_DSC3471 posted by (C)あさかぜみずほ
時刻は5時半。寝不足で重い体を布団から引っぺがして、後輩の借りてきたレンタカーで炭鉱の遺構を見て回ります。雨が降って肌寒い早朝ですが、むしろ目覚ましにはちょうどいいかもしれません。
ちなみに誘ってくれた後輩は明らかに二日酔いだったのでハンドルは握らせず、指示に従ってあさかぜが代わりに運転します。
三笠の中心街を走り抜けて、旧住友奔別(ぽんべつ)炭鉱の入口へとやって来ました。
すぐ手前まではクルマで入ることができますが、門から奥は私有地のため残念ながら立ち入ることはできません。
_DSC3459 posted by (C)あさかぜみずほ
地上約51mの高さになる立坑櫓。このやぐらの下には直径約6mの立坑が深さ730m以上へ続いています。この大きな立坑から、人員、資材、石炭をまとめて搬入出でしていました。1960年に完成した当時は「東洋一」といわれ、100年使えるとまで呼ばれたほどだったと言います。
しかし奔別炭鉱は1971年に閉山。「スキップ・ケージ巻揚げ方式」を使った最新鋭の立坑櫓はたった10年ちょっとで使命を終えてしまいました。
_DSC3463 posted by (C)あさかぜみずほ
さび付いても誇らしげな「奔別」の文字。
閉山後は安全のために坑道を密閉する工事が行われましたが、その作業中に坑道内のガスに引火して爆発。爆風はやぐらの足下にあるトタン屋根を吹き飛ばし、5名の作業員の命をも奪い去りました。
_DSC3464 posted by (C)あさかぜみずほ
昨晩遅くから降り続いた雨で、敷地からは赤茶けた水が流れ出ています。
_DSC3475 posted by (C)あさかぜみずほ
敷地の左奥には、貨車へ石炭を搭載するのに使ったホッパーの遺構も見えます。一連の設備は年に数回の見学ツアーに申し込めば近くで見学できますが、老朽化のためなのか年々入れるエリアは縮小されているようです。
_DSC3483 posted by (C)あさかぜみずほ
幾春別川に沿って遡ってきました。市街地を通り過ぎてしばらく走ると、人造湖の桂沢湖とそれをせき止める桂沢ダムがあります。
ダムの堤体を見学したかったのですが、現在再開発工事の真っ最中で近づけませんでした。堤高を11.9mかさ上げした76mとし、貯水池容量を増やします。これによって、さらに治水能力を向上させようとしているわけです。
近寄れないんじゃ仕方がないので、湖のほとりにある桂沢公園で一休みです。
_DSC3480 posted by (C)あさかぜみずほ
脈絡もなく突然現れる、ティラノサウルスの像…
三笠市は白亜紀(6600万年以上前)のアンモナイトの化石が大量に出土することで有名だそうですが、その白亜紀を代表する肉食恐竜ということでこのティラノサウルス像が造られた模様。さして三笠市にゆえんがあるわけではないんですね…
1981年の三笠市100周年記念事業で設置されたものですが、静かな湖畔にたたずむものとしてはあまりに場違いな雰囲気。
_DSC3486 posted by (C)あさかぜみずほ
朝6時過ぎなのでほとんど誰もいません。上の道路もクルマ通りはごくわずか。
桂沢ダムをかさ上げした「新桂沢ダム」では、単純に考えて水面の高さもおよそ11mは上がるわけです。レストハウスやティラノサウルス像も水没する高さにあります。レストハウスは動かせないにせよ、公園に根を張ったティラノサウルスの運命やいかに…?
_DSC3491 posted by (C)あさかぜみずほ
空振りに終わった桂沢ダムをあとにして、再び民家のある方向へ戻ってきました。
岩見沢駅から東へ延びてきた幌内線の終点が、この幾春別(いくしゅんべつ)駅。アイヌ語の「イクスンペッ(向こう側)」が由来と言われています。
末期は1面1線の寂しい終点駅でしたが、1971年の奔別炭鉱の閉山まではここから岩見沢の方向へ向けて貨物列車が出発していました。先ほど門の外から見えた、ホッパー施設で積み込まれた石炭を運ぶための貨物列車です。
_DSC3494 posted by (C)あさかぜみずほ
現在は旧来の駅舎は撤去され、代わりに北海道中央バスの幾春別線が発着するためのバス待合室が設置されています。
_DSC3500 posted by (C)あさかぜみずほ
道道116号線を岩見沢方面へさらに戻ります。弥生という地区へやって来ました。このあたりには幌内線の弥生駅が設置され、また奔別に統合された住友鉱業の弥生炭鉱もあったエリアです。
弥生地区には炭鉱で働く人のために造られた集合住宅、「炭鉱住宅」が現役で残っています。
_DSC3508 posted by (C)あさかぜみずほ
窓が封じられて明らかに人が住んでいない部屋もありますが、多くの部屋は人が住んでいる様子があります。
これを白黒にするととても平成の世とは思えない写真になります。
奥へ進めば幌内線の廃線跡があるはずでしたが、よく分かりませんでした。
_DSC3520 posted by (C)あさかぜみずほ
少し幾春別側に進んだ山の斜面には、別の形の炭住が残っていました。こちらは寄り近代的なアパート風の見た目をしています。
こうした炭住の数々は採炭企業が福利厚生のために用意したもので、多くは光熱費が無料だったといいます。炭鉱がなくなった現在でも人が住んでいると言うことは、地元の不動産業者なんかが賃貸で貸しているのでしょうか…?
_DSC3530 posted by (C)あさかぜみずほ
_DSC3533 posted by (C)あさかぜみずほ
人が住んでいる建物はきれいに整備されていますが、一方で自然に覆われている建物もいくつもあります。長い間人が暮らすことがなかったのでしょう。今さら炭住に新たな人が入るとも思えませんし、このまま自然に帰るようにして朽ち果てていくのかもしれません。
_DSC3539 posted by (C)あさかぜみずほ
再び岩見沢方面へ。途中で道道917号線へ分岐すると、ほどなく幌内線唐松駅が見えてきます。「からまつ」ではなく「とうまつ」と読みます。
やはりこの駅も石炭の積み出しを目的に設置された駅で、1973年に近くの炭鉱が閉山されるまでここからも石炭が運び出されていました。貨物列車の廃止後は1面1線のローカル駅として廃止まで至ります。
駅舎は現役当時のもので、2段階に屈折する「ギャンブレル屋根」が特徴的です。荒れ果てた廃止後の駅舎を見かねた地元の有志の方々が整備し、現在も美しい姿を保っています。
_DSC3543 posted by (C)あさかぜみずほ
さすがに7時という朝早くでは駅舎内の見学はできないので、横を回って当時のホームへと出てみます。立派な駅舎と長いホームから、炭鉱のあった時代の賑わいが感じられます。
_DSC3546 posted by (C)あさかぜみずほ
ホームの岩見沢よりには簡単な貨物の積み下ろしに使われたであろう、切り欠きが見えます。2軸のワムだとかトラだとか、小さな貨車によって生活必需品などが輸送されていたのかもしれません。
_DSC3556 posted by (C)あさかぜみずほ
反対側のホームの端っこには停止位置目標が立っています。路線の廃止から30年以上、立派に育った木に太刀打ちできることなく曲がってしまっています。
7月半ばだというのにホームに植えられたあじさいは満開です。やはり北海道、関東に比べれば涼しいんですね。
_DSC3562 posted by (C)あさかぜみずほ
窓ガラス越しに駅舎内を覗くと、現役時代の日常を写した写真や品々が所狭しと飾られていました。こうした貴重なものを我々に残してくれる有志の方々には頭が下がります。
しかし例によってこの貴重な品々を盗む不届き者もいるそうです。どうしてそういう行為に走るのか理解に苦しみますが、そんな連中のせいで展示品全てが見られなくなってしまうことは珍しくありません。そうした生きる価値もないような連中には厳しい厳しい罰が下ってほしいものです。
_DSC3563 posted by (C)あさかぜみずほ
ちょうど唐松駅を見終わったところで、目の前を北海道中央バスの幾春別線が走り去っていきました。日曜日の早朝とはいえ、乗客は見たところゼロ…
_DSC3568 posted by (C)あさかぜみずほ
幌内炭鉱の跡地に残る高さ40mの「幌内立坑」。1966年に建設され、作業員や資材を輸送していました。立坑櫓には奔別と同様に炭鉱の名前が掲出されていましたが、現在は朽ちて「内」の文字が落ちてしまっています。
こちらも安全のために封鎖されていますが、立坑は深さ915mまで達していました。想像のつかない深さです。
1987年の幌内線廃止後も稼働を続け、1989年に閉山。他の炭鉱と同様、ほとんどの遺構は姿を消していますが、このように巨大なやぐらは現在も姿を残しています。
_DSC3570 posted by (C)あさかぜみずほ
奔別炭鉱と同じく、こちらも企業の私有地となっています。石炭産業の撤退後、三笠市炭鉱の跡地は多くが工業用地へと転用されました。そのため、許可なく勝手に遺構へは近づけないようになっています。
せっかく目の前にあるのに残念かもしれませんが、逆に言えば不用意に一般人が近づけないようになっているが故に、解体されず30年後の現在まで我々に栄光の時代を見せてくれているのでしょう。
_DSC3573 posted by (C)あさかぜみずほ
赤茶けた濁流をよけて、少し左の角度からもう1枚。やぐらの足下にある建物の中にはケージの巻揚げ機が長く残されていたそうですが、2004年に撤去されています。
後ろに見える山は「ズリ山」といって、石炭の採掘と同時に出た石や、品質が悪すぎて使えない石炭を積み上げて出来た山。自然に出来た山ではありませんが、時間が経って木々が生えると違和感なく景色に溶け込んでいます。
とはいえただ石ころを捨てた場所で安定しているとはいえないらしく、崩れてしまっては困るため、維持管理が法律で義務づけられている面倒なものでもあります。
いい時間になってきたので宿に戻ります。朝ご飯を食べ終えたら、いよいよ泣く泣く帰途に就かねばなりません。