あさかぜみずほの趣味活動記録簿

旅行記や主に飛行機の写真をひたすら載せ続ける、趣味のブログです。たまに日記らしき投稿もあり…?

どこかで働く駅員がひたすら旅行記や写真(主に飛行機)をひたすら載せ続けるブログです

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2018年6月27日~碓氷第三橋梁~

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IMG_2011 posted by (C)あさかぜみずほ

碓氷峠群馬県と長野県の県境にして、500m以上の標高差を持つ急な峠です。

トンネルを掘れば勾配をクリアできる普通の峠と違い、崖のような片勾配となっているのでどのみち登り詰めなければなりません。現代に至るまで難所であり続ける理由です。

とはいえ、ここは関東から信州や北陸へ抜ける重要なルート。特に坂道に弱い鉄道は様々な手を使って、この峠を越えてきました。今回はツーリングのついでに、その努力の歴史を見にきてみました。

峠を登る前にまずは腹ごしらえ。横川駅近くの「おぎのや」本店で峠の牛めしをいただきます。メジャーな釜めしとはまた違う味わいで美味しいですが、個人的にはオーソドックスな釜めしの方が好きですねぇ…

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IMG_2016 posted by (C)あさかぜみずほ

現在となっては道路のメインは上信越道、下道でも国道18号線碓氷バイパスですが、鉄道の遺構を見るには18号の旧道を回ります。バイパスは路線バスが通りますが、旧道側は土日に1往復が走るのみ。観光にはなんとも使いづらい…

なので、自家用車ありきの観光スポットになってしまっています。めがね橋駐車場にクルマやバイクを置き、徒歩5分ほどでめがね橋こと碓氷第三橋梁に着きます。

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IMG_2018 posted by (C)あさかぜみずほ

碓氷鉄道文化むらから「アプトの道」と名付けられた遊歩道を歩いてくれば、クルマがなくとも観光には来られます。5キロの山道をひたすら登ってくるだけの体力と気力があるならば、の話ですが。

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IMG_2023 posted by (C)あさかぜみずほ

見えてきた立派なレンガ造りのアーチ橋。「めがね橋」こと碓氷第三橋梁は明治25年に竣工したもので、昭和37年までの約70年間にわたって碓氷峠を行き来する鉄道輸送を支えました。現在は国の重要文化財です。

ユネスコ世界遺産にも登録の動きがあるそうですが、心無い落書きが防ぎきれないなどの理由でまだ実現はしない様子…

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IMG_2029 posted by (C)あさかぜみずほ

橋の裏側に回り込むと階段があって、橋梁の上に上がることが出来ます。見上げた高さからもわかるように、結構な長さと角度の階段です。普段の運動不足っぷりがさらけ出されてしまいますが…

この碓氷第三橋梁は上述の通りレンガ造りですが、完成後に強度不足が発覚したため翌年には補強工事が行われたそうです。橋の中央部分などに見えるのがその強化工事の痕跡なのでしょうか。

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IMG_2032 posted by (C)あさかぜみずほ

めがね橋からさらに奥の方を見ると、コンクリート造りのアーチ橋が2つ見えます。1963年に開業し、1997年の新幹線開業まで現役だった新線です。

旧線は線路間に波板を置き、電気機関車の車輪につけた歯車をかみ合わせて斜面を登る「アプト式」という方式を採っていました。横川~軽井沢間の所要時間は40分ですが、これでも蒸気機関車時代に比べれば半減したといいます。

新線では普通の列車と同じ「粘着式」へと改められ、EF62形・EF63形という専用の機関車を用意して急勾配を上り下りするようになりました。所要時間はさらに半分ほどへと短縮されました。

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写真で見れば平らに見える橋の上ですが、この区間は急勾配の途中。1,000m進むと66.7m上る「66.7‰(パーミル)」という坂道です。普通の鉄道では80‰が限度と言われていますので、鉄道の限界に近い角度です。

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IMG_2041 posted by (C)あさかぜみずほ

ちなみに「アプトの道」として現存しているのは上り線で、下り線は新線に転用されているとのこと。

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IMG_2043 posted by (C)あさかぜみずほ

このまま山を登っていってもいいのですが、そうするとクルマやバイクを取りに戻ってくるのが面倒になってしまうので、いったん橋から降りて移動します。仕事の関係で遅くなっていた職場の上司も合流したので、いいタイミングです。

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IMG_2049 posted by (C)あさかぜみずほ

めがね橋をバックに記念写真を撮ったあと、ぞろぞろとクルマとバイクで山を登ってきました。やって来たのは「アプトの道」の終点にあたる熊ノ平信号場跡地です。

ここもまた細くて急な階段です。ライダースブーツだと上りづらくて仕方ありません。

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IMG_2050 posted by (C)あさかぜみずほ

整備し直せばすぐにでも列車が走ってきそうな熊ノ平信号場。アプトの道はここが終点で、ここから先はトンネルも封鎖されて先へは進めないようになっています。残念ですが、ここから軽井沢寄りへの整備計画はない様子。

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IMG_2051 posted by (C)あさかぜみずほ

1893年の開業時には蒸気機関車の給水・給炭のための駅として開設された「熊ノ平駅」。新線が開業した1966年からは信号場に降格され、乗客の乗り降りは行わなくなりました。それでも当初使用されていたであろうプラットホームはご覧の通り残っており、現役時代の雰囲気は充分に感じられます。

路線が廃止されたあとは落下事故防止のために架線が撤去されることが多いのですが、ここはそのまま残されています。それもあって、今にも列車が走ってきそうな雰囲気が保たれているのでしょう。

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IMG_2054 posted by (C)あさかぜみずほ

構内の片隅には慰霊碑が建立されています。

熊ノ平駅の近くには、保線作業員とその家族が暮らしていたそうです。1950年6月9日から立て続けに発生した土砂崩れで、作業員とその家族合わせて50名の尊い命が失われるという痛ましい災害が発生しました。その御霊を祀っているのがこの慰霊碑と霊堂です。

こうした悲惨な災害を乗り越えて、信越本線の「横軽」区間は日本の動脈の一部を担い続けてきました。

1997年、遥か山奥の地中に北陸新幹線が開業。土砂崩れの心配もなく、最高速度も時速260kmへと向上し、劇的なスピードアップを実現しました。

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IMG_2060 posted by (C)あさかぜみずほ

高崎~軽井沢間の所要時間は、在来線時代の「あさま」は43分。新幹線の「あさま」になるとたった15分で走り抜ける列車まで存在します。アプト式の頃に比べたら、一体何十分の短縮が実現したのでしょう。

できることなら、在来線時代の碓氷峠を体験してみたかったところです…