020年3月末で引導を渡される予定だったE4系新幹線。ところが2019年10月にやってきた台風19号が猛威を振るい、長野駅近くの車両基地に留置されていた北陸新幹線用のE7系・W7系が水没するという事態が発生します。12編成144両が水に浮いて脱線したり隣の車両にぶつかったりして、全ての車両が廃車となってしまいました。実に北陸新幹線で使用する車両のおよそ半分が使えなくなるという異常事態です。
そこで上越新幹線で運行しているE7系を北陸新幹線に回し、上越新幹線で不足する分は廃車する予定だったE4系を引き続き使うことにしました。その結果当初の予定から1年半ほど延命することになったのです。15年前後で入れ替わっていく新幹線の多い中で、今年で24年となるE4系は超ベテラン車両です。
独特の先頭形状は、トンネルに高速で入ったときに出口側で発生するトンネルドンと呼ばれる「ドーン!」という騒音を防止するために設計されたものです。断面積の変化をなるべく一定にすることで衝撃波が軽減されるため、このような複雑な形状になったのでした。E4系の2年後にデビューした700系新幹線でも、「カモノハシ」なんて呼ばれた鼻先の形状がこのエリアルールという理論に基づいています。
発車の3分前になってようやく乗車できるようになりました。東京駅の東北・上越新幹線ホームは2面4線しかないために折り返し時間の余裕がなく全体的に慌ただしい感じがしますが、E4系Maxはなおのこと発車時間まで余裕がない気がします。2フロアを掃除しなければならない手間があるからでしょう。
手回りを整えて荷物を棚に載せる頃には東京駅を発車していました。2階建て新幹線ですが、貴重なスペースである「FL席」こと平屋席に座ってみます。
平屋席にはあさかぜを含めて3人しかいません。東京駅ではE4系目当てに乗りに来たであろう人の姿をちらほら見かけましたが、普通はMaxならではの2階席か珍しいものを味わいに1階席を選びますよね。走行音を聞くのが目的とはいえ、他の車両と同じような感覚の平屋席を選ぶのはあさかぜのような変わり者でしょう。
高崎を出るとまもなく長野方面へ向かう北陸新幹線が分岐していきます。この分岐点に使われているポイントには時速160kmで通過可能な特別なものが使われており、日本国内では上越・北陸新幹線の下り側分岐点と成田スカイアクセス線の成田湯川駅付近の2箇所だけというとても珍しいものです。
ただ高崎駅の場合は駅から4kmほど北にあるため、駅ホームからこの分岐器を眺めることはできません。成田湯川駅の方はなんとかホームから見えますので、興味のある方はぜひ行ってみてください。
熊谷と高崎でそこそこ人が降りたので車内の様子を見に行ってみましょう。
E4系にはところどころ連結部にこのような狭くて長い通路があります。これは機器室の間を通り抜けているからで、本来なら床下や屋根上に搭載するはずの機器類までもこうして機器室に収められています。オール2階建て車両は機器類の配置にも通常の車両とは違う工夫が必要になってきます。
青いシートは2階席。やはり眺望の良さもあってかそこそこの人が乗っています。
JR東日本の在来線を走る2階建てグリーン車では頭上の荷物棚はありませんが、E4系では高さが多少低いとはいえ頭上にキャリーケースの置ける荷物棚があり、新幹線車両の大きさを実感できます。
邪魔になりそうなので足を伸ばさなかったのですが、2階の自由席には日本の鉄道車両では唯一となる3+3の6列配置が見られます。「通勤新幹線」の用途を突き詰めた究極の姿ですが、肘掛けもリクライニングもない、新幹線特急料金を払うにしては本当に座れるだけのシートです。
こちらは1階席。小学生の頃に興味本位でE1系Maxの1階席に乗ったことがありますが、窓の外は本当に壁しか見えません。せいぜい見えるのはホームの床面ぐらい。
眺望は皆無でも車両の揺れは2階席より感じづらいそうで、多くの回数を利用するビジネスマンを中心に人気があるのだとか。
あさかぜが乗っている平屋席。えきねっとでは「FL席」として別枠で扱われていますが、壁にある座席案内を見ると1階席の扱いになっています。シートモケットも2階建て部分の1階席と同じです。
平屋席の部分は新幹線の普通車ながらこのエリアだけは2+2の4列配置となっていて、シートの幅は他の普通車と同じなのでやけに通路が広々としています。先ほども書いたとおり中央に貫通扉があるのでこの配置とならざるを得なかったのでしょうが、仮に2+3配置だったなら満席となったときに息苦しさを感じる空間になっていたことでしょう。お世辞にも広いとはいえないスペースですからね。
らせん階段の中心部に隠れているのは車内販売のカートを移動させるためのエレベーターです。初代MaxのE1系ではこれがなかったために、車内販売はバスケットを持って移動していたといいます。その不便さを解消するためにE4系ではこうしてエレベーターが用意されましたが、コロナウイルスの流行で車内販売が行われていない今は残念ながら動作している姿を見ることはできません。
谷川岳をぶち抜く大清水トンネルを走り抜けて上越国境をまたぐと越後湯沢です。シェルターでつながった前後のトンネルも含めれば国境のトンネルは30km以上もあり、時速240kmで爆走するE4系でもそれなりの時間がかかりました。手前の上毛高原との駅間は47.6kmあるので、実に2/3近くがトンネルということになります。
大学生時代には同期の電連氏にたびたび冬の越後湯沢に連れてきてもらっていました。今や撮りたい列車もなくなり、そもそも撮り鉄からほぼ足を洗っていることもあって、もう何年も降りたことさえない駅になってしまいましたが…
越後湯沢から平屋席はあさかぜ一人になってしまいました。まるで貸し切り部屋のようです。
長岡を出て越後平野へと出てくると視界が大きく開け、広大な水田が広がります。米の一大産地らしい景色です。時期的にまだ苗が植えられたばかりで青々とした田んぼには早いですけどね。
新潟県のコシヒカリといえば米の代表格のようなイメージですが、NHKの番組「ブラタモリ」によれば明治期までの越後平野は沼地のような場所だったといいます。大半が信濃川と阿賀野川という二大河川が運んできた土砂によって形作られた低湿地で、とても水はけの悪い場所でした。稲の刈り取りは腰の高さまである水の中で行っていたほどで、作付面積の割に米の生産効率は著しく悪かったといいます。
大正時代後半から干拓や排水設備の整備が進められ、越後平野は水はけの良い水田地帯へと生まれ変わりました。米の収穫量は劇的に伸び、品質も向上し、現在のような抜群のお米を生み出す一大産地となったのです。
東京駅からおよそ2時間、終点の新潟が近づいてきました。遠くに見える灰色の建物は新潟県庁です。自分の生活圏の印象からなんとなく県庁といえばターミナル駅の近くにあるものと思っていましたが、新潟県庁は新潟駅からバスで20分ほど離れた場所にあります。
定刻通り終点の新潟に到着しました。到着した列車はいったん車庫に引き上げて整備を行うようです。
壁にはE4系Max用とE2系(10両編成)、E7系(12両編成)の乗車目標が掲げられています。10月の引退後にはここからMaxの表示は消されてしまうのでしょうね。
到着したE4系「Maxとき313号」の隣には12:20発「とき320号」に入るであろうE7系が停車しています。将来的にはE2系も追い出してE7系に統一される予定で、統一後は最高速度を現行の時速240kmから270kmへと引き上げる予定。現在は防音壁のかさ上げ工事などが行われているそうです。
Maxは通勤新幹線を担っていただけ収容力は高く、E2系が10両で2クラス813席、E7系が12両で3クラス924席なのに比べると、E4系Maxは8両編成でも2クラス817席を備えます。ラッシュ時や多客時には2本つなげるので、16両編成で1,634席という圧倒的な輸送力を誇りました。
駅構内の各所にはE4系の長年の功労をねぎらうポスターが掲げられていました。都内の在来線の駅でも掲げられており、通勤の折に見ながら愛情のこもったデザインに思わずホロリとしてしまいそうになったほどです。
記念グッズもいろいろ出ているはずですが、今のところ出ている第1弾はあまり数が作られていないのか、構内のNewDaysでは表に出ていませんでした。とりあえずグッズは帰りに回すことにします。
高架化工事たけなわの新潟駅の通路は右へ左へと曲がりくねっている上に階段だらけで、万代口まで出てくるのにずいぶん時間がかかってしまいました。ちょうどお昼時ですからご飯を食べにいきましょう。
新潟駅前のバスターミナルは日本でも珍しいお尻から入るスタイルです。誘導員の笛に従って、まるで車庫入れのようにキビキビとバックして乗り場に入っていきます。
ちなみに2015年から運行の始まったBRTを含め、一部のバスは隣にあるロータリーに発着します。さすがに連節バスをバックでターミナルに入れるわけにもいきませんし、どうしてもこの形態では到着から出発まで時間がかかってしまいますからね。
なおこのターミナルも新潟駅の再開発に伴って解消される見込みで、あと数年もするとこの貴重な光景は見られなくなってしまいます。
時間もありますし新潟駅から大して離れていないので、新潟市の中心街である万代シテイまで歩いてきたのですが…思いのほか暑くてバスに乗ってくれば良かったと後悔します。もう夏に片足突っ込んだシーズンだということを忘れていました。
お昼を食べようとしていたバスターミナル内のそば屋に長蛇の列ができていたので、余裕ができるまでその辺を散歩しながら待つことにします。
2階部分には広場がありビアガーデンが開催されているようです。あまりの暑さに思わず吸い込まれそうになってしまいましたが、誘惑を振り切ってパスします。
本屋で少し時間を潰してお昼1時前に戻ってきました。さすがにだいぶ空いていましたが、それでも途切れることなく誰かしらが食券を購入しています。バスターミナルの真横という立地にショッピングモールも併設なのも人が集まる理由でしょう。
前回ここを訪れたのはちょうど4年前、最近になってリニューアルされてずいぶん明るくなったように感じられます。そしてここのお店はそば・うどんもさることながら、有名なメニューは実はカレー。
そのまま「バスセンターのカレー」という商品名でレトルト品も売られているほど有名な万代そばのカレー。480円とワンコインでおつりが来る価格設定ながらしっかりと1人前の量があります。
まるで子供が食べるカレーのような黄色い見た目とは裏腹に、しっかりスパイシーな風味がおいしい!肉やタマネギが食べ応えのあるゴロゴロサイズなのもいいですね。
そして4年前には試せなかったソースをかける食べ方もやってみました。ウスターソースの甘さがカレールーのスパイシーさをより一層引き立てる感じです。
ルーに対してご飯の量が多めなので、ソースをかけて味を濃いめにした方が食べやすいというのもあります。
薄暗かった記憶の万代バスセンターはリニューアルでかなり明るくなりました。新潟駅前のターミナルと同様に出発案内がアナログですが、日常的に利用する人からすればどこまで走るかが一目でわかって使い勝手がいいのかもしれませんね。
新潟県民のソウルフード「イタリアン」も味わってこようとしたのですが、カレーでおなかいっぱいになってしまったので断念。代わりに併設のイオンで自宅に持って帰る日本酒と、車内で飲むビールを買っていきましょう。
日本酒を何本も買ったらショルダーバッグが重い!来るときに懲りたことですし、おとなしくバスで新潟駅まで戻ってきました。かざすだけで運賃が支払えるICカードは、こうして重い荷物を持ってバスに乗るときにはつくづく便利さを感じます。荷物を抱えて小銭を出すってかなり面倒ですからね。
在来線側のNewDaysで大学時代の先輩にE4系Maxグッズを買って、新幹線乗り換え改札にやってきました。
改札の横の立て看板には「新幹線改札内には酒は売ってないから気をつけろ」といった内容が書かれています。東京都もやり過ぎな感じはしなくもありませんが、社会性のない酔っ払い集団がいる限りは仕方がないのでしょう。
帰りももちろんE4系を使う「Maxとき326号」です。録音のために往路同様FL席を選びましたが、Maxらしく2階席を選んでおくべきだったかもしれません…
なお改札内のコンビニには本当にお酒が1本たりとも置いてありません。前に並んでいたビジネスマンらしきお兄さんは「本当にお酒売ってないんですねぇ」なんてちょっと困った様子でレジの店員さんに話していましたが、
「お酒をご希望でしたら在来線側の店舗で売ってます。改札のところの駅員さんに言えば通してもらえますよ」
あ、それでいいんですね。お兄さんも安堵の表情を浮かべて乗り換え改札へと戻っていきました。
E2系が折り返しの清掃を待っています。長野新幹線の開業に東北新幹線の八戸延伸だとかで製造期間はそれなりに長かったものの、原型の0番代が登場したのは1996年の話。現在上越新幹線で活躍している1000番代も2001年のデビューで、実はもう20年になるベテランなのです。
うーん、自分がオッサンになったわけです…
当初の計画では2022年度末にE7系へ置き換えられる予定でしたが、E4系の時と同様に例の台風による浸水被害で図らずも延命となりました。加えてコロナウイルスの流行でJR東日本は巨額の赤字になっていますから、案外活躍期間はまだ長いかもしれません。
時刻表を眺めていたときに概ね予想はついていましたが、行きと同じ編成で東京へと帰ります。まぁ編成ごとに差異があるわけでもありませんから、E4系だったら何でもござれです。
車両の要所要所には大小の引退惜別ステッカーが貼られていて、新潟支社の深い愛を感じます。
E4系のグリーン車は7号車と8号車の2階席に設けられているのは、やはり眺望の良さを選んだからでしょうか。車内の照明も暖色系のものが使われていて、はっきり普通車との違いがわかります。
車端のFL席には誰も乗っていません。えきねっとのシートマップからは取りづらいこともあってか、結局東京に着くまで誰も乗ってこない貸し切り状態になっていました。
定刻通り新潟を出発。早速チータラを肴にエチゴビールをいただきましょう。
現在ではクラフトビールと呼ばれる地ビールの日本第一号となったのがこのエチゴビール。創業者がドイツのビールに感銘を受けて作ったのがはじまりだそうで、日本でメインに流通するピルスナーをはじめ何種類ものラインアップがあります。
大手メーカーの製品よりもだいぶお高い商品ですが、せっかく旅に出たときぐらいは楽しまねばなりません。
エールビールのフルーティーさを味わったつもりになっているうちに、新幹線は越後平野を走り抜けて上越国境へと近づいてきました。新潟市内では汗ばむほどでしたが、谷川岳を擁する三国山脈の山々にはまだまだ雪が残っています。
自分以外の物音がさっぱりしない静かな空間だったので、ついうっかり眠りこけてしまいました。気がつくともう大宮まで戻ってきています。首都東京の外郭と日本海に面する新潟までがたった2時間で結ばれているのですから、新幹線がもたらした恩恵は計り知れないものでしょう。
大宮から25分で終点の東京に到着しました。到着したE4系は10分ほどの折り返し時間の間に清掃を済ませ、再び新潟へ向かって出発していきます。
隣の線路に入線してきたのは東北新幹線の主力車両E5系です。時速320km運転を実現するため、E4系よりもはるかに長い15mもの鼻を持つようになりました。こうして並んでみると運転席の位置はE5系の方がずっと後ろ側にあることがわかりますね。
引退までまだ余裕があるからか、静かな環境でE4系の旅を楽しむことができました。おいしい日本酒を手に入れてこられましたし、そのうちもう1回新潟に出かけても良いかもしれません。片道2時間半で行ってこられるのですから、新潟は遠い場所じゃありませんしね。
てな話を職場でしたら、後輩たちに
「泊まりじゃなくて日帰りですか?新潟まで行って?」
「新潟を近いって思ってるのはみずほさんだけっすよ…」
とあきれられてしまいました。おかしいなぁ…