金沢駅からバスで15分ほど、朝食前の運動がてら「兼六園」へやって来ました。
昨夜はお寿司を食べ損なってしまったので、兼六園でカロリーを消費してから近江町市場で朝ご飯にして、ホテルに戻ることにします。
コロナウイルスの影響で主要観光地を循環するバス「兼六園シャトル」は運休となっていますが、どのみち早朝からは動いていないのであまり関係ありません。
兼六園の入場料は320円ですが、早朝開園の時間に入ると無料となるそうです。夏場は朝4時開園とめちゃくちゃ早いですが…有料開園15分前の6:45までに出ることが条件だそうです。
そんなに早起きはできませんし、兼六園に来る足もないので通常の開園時間に入ります。320円なら安いですしね。
アオサギも朝ご飯に来ているようです。
今日は朝からいい天気で、建物や木々が水面に美しく反射しています。
奥に見える木造の建物は「内橋亭」といい、食事やお土産の購入ができる茶店になっているそう。営業時間は9時からなのでまだ1時間半ぐらい先です。
不思議な形をした松の木が池に飛び出しています。「唐崎松」という琵琶湖畔の黒松のタネを取り寄せて育てたものだそう。冬になると雪の重みで折れてしまわないように「雪吊り」という作業が行われ、兼六園の冬の風物詩となっています。
まるで巨大な盆栽のごとく木々が植えられています。
兼六園や金沢城で使われている大量の水はおよそ11km離れた犀川から引かれていました。現代のように重機やポンプのない時代ですから、自然の力をうまく生かすための高度な設計が必要になってきます。
それだけの能力を持った設計者や技術者、さらにそうしたことを進言する優秀なブレーンに恵まれた藩主でなければ、このような現代にも誇れる庭園には造れなかったことでしょう。
南西側にある梅林。ここの歴史は新しく、1968年の「明治百年記念事業」によって造成されたエリアです。北野天満宮や水戸偕楽園など梅の有名どころから集められたおよそ20種200本が植えられているのだそう。
今の時期は当然緑色の葉っぱしかありませんが、冬の終わり頃になると美しい景色になることでしょう。
途中の松にぼっこりと削られた穴が開いていました。終戦間近の1945年6月に松根油(しょうこんゆ)が採取された跡だそうです。案内板には「航空機燃料のための松脂」と説明がありますが、松ヤニでは燃料にならないので松根油のことと思われます。もしくは、松ヤニから燃料を作るための実験に使われたか…
当時の「バイオ燃料」といえば聞こえがいいですが、単に日本がもはや石油を輸入できる状態になくこうしたものにすがらざるを得なかった、戦争末期の哀れな状況がわかります。しかも製造過程が複雑でろくに実用化はしなかったというのですからなおさらお粗末です。そんな状況で「戦争完遂」などというのはただの精神論でしたし、現代の働く人や東京オリンピックのボランティアへの姿勢を見ると、日本という国はあの戦争から何も学ばなかったのだとつくづく実感します。
あんなに大きな穴を開けられても立派に育っているのですから、松というのは丈夫な木ですし、植物のたくましさを感じ取れます。
2000年に復元された「時雨亭」は兼六園の始まりとなった「蓮池御亭(れんちおちん)」を模しているのだとか。「時雨亭」という名前は江戸時代末期に呼ばれていた愛称だそうです。ちなみにモデルとなった2代目は明治時代に入って取り壊されてしまいました。
先ほどの内橋亭と同様に中でお茶を頂くことができるようですが、こちらも営業は朝9時からなのでスルー。
「瓢(ひさご)池」と名前のついたひょうたん型の池がある辺りは蓮池庭(れんちてい)と呼ばれていた場所で、実はここが兼六園の発祥の地です。1600年代後半からここを基点に庭の開発が始まり、1800年代半ばまで拡張や整備が続けられました。梅林を除いて時代による違いを感じさせないのは、一貫した哲学の元に造られていたからなのでしょうね。
なお「兼六園」という名は1822年に松平定信がつけたもの。以後明治期に入ると岡山の後楽園、水戸の偕楽園と並んで「日本三名園」に数えられるようになります。
涼しく爽やかな朝の光景に見えますが、実際のところかなり暑い…日当たりのいい歩道を歩いていると汗ばむほどです。ところどころに飲料の自動販売機があるので、お茶屋に入れない分をそれでごまかします。
スタートとは対岸まで回ってきました。ここまでそれなりのペースで歩いてきたものの30分はかかっています。じっくり見て回るのならば最低でも2~3時間は欲しいところ。
地面にボロボロと食べかすのようなものが落ちています。動物の食べ残しかと思っていましたが、勝手に落ちてきて割れたトチの実というのが近くの注意書きに書いてありました。渋みを抜いた実は食用として使えるため、縄文時代の昔から食べられていた証拠も出土しているのだとか。
小学校の時に読む童話「もちもちの木」に出てくるのはトチの木だそうですね。
そろそろバス停に戻ります。
内橋亭などが面する大きな「霞ヶ池(かすみがいけ)」は庭園の高いところに位置しています。そこから水を引っ張って落差をつけ、自噴するようにしたのがそのものずばり「噴水」。高さ3.5mまで吹き上がり、1800年代半ばに造られた日本最古の噴水とも言われているのだそう。
多くのバスが経由する「香林坊」は金沢の城下町として栄えたエリアで、現在でも金沢市の中心街です。金沢駅は街のかなり外れに置かれており、百万石と謳われた金沢の入口にしては駅周辺がえらくショボいのはそのためです。
さて、金沢市民の台所と呼ばれる近江町市場にやってきました。ここも300年のという長い歴史を持っているのだそうです。中は野菜、水産品、飲食店とメインに扱うものによっておおよそ路地が分かれています。
刺身で食べたらおいしそうな魚はいくらでも見つかりますが、いかんせん旅の途中なのでそういったものは手にできないのが残念なところ。
朝の散歩でだいぶ空腹です。「もりもり寿し 近江町店」は案内通り早朝から営業していました。良かった良かった…人気店とはいえさすがに朝早いので混み合うことなくスムーズに着席。
morimorisushi-ohmicho.amsstudio.jp
「金沢といえばノドグロ!」といろんな媒体に書かれています。白身のトロの王者だとか。ただし高級品なので1皿500円は覚悟せねばなりませんが、せっかく来ているのですからケチケチしていてはむしろもったいない。
ちなみに写真に写っている黄緑色のお皿に載っているのは「炙りのど黒」です。ちょっとばかり生ののど黒より安かったような…?
ホタルイカも普段は生臭くてあまり好んで食べませんが、こういうところで食べるものはそんなに気になりませんし、ショウガでうまくにおい消しもされているのでおいしく感じられます。
まぁ調子に乗って食べ過ぎると結構な値段になってしまうので、北陸らしいネタを一通り食べたところで撤収。それでも3,500円以上とお高い朝ご飯にはなりましたが…
食後の運動で金沢駅近くのホテルまで20分ほど歩いて戻ります。日が昇ってかなり暑くなってきました…まだ午前9時なのに。
なおホテルの大浴場は朝9時までしか入れないので、ちょっと汗ばんでもさっぱりできないのは泣き所です。もっと早く出かければ良かったか…
香林坊を離れるとマンションやホテルの並ぶ景色になり、繁華街らしい華やかさからはずいぶん遠ざかります。これが城下町と駅が離れた街の宿命です。
巨大なガラス製のドームが目を引く建築物が金沢駅です。この巨大なドームは2005年に「もてなしドーム」と名付けられて完成したもので、『雨や雪の多い金沢で、「駅を降りた人に傘を差し出す、もてなしの心」を表現したドーム。』 (金沢駅にぎわい.com)なのだそうです。入口の門は伝統芸能「加賀宝生」で使われる鼓を模しており、「鼓門(つづみもん)」と名前がつけられています。
ドームに向かって左側が一般車やタクシー向けのロータリー、右側は北鉄バスやJRバスが発着するバスターミナルとなっています。
【後編へ続く】