2017年1月以来のスケジュール変更で、都合6回目の延期です。2020年半ばを予定していたANAへのデリバリーは2021年度以降とされ、ただでさえ綱渡りの機材繰りが続いているANAとしては勘弁してくれといったところでしょう。ピーチに吸収された傘下のLCC「ピーチ」の余剰機材を、中身そのままで運航しているぐらいですから。
とはいえ、新規開発機のスケジュール遅延はつきものです。あのボーイングでさえ、787の開発は当初の予定より2年以上の遅れでしたし、運航開始後もバッテリー周りのトラブルで一時全世界で運航停止にもなりました。現在開発中の777Xでも初飛行がだいぶ遅れましたし、737MAXのトラブル解消が最優先なのでさらに遅れる可能性は否定できません。
ライバルのエアバス・A320シリーズに追いつけ追い越せの急ピッチで開発を進めた737MAXに至っては、無理のある設計や制御プログラムの不備、検証の不足によってたった半年の間に2度の墜落事故を起こしています。全世界で運航停止の措置が執られており、現状ではいつ再開できるか明らかにされていません。旅客機で最も大切な「安全」が相対的に「スケジュール」よりも軽くなってしまったという、あってはならない事態でした。
<運航停止の続くB737MAX。運航再開時期はいくつか噂はあるものの正式には未発表>
「ベテラン」たるボーイングでさえそんな状況です。ましてやジェット旅客機なんてズブの素人である三菱が思い描いた通りに開発が進まないのも無理はありません。だからといって悪びれることなく遅らせてもいいわけではありませんが…
遅れが重なっているせいで、あとから改良型の開発が始まったブラジルのエンブラエルに比べると機内設備で見劣りしているのもまた事実ですし。
ところで2019年10月末の、アメリカのトランス・ステーツ社が発注していた100機のオーダーをキャンセルするという話も注目されました。
オプション込みで400機ほどの受注だったSpaceJetには大きな痛手ですが、これに関しては一概に三菱の遅れだけが原因とはいえない、アメリカ独自の航空事情があります。リージョナル機には必ずついて回る「スコープクローズ」という要件です。
今回は「スコープクローズ」について、自分の勉強の振り返りで書いてみます。
Scope Clauseとは、アメリカの大手エアラインとパイロットの労働組合の間での取り決めのこと。アメリカン航空、デルタ航空、ユナイテッド航空では、拠点となる大空港と地方の中小都市とを結ぶ路線は、自社運航ではなく子会社や地場の航空会社に委託して運航していることが多くあります。地域輸送に特化した航空会社のことを「リージョナルエアライン」「地域航空会社」と呼びますが、それらのエアラインに「アメリカン・イーグル」「デルタ・コネクション」「ユナイテッド・エクスプレス」と自社ブランドを冠して、大手は自社便として運航するのです。
面白くないのは大手エアラインのパイロットです。もし委託する路線が増え、機体も大型化されていったら、自社運航の基幹路線まで委託されてしまうかもしれません。そうなったら自分たちの職がなくなってしまいます。その事態を防ぐため、大手エアラインとパイロットの労働組合の間で協定=スコープクローズが結ばれているのです。
さて、その協定の内容ですが、大手エアラインが委託しても良い条件を組合側が指定しており、座席数、便数、運航時間…と多岐にわたります。大手3社でそれぞれ細かい部分は異なりますが、共通しているのはリージョナル機に課す機体の大きさ制限。
座席数は76席以下、最大離陸重量(燃料・乗客・貨物など必要なものを全て積んだ状態での機体の重さ。MTOWと略す)は86,000ポンド(約39トン)以内と定めています。これをオーバーする機体はスコープクローズに抵触するため、リージョナルエアラインはその機材を導入しても大手から受託できなくなってしまいます。
ちなみにMRJ90もライバルのエンブラエル・ERJ175-E2も、その条件を大幅にオーバーしています。最初からクリアする気はあまりなかった、というのが正しいかもしれません。
<現状のスコープクローズをクリアできる数少ない機種がERJ-170。だが170は新世代化は行われない>
というのもスコープクローズの内容は3年に1回見直されることになっており、直近の2019年12月の話し合いで機体の大きさ制限が緩和されるだろう、と見込まれていたからです。MRJ改めSpaceJetも、ERJも、それを見越してあえてスコープクローズを無視したサイズの機体を開発していたのです。
ところが、組合側と折り合いがつかず、スコープクローズは現状維持が決定。メーカー側は従来通りの条件に沿うように方針転換を余儀なくされ、MRJ90を導入する意味の無くなったトランス・ステーツがキャンセルに至った、というわけです。三菱にとってラッキーだったのはERJ175-E2に先を越されそうになっていたところをスコープクローズの現状維持で、相手も前へ進めなくなっていることでしょうか。とはいえ、三菱もSpaceJet M90の開発を終わらせなければスコープクローズに適応したM100の開発に入れませんから、ERJに先行されていることには変わりありません。
ボンバルディアは元から製造していたCRJ700という機体がスコープクローズに適合していたので、2019年末からユナイテッド・エクスプレス向けに3クラス50席のCRJ550というモデルを用意しました。新機材の開発を放り出していたようにしか見えなかったボンバルディアが、現状ではまさかの一人勝ちしているのはなんとも皮肉なものです。
<CRJ550のベースとなったCRJ700。日本では唯一アイベックスエアラインズが運航>
ところで、「少しぐらいスコープクローズの条件をオーバーしていても、乗客数や燃料を減らして合わせればいいんじゃないの?」という気もします。だがしかしNG。
76席以下、MTOW86,000lb以内というのはあくまで本来の飛行機の性能でなければいけないとしています。「やれば乗せられるんだからやってしまえ」という既成事実化を危惧しているのかもしれません。だからこそ、メーカーも青ざめて構造変更をするのです。
「どうしてアメリカ一国のためだけに…」と思うかもしれませんが、これはアメリカが航空大国だからに他なりません。ちょっとした街に空港があり、そこへ飛行機が飛ぶわけで、そうした環境では小さくて取り回しのいいリージョナル機が重宝します。それ故アメリカのリージョナル機需要はとても高く、有用だと判断されればそれなりに売れますし、メーカーの実績になります。信用と実績がモノを言うのが旅客機の世界なのです。
今回の6度目の延期で、国産旅客機のプロジェクトはいよいよ8年遅れとなります。安全・信頼が大切とはいえ、そろそろあとがありません。
ゆくゆくは世界各国の空を彩る飛行機になって欲しい。
一人のヒコーキマニアとして願ってやみません。